第百十話 答え合わせ
「先に、一個聞いていい?」
椅子へ座るなり、カイルが窓辺を指した。
「そいつ、今も俺たちの話を聞いてる?」
リシェは手元の紙から顔を上げた。
話すことを順番に書き出してきたのに、最初から予定と違ってしまった。窓辺にいたロギが、カイルへ首を向ける。
「はい。聞いています」
「じゃあ、こっち来てもらっていい?後ろにいると気になる」
赤い鳥は卓へ飛び移り、カイルの前へ降りた。
「どうして?襲ったりしないよ」
椅子が音を立てた。
半分立ち上がったカイルと、ロギが向かい合う。リシェは口を開きかけたまま止まり、隣のゼフィへ目を向けた。
ゼフィも、今は何も言わなかった。
「……喋れるのか」
「うん。聞きたいのはそれじゃなかったの?」
「それも、あとで聞くつもりだった」
カイルは座り直したが、椅子を少し後ろへ引いたままだった。
「火を使うし、言葉も分かる。普通の鳥じゃないとは思ったけど……魔獣じゃないんだよな?」
「精霊です」
ようやくリシェが答えると、カイルは卓へ置きかけた手を止めた。
「火の?」
「はい。火の高位精霊で、私と契約しています」
カイルがゼフィを見た。
「先生ちょっと待って。これ聞いちゃっていい話?」
「リシェが君に話したいと決めたことだよ。僕はその手伝いに来た」
部屋の扉は閉じてある。イネスに頼み、しばらく誰も来ないようにしてもらっていた。
カイルはロギを見直し、次にリシェの顔を確かめた。
「分かった。聞く」
そこで一度、額を押さえる。
「ただ思ってたより大きい話が出てきた」
*
「じゃあ、あの水路の時も?」
リシェが精霊魔法のことを話し始めると、カイルはすぐに尋ねた。
「ロギに手伝ってもらいました」
「穴の中へ入っていったの、鳥だからじゃなかったんだ」
「鳥の姿の方が、説明しなくて済むでしょう?」
ロギの返事に、カイルは腕を組んだ。
「説明だいぶ省いてたな」
「はい。ごめんなさい」
「ああ、責めてるんじゃなくて。今順番に分かってきてるところ」
リシェの手元の紙へ目を落とし、少し身を乗り出す。
「それ何を書いてきたの?」
「話しておきたいことです。忘れないように」
「俺が途中で聞いたら分かんなくなる?」
「大丈夫です。たぶん」
紙を二人の間へ置いた。
カイルは勝手に手を伸ばさず、リシェが指した行を読んだ。
「魔獣の気持ち?」
「分かるんです。全部ではないんですけど、怖いとか、嫌だとか。最近は、短い言葉みたいに聞こえることもあります」
卓の下で、フィエルが椅子の脚を避けて座り直した。
「こいつのことも?」
「はい」
カイルはフィエルを見下ろしたまま、しばらく黙った。
「……俺、一回いないところで話しかけた」
「え?」
「お前の主人頑固だなって」
「僕にも言ったよね」
「お前にも聞こえてたのか」
「二回言ったよ」
リシェがフィエルを見ると、銀白の耳がこちらを向いた。何のことか分かっていないようだった。
「フィエルの言葉が、カイルさんに聞こえるわけではないです。それに、私に何でも教えてくれるわけでもなくて」
「そっか」
そこで息をついたカイルが、ふと顔を上げた。
「待てよ。ほかの魔獣も分かるなら、前に道を変えたがった時も?」
「近くに嫌がっている魔獣がいたので」
「あれ、そういうことだったのか」
今度は、すぐに次の問いが来なかった。
リシェは先を促さずに待った。カイルの視線が紙の上を動き、またフィエルへ戻る。
「ちびっこと歩いてる時、妙に何も来ないと思ってた」
指先が、卓を一度叩いた。
「俺と先生だけで先へ行ったら出たのに、戻ると静かだったことがある。あれも?」
「私のそばにはあまり近づいてこないんです。会っても襲われたことはなくて」
「だからって安全だと決めつけるのは早いけどね」
ゼフィの言葉に、カイルは頷いた。
「そこは分かった。ただ……」
リシェへ向き直り、口元を引き結ぶ。
「お前、俺たちが魔獣を倒す時あっちが怖がってるのも分かるの?」
用意した紙にはない問いだった。
「分かることもあります」
いつもではない。遠ければ届かないし、目の前のことで精いっぱいの時もある。
でも、逃げたいという感情を受け取ったことはあった。
「それで止めたかったことは?」
膝の上で指を重ねた。
「ありました。でも襲われていたら、戦わないといけないのも分かっています」
カイルはすぐには返さなかった。窓の外を荷車が通り、車輪の音が遠ざかる。
「次に何か分かったら言って」
