第四十七話 荷物の中の小さな世界
「これ、何だと思う?」
エリオが差し出したのは、親指ほどの小さな包みだった。受け取ってそっと指で挟むと、薄い布の中に硬いものが幾つか入っている。
「種?」
「惜しい」
「木の実?」
「かなり近い」
エリオはいかにも得意そうだった。
商隊がオルテンを出て、三日目。
昼の休憩に入ったところで、リシェはローレンの馬車のそばへ呼ばれていた。荷台の端には小さな木箱が置かれ、中には布包みや蓋つきの容器がきちんと並んでいる。
「開けてみてもいい?」
「いいよ。それは見本だから」
紐を解くと、濃い茶色の粒が三つ出てきた。丸いけれど少し歪んでいて、表面には細かな皺がある。鼻を近づけてみた。
「いい匂い」
「料理に入れるんだ。潰して、ほんの少し」
「これが?」
もう一度、粒を眺めた。そのままでは食べられそうなものに見えなかった。
「俺も最初はこんなの入れたらじゃりじゃりすると思った」
「潰すんだもんね」
「そう。父さんに、丸ごと入れるなよって言われた」
「入れようとしたの?」
「してない。たぶんしそうに見えたんだろ」
包みを受け取ったエリオが、粒がこぼれないよう布を折った。その手つきは昨夜、椀を並べていたときより慎重だった。
「全部売るもの?」
木箱を覗き込むと、エリオが首を振った。
「これは見せる分。売る分は別に積んである」
小さな蓋つきの容器を指す。
「こっちは蜜。こっちは油。布もあるけど、それは父さんに聞いてから」
「どうして?」
「広げると、きれいに戻すのが難しいんだよ」
声を落として続ける。
「一回、端っこを地面につけたことがあって」
リシェが木箱から少し手を引くと、エリオが笑った。
「触っちゃ駄目ってことじゃないって。手が汚れてないか確かめればいいんだ」
自分の手のひらを見た。馬車から降りるときに縁を掴んだので、指先にうっすら埃がついている。
「洗ってくる」
「じゃあ俺も」
二人で手を洗って戻ると、ローレンが木箱のそばに立っていた。
「見本を見せていたのかい?」
「うん。布も見せていい?」
「この端切れなら」
取り出されたのは、手のひらより少し大きな布だった。淡い色の細かな織り目。両手で受け取り、指先で表面を撫でた。
「柔らかい」
薄いのに、向こうが透けるほどではない。鞄の中でフィエルが使っている布とは、感触が違った。
「同じ布でも糸や織り方で変わるんです。着るものに向いた布もあれば、荷物を包むのに向いた布もある」
「これもどこかで作っているんですよね」
「もちろん」
「その人が作ったものを、ローレンさんが別の街へ運ぶんですか?」
「ええ。必要としている人のところへ」
布を光にかざしかけ、途中で止めた。勝手にしてもいいのかとローレンを見る。頷いてくれたので少し持ち上げると、細かな糸が縦と横に交わっていた。
オルテンの店にもいろいろなものが並んでいた。でも、それがどこで作られ、誰が運んできたのかまでは、あまり考えたことがなかった。
今、目の前の荷台に積まれているものも、アルセインに着けば店に並ぶのだろうか。
「蜜も布も、同じ場所から来たんですか?」
「途中の街で仕入れたものもありますよ」
木箱の中を確かめ、ローレンが二つの包みを並べた。片方は先ほどの茶色い粒。もう片方には、細い葉が入っている。
「こうしたものは、少量でも運びやすい。反対に、大きくて場所を取る品は、積める数をよく考えないといけません」
「たくさん売れるものを、たくさん積めばいいんじゃないんですか?」
リシェの問いに、エリオが口を開いた。
「重くなる」
「そう。それに着くまでに傷んでしまうものもある」
葉の包みを持ち上げ、ローレンが続けた。
「湿らせないように運ぶことも、大切です」
「雨が降ったら?」
「覆いを確かめます。濡れてから慌てても、戻せませんからね」
エリオが荷台の上の覆いへ目を向けた。リシェもつられて見上げる。積んである荷物は、ただ馬車に載せておけばいいものではないらしい。
「それから、売れそうでも何でも買うわけではありません」
「どうしてですか?」
「自分がよく知らないものを、確かな品だと言って売ることはできないからです」
少し考えた。
「植物も似ているだけでは、食べていいか分かりません」
「それに近いかもしれませんね」
ローレンが頷いたそのとき、エリオが葉の包みを覗き込んだ。
