第八十話 冬の灯り
窓を開けると、庭が白かった。
土の見えていた道にも、鉢を並べた台にも、薄く雪が積もっている。
向かいの屋根から、白い塊が落ちた。
ぱさり、と音がする。
「雪……」
肩へ飛んできたロギが、外を覗いた。
「昨日の夜から降っていたね」
「積もると思ってなかった」
窓枠に残った雪へ指を伸ばした。触れると、すぐに冷たさが伝わる。
足元で前脚を伸ばしたフィエルが、リシェの服を引くように鼻を寄せ、それから扉を見た。
「外に行きたい?」
尾が揺れた。窓を閉めて上着を取った。
*
庭へ出たフィエルは、最初の一歩で止まった。前脚が少し沈む。顔を下げて鼻を近づけると雪がつき、すぐに顔を上げて舐めた。
リシェは笑った。
「冷たいでしょう」
フィエルがもう一度前へ出た。足元が崩れる。
次の一歩は大きかった。
白い地面へ、ぽんと跳ぶ。
雪が散り、銀白色の体が少し沈んだ。
『楽しそうだね』
肩からロギが言った。
振り返ったフィエルから、弾むような喜びが伝わってきた。
もう一度跳ぶ。
今度は、少し遠くまで。
リシェも庭へ足を踏み出した。靴の下で雪が小さく鳴ると、フィエルがすぐに戻ってきて、足元を一周した。
「待って。そんなに速く歩けないよ」
呼びかけながら笑った。
その背へロギが降りようとしたが、フィエルはちょうど、また跳ぶところだった。赤い鳥が慌てて浮き上がる。
『今日は乗らない方がよさそうだ』
『前にもそう言ってたね』
リシェの返事に、ロギが首を傾けた。
『大きくなったから、落ち着いたかと思ったんだけど』
フィエルは二人を見上げたあと、雪のついた草へ鼻を向けた。
*
朝食を終えると、イネスと庭の鉢を確かめた。
寒さに弱いものは、先に建物へ移してある。外に残した株も、葉の上の雪をそのままにしてよいものばかりではなかった。
「触る前に聞いてね。凍っている葉は折れやすいことがある」
「はい」
札を読み、決められた鉢を運んだ。
作業室では、トーマが紙の束を持って待っていた。
「冬の市に出すもの、こちらで合っていますか?」
受け取った紙へ目を通し、イネスが答えた。
「うん。展示用の鉢は午後にまとめよう」
顔を上げた。
「また広場に出すんですか?」
「今回は建物の中。外だと見せる前に株が傷みそうだから」
紙を机へ置いて続ける。
「夕方には灯りもつくらしい。街が飾られていたよ」
窓の外を見た。雪で白くなった庭の向こうに、街の屋根が続いている。
秋の祭りとは、また違う景色になるのだろう。
*
数日後、リシェは展示の手伝いに出かけた。
建物の中には、いくつもの台が並んでいた。植物だけではない。織物や木工品、保存食。小さな道具を見せながら、使い方を説明している人もいる。
イネスの隣で鉢を置き、札を前へ向けた。来た人が読めるか確かめ、葉に触れそうな位置の紙を少しずらす。
準備が済むと、イネスが頷いた。
「ありがとう。夕方までは私がいるから、ほかも見ておいで」
「いいんですか?」
「うん。戻る時間だけ覚えていて」
礼を言って鞄を持つと、肩でロギが身を乗り出した。
『あっちの動いていたものが見たい』
指す先では、小さな木の鳥が台の上を揺れていた。人が下の取っ手を回すと、翼が動く。
近づいて仕組みを見ると、ロギも首を伸ばした。
見せていた職人が、肩の赤い鳥に気づいて笑った。
「本物にはかなわないね」
ロギが胸を張った。
『もちろん』
笑いをこらえながら、もう一度、木の鳥の翼を見た。
*
夕方、仕事を終えて外へ出ると、空が青く暗くなり始めていた。
通りの端に雪が寄せられ、店先には灯りがともっている。広場へ続く道の上にも、いくつもの灯りが並んでいた。
足を緩めた。
明るいところを人が歩き、吐いた息が白くなる。屋台から湯気が上がっていた。
「リシェ!」
呼ばれて振り返ると、リリが手を振っていた。ニルスとハンナも一緒だった。
「お仕事、終わった?」
「うん。片づけも済んだよ」
「じゃあ、一緒に見よう!」
