↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の瞳に映る世界  作者: 夏椿
出会いがひらく世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
55/81

第五十五話 宿屋ポルテ


 アルセインの入口には、荷馬車の列ができていた。


 先頭が進むと、リシェたちの馬車も少し動く。荷台を確かめる人たちの向こうに、通りを歩く人の姿が見えた。


 坂の上から眺めた街が、もう目の前にある。


 入口を抜けると、膝の上のフィエルを抱き直した。


 軒先に吊られた鍋。積み上げられた布。籠いっぱいの丸いパン。


 香ばしい匂いに顔を向けた途端、反対側から声が飛んできた。


「そっち、通るよ!」


 樽を載せた荷車が、馬車のすぐそばを抜けていく。思わず背筋を伸ばした。


 一つの店を見ている間に、次の店が通り過ぎてしまう。人の頭の向こうにも看板があり、その先にも道が続いていた。


「あれは、何のお店でしょう」


 細長い板や丸い枠の並んだ店を指すと、向かいのゼフィが顔を向けた。


「織物に使う道具を売っているんだ」

「布を作る道具ですか?」

「そう。布を売る店とは別に、こういう店もあるんだよ」


 振り返ったときには、その店はもう後ろだった。


 今度は紙を束ねて積んだ店が見えた。入口から出てきた人が、抱えた紙を落としかけて慌てている。その隣では、腰に剣を下げた二人が立ち話をしていた。


 フィエルも鞄から顔を出し、忙しく鼻を動かしている。


「見るもの、いっぱいだね」


 囁くと、小さな耳がこちらへ向いた。


     *


 馬車が止まるなり、周囲が慌ただしくなった。


 荷物を下ろす人。馬を引いていく人。到着を待っていたらしい人。


 旅の間は一列になって進んでいた商隊が、広場で少しずつほどけていく。


 荷物をまとめ、座席の下まで確かめていると、外からルークが声をかけた。


「忘れ物は?」

「ありません」

「本も?」

「あります」

「よし。そいつを忘れたら、途中で引き返しそうだからな」

「引き返しません」


 答えてから、少し迷った。


「……でも、探しに来ると思います」


 ルークが笑った。


 荷物を受け取ってもらい、馬車を降りた。足元が動かないことに、まだ少し違和感があった。


 近くでは、エリオが父親から渡された袋を運んでいた。


「リシェ、宿は?」

「まだ決めてないの」

「じゃあ、ポルテは? 俺たちそこに泊まるんだ」


 ローレンが顔を上げた。


「部屋が空いているか、聞いてみよう。前に泊まったときは、食事もおいしかったよ」

「煮込みがうまかった」


 エリオが付け足す。


「パンを浸して食べるんだ。最後まで」

「覚えていることが、そればかりだね」

「大事だろ」


 リシェは笑った。


「一緒に行ってもいいですか?」

「もちろん」


 行き先が決まると、少しほっとした。街には宿がたくさんあるのだろう。でも、どこなら泊まれるのか、いくらかかるのか、今のリシェには分からなかった。


「ゼフィリスさんも、どうです?」


 ローレンが声をかけた。


「私は先に寄るところがあるから、あとで訪ねてみようかな」

「では、ブルーノに伝えておきます」

「ありがとう」


 自分の荷物を肩に掛けたゼフィを見上げた。


「この街には来たことがあるんですか?」

「何度も来ているよ。知り合いもいるから、顔を見に行こうと思って」


 だから、街に入っても驚いた様子がなかったのだ。


 通りへ目を向け、ゼフィが少し笑った。


「店が変わっていることもあるけどね」

「さっきの道具のお店も?」

「あそこはずっとある。私が初めて来たときから」


 もう見えない店の方を振り返った。その間にも、広場へ新しい馬車が入ってくる。


「またあとで、リシェ」

「はい」


 人の流れに入り、通りを曲がっていく姿を見送ってから、セリナとルークのところへ戻った。