「これも料理に入れるんだよな。いい匂いがするし」
葉へ視線を戻した。細長い葉が、乾いて丸まっている。
「葉っぱ?」
「そう。ほら」
一枚渡してもらい、折らないように持って裏側を見た。乾く前の形を思い浮かべようとしたが、縁が内側へ巻き込んでいてよく分からなかった。
「これ、どんなふうに生えているの?」
「え?」
「木? それとも地面に生える草?」
エリオが葉と父親を交互に見た。
「……木?」
最後だけ、尋ねるような声になった。ローレンが微笑む。
「木ですよ。ただ、私も育っているところを見たことはありません」
「父さんも?」
「仕入れ先で、乾かしたものを確かめていますからね」
もう一度、葉を見た。ローレンはこれを運び、売ることを知っている。でも、その木がどれくらい大きくなるのか、どんな花が咲くのかは知らない。
自分は反対に、森に生えている植物を知っていても、それがどこの街で、どんなふうに売られているのかは分からない。
「生えているところも、見てみたいです」
「私も、一度見ておくとよさそうですね」
そう言って葉を包みに戻したローレンが、離れたところから呼ばれた。二人へ木箱を任せ、歩いていく。
エリオが包みを並べ直す間に、リシェはさっきの布を返した。そのとき、ふと思いついて尋ねる。
「エリオは、採ったものを売ったことある?」
「自分で?」
「うん」
「ないな。リシェはあるの?」
「オルテンで、薬草を」
「売れた?」
「うん。でも、採ったら全部売れるわけじゃなかったよ。傷んでいるものとか根を残すものとか、気をつけることがあって」
エリオの手が止まった。
「根を残す?」
「また生えてくるように。採り方を間違えると、その場所で見つからなくなるから」
「全部抜いた方がたくさん採れそうだけど」
「そのときだけなら」
しばらく黙ったあと、エリオが木箱の蓋へ手を置いた。
「それ、父さんが言うことに似てる」
「ローレンさんが?」
「一回たくさん売れれば、それでいいってわけじゃないって」
リシェには商売のことはまだよく分からない。だが、次に来たときも植物が育っていることは、大事だった。
箱の中を見渡し、包みが挟まっていないことを確かめてから、エリオが蓋を閉じた。
「休憩の間、近くなら見てもいいかな」
「植物?」
「うん。何かあるかもしれないし」
すぐに頷きかけて、周囲を見た。馬車の向こうには草地があり、その先は低い木々が重なっていた。
「先に聞こう」
「そうだな」
二人でセリナのところへ行き、馬車のそばの草地を見てもいいか尋ねた。
「向こうの大きな木までね。馬車が見えるところから離れないこと。出発の声がかかったら、すぐ戻って」
示された木を目で確かめた。枝を横に広げた、一本だけ背の高い木だった。
「はい」
馬車へ戻り、フィエルの鞄を覗いた。布の上で目を開けている。その姿を見ていると、離れたくないような気持ちがふと伝わってきた。
「一緒に行く?」
鞄を持ち上げると、フィエルが耳を立てた。隣からエリオが覗き込む。
「まだ歩けない?」
「少しは。でも、長くは歩かせたくないから」
「じゃあ近くに何かあるといいな」
二人で馬車のそばから、ゆっくり草地へ入った。足元を見ながら歩くと、すぐに丸い葉を数枚広げた草が目に留まった。
しゃがんで葉のつき方を確かめていると、エリオも隣にしゃがんだ。
「何かあった?」
「これ。知っているものかもしれない」
「売れる?」
葉を覗き込んだまま、リシェは笑った。
「まだ、そこまで分からないよ」
「そっか」
「まずちゃんと確かめないと」
頷いたエリオが、今度は自分から葉の裏を見ようとした。
「こう?」
「うん。千切らないで、そっと」
指を添えると、葉の陰に小さな虫がいた。エリオが顔を近づけた途端、葉の向こうへ逃げていく。
「あ、いた」
「食べられた跡もあるね」
葉の端に、小さな穴が開いていた。
二人で顔を寄せていると、鞄の中からフィエルが鼻先を出した。それを見たエリオの口元が緩む。
「フィエルも確かめるの?」
葉へ鼻を近づけ、すぐに顔を引いたフィエルに、二人は同時に笑った。
見上げると、馬車のそばでローレンが荷台の覆いを直していた。リシェは足元の草へ目を戻す。
今日はまだ何も採っていない。
それでも、エリオが隣で同じ葉を見ていることが少し嬉しかった。




