第四十九話 かごの向こうの花
「今日は、俺も持ってきた」
エリオが小さなかごを掲げた。リシェは自分の手元を見て、それから笑った。
「二つもいるかな?」
「昨日よりたくさん見つかるかもしれないだろ」
かごの底にはまだ何も入っていない。それなのに、もう半分くらい採れたような顔をしていた。
商隊は昼の休憩を少し長く取り、馬を休ませていた。道の脇に広がる草地の向こうには、木々がまばらに立っている。足元まで日の光が届き、草の間に小さな花が幾つも見えた。
今回は、ルークたちの狩りにも同行できることになっていた。ただし、同じ場所まで行くだけだ。そこから先は、採取する人と狩りをする人に分かれる。
「フィエルは?」
エリオが鞄を覗いた。
「一緒に行くよ」
銀白色の耳が鞄の口から見えている。フィエルは、リシェがかごを持ったときから外へ出たそうにしていた。抱き上げると鞄へ入るのも嫌がらず、今は落ち着いている。
馬車の前にはルークとほかの護衛、それに採取へ向かう大人が集まっていた。リシェたちが近づくと、ルークが二人のかごを見比べた。
「やる気は十分だな」
「今日は俺も見つける」
「昨日も見つけただろ」
「最初から自分で」
エリオが言い直すと、ルークが笑い、腰に下げた荷物を確かめた。
「それじゃ、出る前に聞いてくれ」
その声に顔を上げた。
「採取する場所に着いたら、範囲を教える。その外へは行かないこと。戻るときは声をかけるから、呼ばれたらすぐ集まる。何かあったら、自分で何とかしようとせず、大人を呼ぶんだぞ」
「うん」
「はい」
二人の返事を聞き、ルークが商隊の方へ視線を向けた。セリナが頷く。
「時間になったら出発できるよう、お願いします」
「ああ」
歩き始めたルークたちの後を追った。
街道から少し離れるだけで、足元の音が変わった。踏み固められた土の硬い感触がなくなり、靴の下で草が擦れる。ところどころに落ちている枝を避けながら歩いた。
「ここ、いろいろありそう」
声を落としたエリオに、リシェも頷いた。
馬車から見ていたときより、草がずっと多い。背の低いものの間に細い茎を伸ばしたものが混じり、木の根元には、少し濃い色の葉が集まっていた。
だが、すぐにしゃがみ込むことはできない。前を歩く人たちに遅れないよう、まずは足元を見て進んだ。
やがて、木々の間に小さく開けた場所へ出た。ルークが足を止める。
「採取はこの辺りで」
左手に並ぶ石と、右手の大きな切り株を示した。
「向こうはあの白い幹の木まで。三つとも見えるところにいてくれ。俺たちはこの先を回ってくる」
順に目で確かめた。苔のついた石。広い切り株。周りより明るい、白い木の幹。
エリオも同じように見回していた。
「分かった」
ルークたちが離れると、採取へ来た大人たちも、それぞれ手近な場所へしゃがみ始めた。
リシェはフィエルの鞄を平らな地面へ置き、すぐそばに腰を下ろして口を開けた。フィエルは顔を出したが、今度はすぐに外へ出ようとはしなかった。知らない匂いを確かめるように、鼻を動かしている。
「ここで待っていてね」
撫でると、その手へ顔を寄せてきた。
「リシェ、こっち」
数歩先からエリオが呼んだ。
「昨日のやつじゃない?」
鞄が見える位置まで歩き、隣へしゃがんだ。細長い葉が幾つか重なっている。昨日、二人で採ったものとよく似ていた。
葉の縁を見て、茎の下を確かめた。
「うん。同じだと思う」
「やった」
すぐに手を伸ばしかけたエリオが、途中で止めた。
「ここから採るんだっけ」
頷くと、今度は慎重に葉を摘んだ。指先に収まった一枚を見て、満足そうにかごへ入れる。
「覚えてた」
「うん」
リシェも嬉しくなり、隣の株を確かめた。昨日より育ったものが多い。葉に大きな傷がないか見ながら、使えそうな部分だけを採った。
かごの底が少しずつ緑になる。エリオは一枚摘むたびに、前に採ったものと比べていた。
「これ、ちょっと硬い」
「大きくなりすぎてるのかも」
「じゃあ残す?」
「うん」
手を離し、エリオが次の株へ移った。採れるものと、残すもの。さっきまで全部同じように見えていた葉の違いが、少し分かってきたらしい。
