↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の瞳に映る世界  作者: 夏椿
出会いがひらく世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/94

第四十六話 焚き火を囲む夜


 日が傾く頃には、リシェは馬車の揺れに少し慣れていた。だが、地面へ降りてみると、お尻も背中も固まっている。鞄を抱え直しながら、そっと腰を伸ばした。


「ずっと座ってるのも、疲れるだろ」

「うん。歩いていないのに」

「最初は俺も、座ってれば楽だと思ってた」


 隣で両腕を伸ばしたエリオが、馬車の荷台へ振り返る。


「でも今日はもう移動しないから」


 今夜は街道脇の開けた場所で野営するらしい。馬車が並び、馬が順に外されていく。人々が荷物を下ろし始めると、静かだった場所はたちまち忙しくなった。


 水を運ぶ人。馬を世話する人。鍋や食器を出す人。


 誰もが迷わず動いていることに驚いた。どこから手をつければいいのか、リシェには分からない。


「エリオ、そちらを持ってくれるか」

「うん」


 黒髪の男の人に呼ばれ、エリオが荷台へ近づいた。二人で木箱を持ち上げ、馬車のそばへ下ろす。


「父さん。この子、リシェ。アルセインまで一緒なんだ」


 箱から手を離したエリオが振り返ると、男の人もこちらへ顔を向けた。


「ローレンです。息子が、もうお邪魔していたようですね」

「邪魔してないよ」


 すぐに口を挟んだ息子を見て、ローレンが穏やかな顔に笑みを浮かべた。


「それならよかった」

「リシェです。よろしくお願いします」

「こちらこそ。長い道のりですから、困ったことがあれば声をかけてください」


 リシェが頷くと、次の荷物へ手を伸ばしかけたエリオが、ふと思いついたように父親を見上げた。


「父さん、夕飯の準備、手伝ってきてもいい?」

「この箱を確かめてからなら」

「下ろしたよ?」

「留め具が緩んでいないか、見ておこう」


 エリオが木箱へ目を落とした。リシェも見ると、蓋を押さえている留め具の一つが、少し浮いていた。


「あ」

「揺れたからね。次に積むとき慌てないように」


 ローレンが留め具を直し、もう片方をエリオに任せる。指で確かめてから、エリオが蓋を軽く押した。


「これでいい?」

「ああ。ありがとう」


 仕事を終えると、リシェのところへ戻ってきた。


「行こう」

「私も何かしていいの?」

「聞けばあると思う」


 その言葉に、少し安心した。


 まずフィエルの鞄を、安全なところへ置かなければならない。自分が乗ってきた馬車へ戻ると、ゼフィが荷物を下ろしていた。


「ここにフィエルを置いても大丈夫ですか?」


 車輪のそばを示すと、周囲を見てから場所を教えてくれた。


「もう少しこちらへ。荷物を運ぶ人が通るから」


 促されたのは、車輪から離れた平らな地面だった。そこに鞄を置き、フィエルが顔を出せるよう口を開ける。


「夕飯のお手伝いに行ってきます」


 耳を動かして見上げてくるフィエルに、鍋の支度をしている場所を指さした。


「すぐそこだよ」


 額を撫でると、その手へ鼻先を寄せてきた。もう一度、鞄が傾いていないことを確かめてから、エリオを追った。


 茶色の髪を短く結んだ、日に焼けた肌の女性が、人々の間を歩いていた。


「水はこちらへお願いします。火のそばに荷物を寄せすぎないように」


 セリナだった。旅への参加を相談したときと同じ、落ち着いた声だった。


 指示を出しながら周囲を見渡し、リシェたちに気づくと足を止めた。


「どうしたの?」

「夕飯の手伝い、何かある?」


 エリオの問いに、セリナがリシェへ視線を移す。


「リシェも手伝ってくれるの?」

「はい。できることがあれば」

「助かるわ。馬車に長く乗って疲れなかった?」

「少し。でも大丈夫です」

「無理はしないでね。今夜、休む場所は食事のあとで案内するわ。それまでは、この馬車の並びの内側にいて。暗くなると、少し離れただけでも戻る場所が分かりにくくなるから」

