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蒼い空の先  作者: 白石 遼


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9/21

初任者研修 

 とにかく教師は、忙しい。透は土日も含めて、仕事を進めた。そんな中、同期の教師たちとの飲み会が心の支えだった。そして・・・

 初任者研修


 その一年は、とにかく研修と出張が多かった。知らない学校に行き、知らない先生と挨拶を交わし、知らない教室で話を聞く。だが、その「知らない」が、どこか心地よくもあった。

 ある日の研修でのことだった。透は校庭脇の駐車場に車を停め、鞄を肩にかけて歩き出した。少し早く着きすぎたかもしれない――そんなことを考えていると、一人の男性が近づいてきた。

「こちらになります」

 落ち着いた声でそう言い、校舎の奥へと案内していく。どうやら教頭らしい。

「あの……こちらは?」

 透が尋ねると、教頭は迷いなく答えた。

「はい、本日の研修講師の控室になります」

――講師?

 一拍おいて、透は口を開いた。

「いえ、あの……私は新採用で、研修を受ける側なんですが」

 一瞬の静寂。

「あっ……これは大変失礼しました」

 教頭は少しだけ慌てた様子で頭を下げた。透は思わず笑いそうになった。

――まあ、そう見えるか。当時の新採用は、ほとんどが二十二歳。

透は三十三歳。どう考えても「新人感」は薄い。むしろ、間違えられなかったら、それはそれで少し寂しい気もした。この出来事は、後に飲み会で何度も使われる“鉄板ネタ”になった。

 会津で出会った同期たちとは、すぐに打ち解けた。年齢差など、酒の前ではほとんど意味を持たない。研修が終われば、自然と飲み会になる。誰かが「今日どうする?」と言えば、もう決まりだ。

 ある日の席で、誰かが言い出した。

「滝口さん、独身ですよね?」

「そうだけど」

「じゃあ、“滝口会”作りましょうよ」

「……なにそれ」

「滝口さんにいい人を見つけてもらうための会です!」

「情報交換とかしながら、定期的に飲みましょう!」

 やけに盛り上がっている。透はグラスを傾けながら、冷静に思った。

――ただ飲みたいだけだろ。

「いや、それ君たちが飲みたいだけじゃないの?」

 と言うと、

「違いますよ!ちゃんと目的あります!」

 と即座に返ってくるあたりが、また怪しい。結局、その日から“滝口会”は発足した。もっとも、議題はほとんど「最近どう?」とか「この前の授業どうだった?」とか、いつもの延長で、肝心の“いい人情報”はほぼ出てこなかった。ただ、よく笑った。よく飲んで、よく話した。

――いい仲間だな。

 透は、ふとそう思う。あの福島の十倍の高い倍率をくぐり抜けてきた者たちだ。それぞれに事情があり、努力があり、少しの運もある。そんな人間たちが、こうして一緒に笑っている。その輪の中に、自分がいることが、少しだけ誇らしかった。条件付きの一年は、ただの試験期間ではなかった。

 むしろ――教師としてやっていくための「土台」は、こういう時間の中で、静かに出来上がっていくのかもしれない。透は、そう感じ始めていた。

 十二月末――。雪がちらつく駅前の居酒屋には、新採用教師たちの少し疲れた笑顔が集まっていた。

「カンパーイ!」

 ジョッキのぶつかる音が響く。

「みんな、今年ご苦労様でした」

 音頭を取ったのは透だった。会津若松市内の同期七人の中では一番年上で、自然とまとめ役になっていた。

「ほんと、教師って大変ですね……」

 誰かがため息混じりに言う。

「でも、やりがいはあるね」

「子どもはかわいいし」

「今日は飲んで嫌な事を忘れましょう!」

「おおー!」

 店の奥の席に笑い声が広がった。透はジョッキを口に運びながら、ふと思った。

――みんな、頑張ったんだな。

 ここにいる同期たちは、それぞれ研究指定校に勤めている。それぞれ得意分野がある。しかし、それは関係なしに配属されている。算数研究、音楽研究、体育研究……学校ごとに分野は違う。だが、どの学校も忙しさは同じだった。毎日の授業。教材研究。指導案。放課後の会議。