別の草を覗き込んでいると、近くで採取していた大人に声をかけられた。
「それは薬草かい?」
「たぶん。でも、花がまだなくて」
「無理に採らなくてもいい。今日は食べる分があれば十分だからね」
「はい」
葉に触れていた指を離した。本で読んだ姿を思い出そうとしたが、確かめたい部分が足りない。見つけた場所を覚え、今日はそのままにした。
エリオが小さな息をついた。
「どうしたの?」
「腰疲れた」
ずっとしゃがんでいたので、リシェの膝も少し痛かった。二人で立ち上がり、かごを持ったまま背を伸ばした。
木々の間を風が通り、汗ばんでいた首元がすっと涼しくなった。
フィエルのところへ戻り、水を確かめた。こちらを見たフィエルが、前脚を鞄の縁へ掛ける。
「少しだけ歩こうか」
鞄を地面へ寝かせると、前脚を下ろし、後ろ脚もゆっくり続けた。昨日より、動きが滑らかに見える。
すぐには抱き上げず、そばで見守った。
「もう走れそう?」
「まだだと思う。ここ、枝もあるし」
エリオに答える間、フィエルは草の匂いを嗅ぎ、リシェの足元へ戻ってきた。そのまま靴のそばへ座る。
しゃがんで、その背を撫でた。
「元気になったら、もっと歩けるね」
フィエルの耳が動いた。穏やかな嬉しさが伝わってきて、リシェも笑った。
しばらく休んだあと、二人は採取を続けた。今度は少し場所を変え、白い幹の木に近いところを探す。フィエルは鞄へ戻し、肩に掛けていた。
倒れた枝の手前で、エリオがしゃがみ込んだ。
「これ、昨日も見た」
「どれ?」
「この丸いやつ」
隣へ行くと、葉の裏を見せてくれた。昨日、二人で覗き込んだ草と同じだった。
「ほんとだ」
「今日は虫いないな」
「下に隠れてるかも」
茎の根元へ顔を近づけるエリオの横で、リシェはふと木々の向こうへ目を向けた。
草の間に小さな色が見えた。
淡い紫。
風で揺れたのか、一度葉の陰へ隠れ、また現れる。
立ち上がると、エリオも顔を上げた。
「何?」
「あそこに花が」
白い幹の木の向こう側だった。細い茎の先に、花が幾つかついているように見える。
鞄の紐を握り直した。
どこかで見たことがある。オルテンで読んだ本だっただろうか。古い図鑑の、小さな挿絵。
花の下に書かれていた葉の形を思い出そうとして、目を細めた。
「知ってる花?」
「……かもしれない」
もう少し近ければ分かる。ここからでは、葉がほかの草に隠れていた。
同じ方へ顔を向け、エリオが尋ねた。
「どれ? 紫の?」
「うん」
「近くに、ほかにもあるんじゃない?」
二人で足元を探したが、同じ色は見つからなかった。
もう一度、木の向こうを見た。風が止み、花がじっとした。
挿絵に似ていた。
花のつき方も、茎の細さも。
「葉を見たいな」
思わず口にすると、エリオが立ち上がった。
「すぐそこだし、見て戻れば?」
白い幹の木へ目を向けた。ルークが示した、採取できる範囲の端。花は、その少し先にある。
「でも、あの木までって……」
「うん。だから採りに行くんじゃなくて、見るだけ」
そう言って、エリオがこちらを見た。
リシェは花から目を離せなかった。どんな葉なのだろう。本で読んだものなら、本当にこんなところに生えているのだろうか。
一度確かめたら、すぐに戻れる。
近くにいる大人へ声をかけようと振り返ったが、木の根元へしゃがんだ背中しか見えなかった。忙しそうだった。
「……少しだけ」
呟くと、エリオが頷いた。
二人で白い幹の木へ近づいた。そばまで来ると、紫の花がさっきよりはっきり見えた。思っていたより低く、細い草の陰に隠れるように咲いている。
足元の枝を避け、一歩進んだ。
もう一歩。
花の手前へしゃがんだ。
「やっぱり似てる」
細い葉が、茎に沿ってついていた。挿絵では分からなかった小さな毛が、光を受けて見える。
触れようとして、手を止めた。先によく見なければ。
「こっちにもある」
エリオが少し先を指した。木の根元に同じ花が数本まとまっている。こちらの一輪より花が多かった。
立ち上がり、そちらへ目を向けると、鞄の中でフィエルが身じろぎした。
「すぐ戻るよ」
鞄へ手を添え、それからエリオの指した花へ歩いた。
背後の白い幹は、別の木の陰に隠れていった。




