第六十六話 荷台に乗らないもの
ポルテの裏に、見覚えのある木箱が並んでいた。
足を止めると、蓋を開けた箱の前で、エリオが紙と品物を見比べていた。少し離れたところでは、ローレンが馬車の車輪を確かめている。
「エリオ」
呼びかけに、黒髪の少年が顔を上げた。
「お、来た」
「また売りに行くの?」
「今日は荷造り。明後日出るんだ」
鞄の持ち手を握り直した。
「……もう?」
「もうって。結構いたぞ」
笑ってから箱へ目を戻し、エリオが続けた。
「父さん、次の街で待ってる相手がいるんだって」
彼らがいつか出発することは知っていた。商品を売るために、この街へ来たのだ。
ポルテへ行けばエリオがいることに、いつの間にか慣れていた。
「そっか」
短く答えると、紙を持ったままこちらを見た。
「今日、時間ある?」
「午後は空いてるよ」
「じゃあちょっと手伝って。数が合わない」
荷物を壁際へ置いた。
「何を数えるの?」
「これ。小さい袋」
差し出された箱には、布の袋が何枚も入っていた。エリオの隣にしゃがんだ。
*
「十八」
「こっちは十七」
エリオが紙を見た。
「合わせて三十五。やっぱり一つ足りない」
「売った分は?」
「こっちに書いてある」
指された欄を一緒に読んだ。
運んできた数。売れた数。残っているはずの数。
計算は合っている。だが、箱に入っている袋が一つ少ない。
二人でもう一度数えた。結果は変わらなかった。
「どこかに落ちてる?」
箱の下を覗くと、エリオも周囲を探し始めた。見つかったのは紐の切れ端だけだった。
そこへローレンが戻ってきた。
「どうした?」
「袋が一つ足りないんだ」
「見本は数えたかい?」
エリオの手が止まった。
別の荷物から、ローレンが小さな袋を取り出した。口が開き、中に詰める品を見せられるようになっている。
「あ」
「売る品と、見せる品を分けたんだったね」
「……忘れてた」
袋を受け取って紙へ書き足すエリオの横顔を見た。
いつも商売のことを教えてくれるエリオにも、忘れることがある。
目が合うと、少し顔をしかめた。
「笑うなよ」
「まだ笑ってないよ」
「今、笑いそうだった」
こらえきれずに笑うと、エリオも息を吐いた。
「よし。合った」
袋をまとめて箱へ入れ、蓋を閉める前にもう一度紙を確かめた。
*
荷造りの間、フィエルはリリと一緒に日陰で過ごしていた。
床に置いた布の端をリリが動かすと、フィエルの前脚が伸びた。もう一度動かすと、今度は布を押さえられ、リリが声を上げて笑った。
「エリオも別のところに住むの?」
遊ぶ手を止めずに尋ねる。
「次の街へ行くんだよ」
「戻ってくる?」
「そのうちな」
「いつ?」
「まだ分かんない」
リリが顔を上げた。
「大人もそう言う」
「決まってないんだから、しょうがないだろ」
エリオの返事に、荷物を運んでいたニルスが口を挟んだ。
「約束して帰ってこないよりいいだろ」
少し考えてから布を動かし、リリがフィエルへ向き直った。
「じゃあ、決まったら教えて」
「分かった」
箱を持ち上げたエリオが、ローレンに言われた場所へ置き、積み方を確かめた。
旅の途中、リシェへ商品を見せてくれたときとは違った。袋を運ぶだけではない。何を先に出すか、どこなら崩れないか、自分でも考えている。
空になった箱を畳みながら、その動きを見ていた。
*
出発の朝、ポルテの食堂はいつもより早くから人が動いていた。
リシェが着くと、ハンナが入口から手を振った。
「間に合ったね。まだ食べてるよ」
奥の席で、エリオがパンを口へ運んでいた。隣のローレンは、ブルーノと道の話をしている。
「リシェ。座りな」
ハンナが椅子を引いてくれた。
「朝ご飯は?」
「食べてきました」
「それならお茶だけ」
礼を言って座ると、鞄から顔を出したフィエルを見て、エリオがパンを飲み込んだ。
「ちゃんと起きてるな」
「エリオもね」
「俺はいつも起きてるだろ」
「馬車でよく寝てたよ」