顔を戻した時、その声から軽さが消えていた。
「追い払えるなら、その方がいい時もある。逆に、近くに別のやつがいるなら知りたい。俺には分かんないから」
「でも間違っているかもしれません」
「俺だって足跡読み違えることあるよ。分かったことだけ教えて。それから考えよう」
カイルはゼフィへも目を向けた。
「それでいい?」
「うん。ただし、リシェに探らせるために危険へ近づくことはしない」
「もちろん」
自分の力が話題になっているのに、リシェには少し不思議だった。
もっと驚かれるか、詳しく説明を求められると思っていた。カイルは驚いたまま、もう次に一緒に歩く時のことを考えていた。
*
残っていた精霊のことも話した。
ロギ以外の姿も見えること。簡単な気持ちなら受け取れるようになってきたこと。声を出さずにロギと話せるのは、契約しているからだということ。
「今も何か話してる?」
「今は話していません」
「これから聞かれるたびにそう答えるの?」
「毎回は聞かないって」
カイルとロギの間へ、リシェは小さく手を挟んだ。
「あの。外では今までどおりにしてもらえますか。ロギが高位精霊だということは、特に……」
「言わない。さっきから、うっかり口を滑らせない方法を考えてる」
カイルは唇を指で押さえた。
「普通の鳥。ちょっと食い意地が張ってる、普通の鳥」
「君ほどじゃないよ」
「そこ、張り合うな」
リシェは紙へ目を落とした。
ほとんど話せた。残るのは、この力がいつからあったのかということだった。
孤児院にいた頃から、見えない何かを感じていた。自分でも理由が分からず、周りにも上手く説明できなかった。
「今もどうしてなのかは知らないんです。フィエルのことも、分からないことが多くて」
話している間、カイルはロギへ向けていた視線を戻し、黙って聞いていた。
「知りたいんだ?」
「はい。もっと知りたいです」
「そっか」
短く答え、卓の上の紙を指した。
「それ、全部話した?」
「はい。今話せることは」
「じゃあ俺からも一つ」
背筋が伸びた。
「この前落ちた時のこと。秘密にしたかったのは分かった。でも次に危なくなったら、隠す方を優先するなよ」
「ロギは私を助けようとして」
「うん。だからあれでよかった」
ロギも、カイルを見ていた。
「ただ使える力があるなら、俺にも教えてほしい。知らないまま飛び込んで、邪魔したら困るから」
リシェはあの斜面を思い出した。
掴んでくれた手も、折れて燃えた枝も、自分ではどうにもできなかった。
「分かりました。私もちゃんと伝えます」
「僕も声を出せる時は言うよ」
ロギが口を挟むと、カイルはその嘴の前へ指を立てた。
「ただし俺の服ごと燃やすのは禁止」
「そんな下手なことしないよ」
「頼もしいな、高……」
言いかけて、口を閉じた。
ロギが尾を揺らす。
「普通の鳥だよ」
「今のは練習」
隣でゼフィが、とうとう声を立てて笑った。
*
「それでさ」
話が終わったと思ったところで、カイルが上着から折り畳んだ紙を出した。
「これ、どう思う?」
広げられたのは、街外れの農地から出た依頼の控えだった。倉の裏に魔獣が居つき、畑へ向かう道を通れなくなっているという。
「追い払うか、難しければ討伐。明日先生に相談しようと思ってた」
「いつの間に受けたの?」
「まだ受けてない。下見はしたけど」
ゼフィに答えてから、カイルは紙の一角を指した。
「ここ、石が積んであって奥まで見えない。近づくと威嚇する。だから巣でもあるのかと思ってさ」
リシェはその指先を追った。
「子供がいるかもしれないんですか?」
「そこが分からない。お前なら分かるか、聞こうと思ったけど」
一度言葉を切り、紙から手を離す。
「分かるかどうかも、行ってみないと分かんないんだよな」
「はい。でも見てみたいです」
返事をしてから、ゼフィを見る。
「近づかずに、様子を見るだけでもいいですか?」
「僕も一緒に行こう。まずは農家の人から話を聞いて、それからだね」
カイルは控えを畳みかけて、リシェの前へ戻した。
「場所、書いとく?」
「はい。持ってきます」
筆記板に新しい紙を挟んだ。
今日話すために書いてきた紙は、もう鞄の中にある。代わりに、集合する時間と、倉までの道を書いていく。
横からロギが覗き込み、カイルが声を落とした。
「お前も来る?」
「行くよ。リシェと一緒に」
「了解。外では返事するなよ」
「君も話しかけないでね」
今度はリシェも笑いながら、明日の持ち物を書き足した。




