第八十一話 凍った水路
「ちびっこ、午後は空いてる?」
配達の報告を終えたリシェに、カイルが声をかけた。上着の肩には、まだ雪が残っている。
「施設へ戻るつもりです。どうしたんですか?」
「ゼフィリスさんが来たら依頼を相談しようと思って。お前にも手伝えそうなんだ」
机に置かれた紙を見せてもらった。
街外れの作業場で、水路の流れが止まっている。水が溜まり仕事に使えなくなったため、詰まった場所を調べて取り除いてほしいという依頼だった。
「水路の掃除ですか?」
「原因が分かればな。雪が降ったあとから流れなくなったらしい」
窓の外を見た。日向の雪は薄くなっていたが、日陰にはまだ白いものが残っている。
「イネスさんに予定を聞かないと」
「じゃあ先に戻ろう。最近の話も聞かせて」
立ち上がったカイルの上着へ、ロギが肩から飛び移った。
「お前も来るのか」
赤い鳥が首元の紐をつつく。
「それは抜くなよ」
笑って、依頼票を返した。
*
出発は翌朝になった。
ゼフィが依頼の内容を確かめ、リシェは調査の補助として参加することになった。午後には施設へ戻る予定だった。
フィエルも一緒だった。街を出ると鞄から下り、雪の薄いところを選んで歩く。以前より脚が伸び、リシェの歩みに合わせるのも上手になっていた。
「今日は留守番じゃないんだな」
カイルの声に、フィエルが耳を動かした。背には小さくなったロギが乗っている。
「訓練どう?」
ゼフィへ尋ねる。
「狙う前に待てるようになってきたよ。相手の動きも、よく見ている」
「ちびっこは?」
「私も練習しています。小さい炎なら飛ばせるようになりました」
カイルが顔を向けた。
「火を使えるようになったのか?」
「はい。精霊の力を借りています」
「へえ。ゼフィリスさんに教わってるんだな」
「先生と……精霊にも教えてもらっています」
ロギの名前は出さなかった。
カイルが頷いた。
「どのくらい飛ぶ?」
「まだ近くだけです。外すこともあります」
「当てたときの話もしろよ」
少し考えた。
「近くなら前より当たります」
「そうそう。それも大事だろ」
『僕の教え方の話は、しなかったね』
ロギの声に、心の中で返した。
『今は内緒でしょう』
『うん。分かってるよ』
赤い鳥はフィエルの背で羽を整えた。
*
作業場の裏には、細い水路が通っていた。木材の積まれた場所を抜け、石で囲まれた溝へ案内される。
水はほとんど動いていなかった。
持ち主の男性が上流を指した。
「あの曲がり角の先で、止まっていると思うんだ。昨日は手前を掻き出したが変わらなくてね」
水際には、取り除いた泥と落ち葉が積まれていた。
カイルがしゃがんだ。
「氷は?」
「薄いところは割った。だが奥まで手が届かない」
水路に沿って歩き、周囲を確かめたゼフィが言った。
「まず上流から見よう」
ノートを出し、作業場と曲がり角の位置を描いた。水路は途中で石の下へ入り、短い距離を流れて、また外へ出る造りだった。
その入口に枝と枯れ葉が引っかかっている。
用意してもらった長い棒をカイルが差し入れると、枝が一本動いた。その下には氷があった。
「固まってるな」
棒の先で押しても、枝は抜けなかった。
リシェも少し離れたところから覗いた。枯れ葉の向こうに、布のようなものが見える。
「何か絡まっています」
顔を近づけた持ち主が言った。
「袋か……。上流から流れてきたのかもしれない」
カイルが棒を引いた。
「無理に押し込んだら、もっと奥で詰まりそうだ」
行き場をなくした水が、低いところへ溢れ始めていた。
*
上を覆う石板を外せば、手が届くかもしれない。
端を確かめたカイルがすぐに首を振った。
「これを動かすなら、道具と人数がいるな」
入口へ戻って氷の厚さを見たゼフィが、リシェへ顔を向けた。
「君の炎で手前の氷を少し緩められるかな」
「ここに当てるんですか?」
「うん。ただ布や枝を燃やさないようにしたい。できそう?」
距離を見た。練習で使っていた的より近い。でも、狙う場所は狭かった。
「近くなら試してみたいです」
「分かった、まず一度。難しければ別の方法にしよう」
ゼフィが立つ位置を示した。カイルがフィエルを呼び、少し下がる。
その背から飛んだロギが、リシェの肩へ戻った。赤い鳥の姿のままだった。
『石を狙うときより、少し下だね』
『うん』
滑らないところへ両足を置き、片手を上げた。
『ロギ。力を貸して』
『いいよ』
小さな炎が生まれた。形を保ち、入口の端へ意識を向ける。
炎が手元を離れた。
赤い光が石の縁へ触れ、消える。
少し上だった。
「外しました」
「うん。狙った場所より上だったね」
ゼフィの言葉に、もう一度氷を見た。
枝ではない。
白く固まった、その手前。