「いろいろ、ありがとうございました」


 手元の書類から、セリナが顔を上げた。


「無事に着いてよかったね。疲れたでしょう?」

「少し。でも楽しかったです」

「雨の中で待ったのも?」


 ルークに尋ねられ、首を振った。


「それは長かったです」

「正直でよろしい」


 セリナも笑った。


 鞄の口を少し下げ、フィエルの顔を見せた。


「でも、フィエルが走れるようになりました」

「ああ。今度は一緒に歩けるね」

「はい」


 誰かが商隊長を呼んだ。セリナがそちらへ返事をしてから、リシェへ向き直る。


「元気でね、リシェ」

「セリナさんも、ルークさんも」


 頭を下げると、ルークの手が軽く肩に触れた。


「街の中でも、夢中になって迷うなよ」

「気をつけます」


 顔を上げ、もう一度二人を見た。それから、待ってくれているエリオたちの方へ歩き出した。


     *


 宿屋ポルテの入口では、少年が箒を動かしていた。馬車が近づくと手を止め、顔を上げる。


「泊まりですか?」

「ああ。ブルーノはいるかな?」

「呼んできます。馬車は裏へどうぞ」


 少年が扉の中へ消えた。


 建物の脇から裏へ回ると、荷物を下ろせる場所があった。馬車が止まるより先に、宿の中から男が出てくる。


「ローレンじゃないか!」

「久しぶり、ブルーノ」

「今回は遅かったな」

「途中で雨に足止めされてね」

「それなら、まずは休まないとな。エリオも来たのか」

「来たよ。荷物どこに置けばいい?」

「そこへ。部屋へ運ぶ分とは分けておけよ」


 荷台を示してから、ブルーノがリシェへ顔を向けた。


「こちらは?」

「同じ商隊で来たリシェさんだ。部屋があれば、泊まりたいそうなんだけど」

「リシェです」

「私はブルーノ。この宿の主人だ。空きを確かめよう。中へどうぞ」


 荷物を持ったところで、入口から女の子が顔を出した。


「父さん、お客さん?」

「そうだよ。荷物を運ぶから、道を空けておくれ」


 脇へ寄った女の子が、リシェの鞄を見て目を丸くした。


「狐?」

「魔獣だよ。フィエルっていうの」


 フィエルも顔を出し、女の子を見た。


「泊まるの?」

「部屋が空いてたら」

「母さん! 狐も泊まる!」


 中へ駆けていく女の子を、箒を片づけていた少年の声が追いかけた。


「リリ、走るな!」


 リシェは少し笑って、宿の扉をくぐった。


 中には食堂があった。机がいくつも並び、奥からは煮込みの匂いがする。椀を重ねていた女性が手を止め、こちらへ来た。


「いらっしゃい。リリが騒いでごめんなさいね」

「ハンナ、こちらはリシェさん。小さい部屋は空いていたか?」

「ええ。今朝、出たお客さんの部屋が使えるよ」


 ハンナがリシェに向き直った。


「私はハンナ。部屋は上にあるの。食事もここで取れるけど、どうする?」


 宿代と食事のことを聞き、財布の中身を確かめた。泊まれば、その分だけお金は減る。だが、今日からまた外で眠るつもりはなかった。


「まずは三日お願いします。食事も」

「分かった。途中で延ばしたくなったら、早めに教えてね」


 代金を渡すと、ハンナが息子を呼んだ。


「ニルス、部屋へ案内してくれる?」

「うん」


 リシェの荷物へ手を伸ばし、少年が言った。


「重い方、持つよ」

「ありがとう」


 鞄を抱えると、リリもすぐについてきた。


「私はリシェ。十歳だよ」

「十歳?」


 リリが顔を見上げた。


「私、八歳」

「俺は十二歳。ニルス」


 階段を上りながら、少年が名乗った。


「リリ、先に行かない」

「扉を開けてあげるの」

「どの部屋か知らないだろ」


 足を止めたリリを見て口元を緩めながら、二人の後を上った。


     *


 部屋には寝台と小さな机があり、窓から通りが見えた。


 ニルスが荷物を置くと、リリが鞄の前にしゃがんだ。


「触っていい?」

「ゆっくりなら」