 終わらない書類。気づけば、春より少し痩せている仲間もいた。

「お疲れ様でした」

 隣の内川先生が、透のグラスにビールを注いだ。

「内川先生も頑張りましたね」

「いやあ、毎日ギリギリですよ」

 二人は苦笑した。忘年会はいい。透はそう思った。教師という仕事は、真面目な人ほど抱え込む。だからこそ、こうしてガス抜きをしなければ、心が持たなくなる。自然と話題は、それぞれの学校の教育の話になった。

「滝口さんの学校、来年は県の指定校なんですよね?」

「ああ。市の指定校の次は県の指定校」

 透は肩をすくめた。

「まあ、俺が決めたわけじゃないけど」

「あははは!」

「国語スペシャリストとして頑張ってください」

「そうなるといいですね」

 誰かが冗談っぽく言うと、また笑いが起きた。その時、透が少し真面目な顔になった。

「教師は最初の三年で決まるって言われてるからな。みんな頑張ろう」

「はい。でも、何を頑張ればいいの?」

 若い女性教師が首を傾げる。透は一瞬考え――、

「まあ、頑張ろう」

「雑っ!」

 店中に笑いが起こった。

「そういえば研修で言われましたよね」

 別の先生が思い出したように言った。

「破壊的ストレス発散法はやめましょうって」

「えっ、今それじゃないですか?」

「身体を壊すストレス発散ね。ほどほどなら飲み会は大丈夫。飲み過ぎがアウト」

「後、何でしたっけ?」

「えっ、忘れたの?」

 透が笑う。

「確か……衝動買いとか」

「あー!」

「あと、突然仕事辞めたくなるやつ!」

「それ毎日です!」

 また爆笑が起こった。

 店の窓は白く曇り、外には静かに雪が降っていた。苦しい一年だった。失敗も叱責も、数え切れないほどあった。

 それでも――。こうして笑い合える仲間がいる。透は思った。教師という仕事は大変だ。だが、一人ではない。困った時は相談すればいい。だから、また来年も頑張れる気がした。

「破壊的ストレス発散法か……」

 透は、ジョッキのビールをゆっくり口に運びながら思った。

――よく考えられた言葉だ。深酒。飲み過ぎれば身体を壊す。賭け事。パチンコや競馬などギャンブルものに、のめり込めば、金を失う。買い物依存。カードを切り続け、気づけば支払いが滞り、借金だけが残る。

 ストレスを発散するための行動が、逆に人生を壊していく。研修でそんな事まで教わる時代なのだ。それだけ教師という仕事は、心に負担がかかる。透は店内を見渡した。笑っている同期たち。冗談を言い合い、ビールを飲み、料理をつついている。

 だが――。みんな、口に出さないだけで、それぞれ悩みを抱えているのだろう。授業が上手くいかない。保護者対応。モンスターペアレント。研究授業。学年の人間関係。終わらない仕事。

 教師という仕事は、真面目な人ほど苦しくなる。透は思った。結局、自分なりの趣味や息抜きを見つけて、上手く付き合っていくしかないのだ。

 運動でもいい。読書でもいい。旅行でもいい。心を壊さない方法を、自分で探すしかない。

「教師ほど、理不尽な要求をかわす技術が必要かもしれないな……」

 透は苦笑しながら、小さく呟いた。子どもだけではない。保護者。管理職。教育委員会。地域。様々な立場の思いが学校には集まる。

 もちろん大切な事も多い。だが時には、――それを今、担任一人で背負うのか?そう思うような事もある。真正面から全部受け止めていたら、きっと潰れてしまう。受け流す。距離を取る。抱え込み過ぎない。それも教師に必要な技術なのだろう。

「滝口さん、何、難しい顔してるんですか?」

 同期の声に、透は我に返った。

「いや、教育について考えてた」

「忘年会でですか?」

「職業病だな」

「あははは!」

 また笑いが広がる。その笑い声を聞きながら、透は思った。――まあ、今日は考えるのはやめるか。

 窓の外では、静かに雪が降っていた。

 初任者研修では、ストレス発散法を学んだ。破壊的ストレス発散法。確かに、これは知っているだけでも違うなと透は思った。

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