「はい」


 馬車を見回した。昼間はどこも明るく見えたのに、木々の下はもう薄暗い。


 セリナが食事の支度をしている人に声をかけ、二人の仕事を見つけてくれた。リシェに渡されたのは、小さなかごと、泥のついた根菜だった。


「これを洗ってもらえる? 水はその桶を使ってね」


 袖を上げた。エリオは食器を並べる係になったらしい。重ねた椀を持って、すぐそばにしゃがんだ。


 根菜の表面を指でこすり、泥を落とす。水は冷たかったが、座り続けていた体を動かすのは気持ちがよかった。


「料理、できる?」

「少しだけ。エリオは?」

「食べる方が得意」


 思わず笑うと、椀を並べながらエリオが言った。


「でも数を間違えると困るから、こっちも大事なんだぞ」


 数えていた途中で眉を寄せる。


「……今いくつだった?」

「私、数えてなかった」

「笑わせるから」

「エリオが言ったんだよ」


 口を尖らせたエリオも、やがて自分で笑い出した。今度は椀を一つずつ指で示しながら、数え直す。


 洗い終えた根菜をかごへ入れた。最後の一つは小さなくぼみに泥が残っている。爪の先で取ろうとしていると、エリオが横から覗いた。


「まだ洗ってるの?」

「ここがなかなか取れなくて」

「俺ならもう終わりにしてる」

「土が入っちゃうよ」


 見せると、少し考えてから返事があった。


「……それは嫌だな」


 もう一度水に浸けてこすると、泥がようやく落ちた。


 かごを渡す頃には、焚き火が燃え始めていた。鍋が火に掛けられ、少しずつ食べ物の匂いが漂ってくる。


「お、働いてるな」


 明るい声とともに、短い明るい茶髪の男の人が薪を抱えて歩いてきた。鍛えられた腕から薪を下ろし、リシェたちを見る。


「二人とも腹が減ったか?」

「減った」


 エリオが即答した。リシェも頷くと、男の人が笑った。


「俺もだ。もう少しの辛抱だな。リシェ、だったよな?」

「はい」

「護衛についているルークだ。道中、何かあったら呼んでくれ」


 気軽な話し方に、リシェも自然に返事ができた。


 焚き火へ薪を一本足したルークが、エリオの並べた椀を見る。


「今日はちゃんと俺の分もあるか?」

「前のことまだ言うの?」

「食べ損ねるところだったからな」

「ちゃんとあるって」


 エリオが椀を一つ持ち上げると、満足そうに頷き、ルークはほかの護衛のいる方へ歩いていった。


 リシェは小声で尋ねた。


「前はなかったの?」

「一つ足りなかっただけ」

「ルークさんの分?」

「たまたま、最後に来たのがルークだったんだよ」


 そう言ってから、エリオが椀の数をもう一度確かめた。


 夕食ができる頃、空には夕焼けの色がわずかに残っていた。フィエルの鞄を自分のそばへ移し、温かな煮込みの入った椀を受け取る。


 両手にじんわり熱が伝わった。息を吹きかけ、一口食べた。


 洗った根菜は柔らかくなっていた。馬車を降りたときは、こんなに空腹だと気づいていなかったのに、食べ始めると匙が止まらない。


「おいしい」

「外だと、いつもよりうまい気がするんだよな」


 隣でエリオも食べている。


 少し離れたところにゼフィが腰を下ろした。ローレンは食事を取りながら、ほかの商人と言葉を交わしている。セリナは人々の様子を確かめてから、ようやく自分の椀を手にした。


 焚き火の向こうで誰かが笑う。


 薪がはぜた音にフィエルの耳がぴくりと動き、リシェは匙を止めて、その背をそっと撫でた。少し驚いた気持ちが伝わってきたが、すぐに落ち着いた。


「大丈夫。火の音だよ」


 フィエルはリシェを見上げ、また布の上へ顎を載せた。


 食事を終えると、辺りはすっかり暗くなっていた。火の届く場所は明るい。でも、その外に立つ木々は、幹も枝も黒く重なって見える。


 昼間なら歩いて確かめたくなっただろう場所も、今はずっと遠く感じた。


「夜は交代で見張るんだ」


 リシェの視線に気づいたエリオが言った。


「みんな眠らないの?」

「順番。ずっと起きてたら、明日が大変だろ」


 向こうではルークが別の護衛と話していた。昼間と同じ明るい声だったが、話しながら、ときどき暗い道へ目を向けている。


 その姿をしばらく見ていた。


 自分が食べたり眠ったりしている間にも、誰かの仕事が続いている。


 椀を並べることも、荷物の留め具を見ることも、馬の世話も。今日、見ていなければ、どれも気づかなかったかもしれない。


 あとでノートに書こう、とリシェは思った。


 セリナに休む場所を教えてもらい、荷物を整えたあと、焚き火のそばでノートを開いた。見つけた白い花は名前を決めずに書き留め、続けて商隊で見たことを書いていく。フィエルは隣で丸くなっていた。


「何書いてるんだ?」


 エリオが覗き込む。


「今日のこと」

「俺も書いた?」

「うん」

「どこ?」


 名前のある行を指すと、嬉しそうに読みかけたエリオが途中で止まった。


「……椀の数を二回確かめた、って」

「三回だった?」

「そこは書かなくていいだろ」


 リシェが笑うと、エリオもつられて笑った。


「じゃあ明日はもっといいことを書いてもらうからな」

「どんなこと?」


 少し考えてから、エリオが胸を張った。


「旅のこと。まだいろいろ教えられるし」

「じゃあ私も何か教えるね」

「植物?」

「見つかったら」


 ノートを閉じた。


 明日は何が見つかるだろう。今度こそ、あの白い花の葉を見られるかもしれない。


 焚き火の上へ、小さな火の粉が舞い上がった。目で追って顔を上げると、木々の間に星が見えた。


 リシェはしばらく、そのまま空を眺めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。