 外へ出たフィエルが、小さな手の匂いを嗅いだ。指先が頭に触れても、嫌がる様子はない。


「ふわふわ……」


 声を落としたリリのそばで、ニルスも少し腰をかがめて見ていた。


「外に出るときは、一緒にいてね。裏は馬車が入るから」

「うん。気をつける」


 兄妹が出ていくと、部屋が静かになった。


 窓を開けた。向かいの建物の前を人が歩いている。荷車の音が近づき、また遠ざかった。


 足元へ来たフィエルのそばにしゃがみ、柔らかな背を撫でた。


「着いたね」


 小さな鼻先が手に触れた。


 荷物から本を出して机へ置き、ノートと筆記用具も隣へ並べた。馬車の中では揺れるたびに押さえていたものが、今は動かずにそこにある。


 椅子に座った。少し休むだけのつもりで寝台へ目を向けると、フィエルが先に、その下で丸くなっていた。


     *


 夕食を呼ぶ声に顔を上げた。


 ノートを開いたまま、机に伏せていたらしい。窓から差す光が、いつの間にか弱くなっている。


 下へ降りると、エリオが席を取っていた。


「こっち」


 隣へ座った途端、ハンナが湯気の立つ椀を置いてくれた。


「お待たせ。熱いから気をつけてね」


 柔らかく煮えた肉と野菜が入っていた。一口食べると、次の一口をすぐにすくった。


「おいしい?」

「うん」

「言っただろ」


 エリオが少し得意そうな顔をした。


 ローレンとブルーノが話している横で、エリオも明日の荷物について尋ね始めた。話が途切れたところで、リシェは口を開いた。


「採集者ギルドは、この近くですか?」

「歩いて行けるよ」


 椀を運んできたニルスが答えた。


「仕事を探すの?」

「うん。オルテンでも、薬草を採ってたの」

「それなら、道を教える。宿を出て右に——」

「待って。書いてもいい?」


 ノートを取りに戻った。席へ帰ってくると、リリが隣に座っていた。


「図書館もあるよ」

「行ったことあるの?」

「ある。すごく本があるの」


 鉛筆を止めた。


「植物の本も?」

「そこまでは見てない」

「まずギルドの道だろ」


 ニルスに言われ、リリが椀を引き寄せた。


 教えてもらった道を描いた。宿からパン屋の角まで。そこを曲がり、井戸のある広場を通って、その先へ。


 線のそばに目印を書き足していく。


「分からなくなったら、店の人に聞けばいいよ」

「ありがとう」


 図を見直していると、入口でブルーノの声がした。


「ゼフィリス! 久しぶりだな」


 顔を上げると、ゼフィが立っていた。


「久しぶり。ローレンから話は聞いた?」

「ああ。前に使った部屋が空いてるよ。今回もギルドから呼ばれたのか?」

「今回は自分の用事だよ。調べたいことがあってね」

「そうか。荷物はあとにして、まず食べていきな」


 席を示したブルーノに礼を言い、ゼフィがこちらへ来た。


「少しは休めた?」

「はい。寝てしまいました」

「馬車でも、あまり眠っていなかったからね」


 その視線が、鞄の中のフィエルへ向いた。


「こちらも眠そうだ」


 フィエルの瞼がゆっくり下りていた。足元の静かな場所へ鞄を寄せた。


「明日は採集者ギルドへ行きます。ニルスが道を教えてくれました」


 ノートを見せると、ゼフィが描かれた図を見た。


「うん。目印があると分かりやすいね」

「ゼフィさんは?」

「冒険者ギルドに顔を出すつもりだよ。そのあとも、何人か会いに行きたい人がいるんだ」


 それぞれに、明日の予定がある。


 ノートを閉じ、残っていた煮込みをすくった。食堂の窓の向こうでは、通りの店が明かりを灯し始めていた。


 明日はあの通りを自分で歩く。


 迷わず着けるだろうか。


 少し心配になって、閉じたノートに手を置いた。それから、ニルスが描き足してくれたパンの看板を思い出した。


 まずは、あの角まで行ってみよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。