息を整え、次の炎を生んだ。
*
今度は氷の端へ届いた。
小さな音がして、水が一筋流れた。
「あ」
カイルも身を寄せた。
「動いたな」
棒を差し入れると、さっきより少し枝が揺れた。まだ抜けない。
確認してから、ゼフィがリシェへ目を向けた。
「もう一度だけ同じところへできる?」
「はい」
三度目の炎は、少し細くなった。それでも氷へ届き、水が滴る。
カイルが棒で枝を引くと、今度は手前へずれた。
「よし。ここからは任せろ」
手を下ろした。ほっとした途端、膝から力が抜けそうになり、ゼフィの手が肩を支えた。
「ここまでにしよう。少し休もうか」
「……はい」
肩の上で、ロギが顔を覗き込んだ。
『二度、ちゃんと届いたよ』
小さく頷いた。
カイルが枝を外し、絡まった袋を引き寄せる。ゼフィに支えてもらいながら水路の脇へ下がった。
最後の枯れ葉が取り除かれると、水が流れ始めた。濁ったものが押し出され、石の間を進んでいく。
持ち主の男性が声を上げた。
「流れた!」
リシェも顔を上げた。
氷はまだ残っている。でも、水はその間を通っていた。
*
「下流も確かめてくる」
濡れた袋を置き、カイルが言った。
「流れた枝が別のところに引っかかってるかもしれない」
持ち主が水路の続く先を示した。木立を抜けた向こうでもう一か所、石の下を通っているという。
ゼフィがリシェへ目を向けた。
「私はこの子を作業場へ戻してくるよ」
「分かった。フィエルも来る?」
カイルの声に、銀白色の耳が立った。フィエルはリシェのそばへ寄ってから、水路の先を見た。
リシェはしゃがんで、その背を撫でた。
「行っておいで。私は先生と休んでるから」
手へ鼻を押しつけたフィエルが、カイルを追って木立へ向かった。
ロギは肩に残った。
*
作業場では、火の入った暖炉のそばへ座らせてもらえた。ゼフィが渡してくれた水の器を、両手で持った。
「思ったより疲れました」
「狙いを変えながら、続けて使ったからね」
「でも氷が溶けました」
「うん。役に立ったね」
ゼフィが頷いた。
器へ目を落とした。
的の石に当てるのとは違った。失敗したら、そこにある枝や袋を燃やしてしまうかもしれない。それを考えると、腕も肩も固くなった。
次はもう少し落ち着いてできるだろうか。
暖炉の音を聞きながら休んでいると、扉が開いた。
「戻ったぞ」
カイルだった。その足元からフィエルが駆けてきた。
「おかえり」
手を伸ばすと、膝へ前脚をかけてきた。毛が少し濡れている。
そして、強い誇らしさが伝わってきた。
「何かあったの?」
「こいつに助けられた」
カイルが見せた上着の袖には泥がつき、肘の辺りが擦れていた。
*
下流では、小さな枝が石の入口に引っかかっていた。カイルがそれを取り除こうとしたとき、奥から灰色の魔獣が飛び出したのだという。
「水が来て隠れていられなくなったんだろうな。俺が近づいたら、そのまま向かってきた」
フィエルを見た。
「カイルさんを守ったの?」
「横からぶつかって止めてくれた。俺が体勢を戻すまで、相手も押さえてくれてさ」
フィエルのそばへしゃがんだゼフィが、脚と体を確かめながら、カイルに動きを尋ねた。
「追いかけすぎなかった?」
「ああ。一度止まってた。相手が動いたところへ、もう一度入ったんだ」
ゼフィが頷いた。
「練習したことを使えたんだね」
フィエルの尾が揺れ、その喜びが胸へ届いた。
間に合った。
役に立てた。
そういう気持ちが、はっきり分かった。
「頑張ったね」
柔らかな背を撫でると、フィエルが手へ体を寄せた。
カイルも隣へ腰を下ろした。
「ありがとうな」
差し出された指へ、フィエルが鼻を近づけた。
*
持ち主の男性と流れを確かめ、報告に必要なことをまとめてから、三人は作業場を出た。水路では、水が石を越える音がしていた。
「お前の炎助かったよ」
帰り道、カイルが言った。
「氷を少し溶かしただけです」
「その少しが欲しかったんだ。全部燃やされたら困るし」
少し笑った。
足元ではフィエルが歩いている。ロギがその背へ降りると、銀白色の尾と長い赤い尾羽が、一緒に揺れた。
「南への護衛、受けることにした」
カイルが続けた。
「三日後に出る。戻るまで少しかかるかな」
「気をつけてください」
「そっちもな。次に会ったら炎はもっと飛ぶ?」
「練習します」
「フィエルも、また強くなってそうだ」
呼ばれたように顔を上げたフィエルの隣を、カイルが笑って歩いた。
指先には、もう炎の温かさは残っていない。それでも、氷へ届いた赤い光は、はっきり覚えていた。
自分が休んでいた間に、フィエルも仲間のために動いた。
帰ったら二人ともゆっくり休もう。
歩幅を緩め、フィエルの歩く速さに合わせた。