「あれは揺れるから」
二人で笑った。
だが食事が終わると、エリオはすぐに椅子を引いた。
「父さん、荷物見てくる」
「頼むよ」
リシェも立ち上がった。
昨日まで机に置かれていた紙はもうない。食堂の隅に寄せてあった荷物も、外へ運ばれていた。
扉を出ると、馬車の荷台がほとんど埋まっていた。積まれた箱の隙間へ、エリオが布を押し込む。
「これでいいかな」
確かめたローレンが紐を引いた。
「ああ。道が悪いところでは、また見直そう」
荷台を見上げた。ここへ来るときには、もっと品物があった。売れたものがあり、新しく積んだものもある。
次の街へ着く頃には、この中身も少し変わるのだろう。
「リシェさん」
ローレンに呼ばれ、振り返った。
「この街では、エリオとよく付き合ってくれてありがとう」
「私もたくさん教えてもらいました」
「それならよかった」
笑って、ローレンが続けた。
「研究施設の仕事も、無理をしないようにね」
「はい。ローレンさんもお元気で」
ブルーノとハンナが見送りに出てきた。ニルスは扉を押さえ、リリがその前へ立つ。
しばらくして、通りの向こうからゼフィが歩いてきた。
「間に合ったかな」
「ええ。これからです」
ローレンが手を差し出した。二人が挨拶を交わしている間に、エリオが荷台の端へ座った。
足元の荷物を寄せ、それからリシェを見た。
「お前はまだここにいるんだよな」
「うん。もっと勉強したいことがあるから」
「そっか。次に会ったら、また知らない草の名前を教えてくれよ」
「エリオも知らない品物を教えて」
「前に見せたやつ、覚えてる?」
「香辛料と、蜜と、油と……」
「よし。忘れられてない」
笑うエリオに笑い返したが、次の言葉は少し遅れた。
「……また会えるかな」
荷台から通りへ目を向け、エリオが答えた。
「父さん、アルセインにはまた来るって言ってた」
「いつ?」
「まだ分かんない」
リリがすぐに顔を上げた。
「それ、私にも言った」
「だから決まってないんだって」
周りで笑いが起き、リシェも口元を緩めた。
決まっていなくても、来るつもりはある。それだけでも少しうれしかった。
「手紙、出してもいい?」
「次に落ち着いて売るところが決まったら、父さんからポルテに知らせるよ」
ローレンも振り返った。
「ブルーノに連絡する。そのときに宛先も伝えてもらおう」
「分かりました」
頷いた。
書く相手が、もう一人増えた。
*
馬車が動き始めると、リリが大きく手を振った。
「またね!」
ニルスも扉の前から片手を上げた。ハンナは通りへ出すぎないよう、リリの背に手を添えている。
フィエルを片腕に抱き、もう片方の手を振った。
エリオが振り返る。
「元気でな!」
「エリオも!」
車輪が石を踏み、小さく揺れた。エリオは一度荷物へ手を置き、ずれないことを確かめてから、またこちらを見た。
馬車が角へ近づく。ローレンが最後に手を上げ、二人の姿が建物の向こうへ消えた。
もう見えない角を、しばらく眺めていた。
オルテンを出たときは、自分が馬車に乗っていた。
今日は見送る方だった。
腕の中で顔を上げたフィエルに頬を寄せ、ゆっくり息を吐いた。
「行っちゃったね」
そばに立っていたゼフィが頷いた。
「うん」
通りへ目を戻した。別の荷車が角を曲がってくる。パンを買った人が、その前を急いで渡った。
馬車が去っても、街は動いている。
「私も帰ります」
「施設へ?」
「はい。今日は昨日の続きを見るので」
ポルテの家族に挨拶をした。リリがフィエルの頭をひと撫でし、ハンナがまた来るよう声をかけた。
門へ続く道を歩き始めると、鞄につけた青い花飾りが揺れた。それに触れて、思い出した。
エマへの手紙にも、書こう。
商隊で友達になった少年のこと。
一緒に数えた袋のこと。
今日、次の街へ出発していったこと。
エリオが覚えていてほしいと言った品物の名前も、忘れないうちにノートへ残しておこうと思った。