リリの手を取った。手袋の中でも、少し冷たかった。
リシェの上着を見て、ハンナが尋ねた。
「寒くない?」
「大丈夫です」
「冷えたら、先に戻ろうね」
頷いた。
広場の中央には、大きな灯りの飾りがあった。細い枠へ色のついたものを張り、中から照らしている。近くで見ると、いくつかの色が雪へ落ちていた。
赤いところへ靴を置き、リリが言った。
「ここ、見て」
白い雪が、赤く見える。
次は隣の黄色へ。
ニルスも自分の足元を見た。
「踏むと形が変わるな」
三人で少しずつ位置を変えた。リシェは顔を上げ、飾りと地面を見比べた。
ロギの尾羽にも、灯りの色が重なっていた。
*
屋台で温かい飲み物を買い、広場の端へ寄った。両手で器を持つと、指先へ温かさが戻る。
フィエルが鞄の中から鼻を出していた。
「今日は歩かせないの?」
「人が多いから。足元も滑るし」
「前より、いっぱいになってるね」
「うん。大きくなったの」
鞄を覗き込んだリリの方へ、フィエルの耳が向いた。
「私、持てるかな」
「前より重いよ」
「少しだけ」
飲み物をハンナへ預け、鞄の持ち手をリリに渡しかけると、ニルスがすぐそばへ来た。
持ち上げた途端、リリの腕が下がった。
「……重い」
支え直すと、フィエルが何が起きたのか分からない様子で二人を見た。
ニルスが笑った。
「言っただろ」
「リシェはずっと持ってるのに」
鞄を肩へ掛け直した。自分も、最初はすぐに肩が痛くなった。少しずつ増えた重さだから、持てるようになっているのかもしれない。
ハンナから器を受け取った。
「でも、長く歩くと疲れるよ」
「じゃあ座ろう」
リリがすぐに近くの腰掛けを指した。
*
座っていると、向こうからゼフィが歩いてきた。足を止め、リシェたちへ顔を向ける。
「こんばんは。みんなで来ていたんだね」
「先生も見に来たんですか?」
「買い物の帰りだよ。思ったより賑やかだった」
手には小さな包みがあった。
席を詰めて、リリが言った。
「ここ、空いてる」
「ありがとう」
ゼフィが隣へ座ると、ロギがその肩へ移った。嘴で髪を軽くつつく。
赤い鳥を見て、ゼフィが小さく笑った。
「君もいろいろ見てきた?」
ロギが首を傾けた。
『木の鳥がいたよ』
届いた声を、代わりに伝えた。
「翼が動く木の鳥を見てきました」
「それは面白そうだね」
ニルスが展示の場所を説明し、ハンナは明日まだ開いているか尋ねた。
話している間に、広場の向こうから笛の音が聞こえてきた。
速い曲ではなかった。
人の声が少し静かになり、灯りの下へ顔が向いた。リシェも器を膝へ下ろした。
白い息が、ゆっくり消える。
秋の祭りでは、人の輪の中で踊った。今日は座って、温かいものを飲みながら音を聞いている。
寒い季節にも、街へ出たくなる日があるのだと知った。
*
帰り道、ゼフィは施設の近くまで一緒に歩いてくれた。
ポルテの家族とは、広場を出たところで別れた。リリは眠そうだったが、最後まで手を振っていた。
「冬になると、森にはあまり行けませんか?」
「天気と場所によるね。雪が積もると道も足場も変わる。今まで行けたから大丈夫、とは考えない方がいい」
頷いた。
「でも、冬にしか見られないものもある。準備をして、行ける日に少しずつ見ていこう」
「はい」
門が見えてきたところで、鞄を持ち直した。フィエルは中で眠っている。
ゼフィの肩から戻ったロギが、リシェの首元へ身を寄せた。
『寒い?』
『少し。でも部屋はもうすぐだから』
施設の窓には、灯りがついていた。
ゼフィへ礼を言って門をくぐり、部屋へ戻ると、最初にフィエルを布へ下ろした。丸くなった体へ、赤い鳥がそっと降りる。
上着を脱ぎ、冷えた手を擦った。
窓の向こうでは、庭が薄く白く光っていた。その先の街には、まだ灯りがともっている。
今夜はエマへの手紙に書きたい景色が一つ増えた。
紙を取ろうとして、先に手を温めることにした。
あの広場の色は、明日になっても忘れない気がした。




