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蒼い空の先  作者: 白石 遼


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人事異動

 人事異動があった。今度の異動では、学校の中心として、仕事をすることになった。

人事異動


  正式採用から二年目の夏。透は、縁あって会津地方の女性と結婚した。三十四歳だった。周囲からは、「知り合って二週間で決めた。早かったな」と笑われたが、透自身はそう思っていない。昔から考えるより先に動く男だった。良く言えば行動力。悪く言えば勢い。結婚もまた、その延長線上にあった。

 福島県の教員は、その当時、退職までに二管内三地区を異動する仕組みになっていた。都市部だけではなく、へき地も含め、できるだけ教員を公平に経験を積ませるためである。その後、透は、退職までに四管内七地区を制覇することになるが、まさか、この時は、そんな事になるとは、思っても見なかった。

 そして三年目の春。透は、山あいの小さな学校へ異動となった。四月初日。まだ雪の気配を残す冷たい風が校舎の窓を鳴らしていた。

 職員室には、新年度独特の緊張感が漂っている。新しい組織、新しい校務分掌。だが、その朝、妙な空気があった。

 校長室から、同じく赴任した女性の先生が中にいる。そして。なかなか前任の教師が出てこないのである。順番に校長から校務分掌を告げられていたが、透の番だけが来ない。四十代くらいの女性教師が、ずっと校長室で話し込んでいた。

 三十分。

 四十分。

 やがて一時間が過ぎた。普通は五分程度で次の教師が呼ばれる。職員室にも、少しずつざわめきが広がる。すると教頭が立ち上がり、困ったような顔で言った。

「最初の会議は、十時半からにします」

「えっ……はい」

 先生方が小さく返事をする。その後、教頭までもが校長室へ入っていった。透は、自分の机で黙って順番を待っていた。新しい学校では、余計なことは言わない。まず空気を見る。ホテル時代に覚えた習慣だった。

 しばらくして、ようやく扉が開いた。四十代の女性教師が、どこか疲れた顔で出てくる。

 その後、校長と教頭が中で話し合いが行われた。そして、その5分後

「滝口先生、どうぞ」

「はい」

 透は立ち上がり、校長室へ入った。校長は申し訳なさそうに頭を下げた。

「ちょっと遅れて申し訳ないです」

「いえ」

 校長は手元の資料を見ながら続けた。

「校務分掌ですが、五年と六年の複式学級をお願いします」

「はい」

「それと、体育主任を」

「はい」

 一つひとつ返事をする。だが、校長は少し間を空けてから、最後に言った。

「それと……教務主任を……」

「えっ」

 一瞬、透の声が止まった。透は正式採用になって、まだ二年しか経っていなかった。

「あっ、はい」

 思わず返事はしたものの、頭の中が追いつかない。

「三年目の教師ですが、いいんですか?」

 校長は静かに言った。

「お願いします」

 透は数秒だけ考えたあと、腹をくくった。輪番制かもしれない。

「……わかりました」

 その場では引き受けた。だが、まだ本当の意味はわかっていなかった。教務主任。学校全体を動かす中心役。三年目の教師が任される仕事では、本来なかった。あとになって透は知る。

 あの朝、一時間以上続いていた話し合いは、誰がその役を引き受けるかという話だったことを。

 そして結局、最後に残ったのが、自分だったということを。窓の外では、山の雪解け水が静かに流れていた。透は、新しい机に座りながら思った。

――これは、忙しくなる。

 その予感だけは、はっきりとしていた。透は、気づけば毎日仕事に追われていた。

 五、六年複式学級、当然学校代表関係も中心だ。体育主任。そして教務主任。普通に考えれば、三年目の教師には重すぎる仕事量だった。授業の準備を終えれば、次は学校全体の予定調整。行事の確認。職員会議の資料作成。保護者対応。地域との連絡。週案作成二学年分。

 当たり前であるが、定時で終わる日は、ほとんどなかった。しかも小さい学校だったため、空き時間もゼロである。

 仕事をこなすため、毎週土曜日も学校へ行った。日曜日も時々、内緒で職員室にいた。

 誰もいない校舎は静かだった。暖房の匂い。廊下を渡る風の音。遠くで鳴くカラスの声。透は、一つずつ仕事を片づけていった。

 ――やれば終わる。それが、今の自分に言い聞かせる唯一の言葉だった。完璧ではなくていい。とにかく前へ進む。誰かがやらなければいけない。今回は自分だと思った。

 若い頃、ホテルで働いていた時もそうだった。忙しい宴会も、後片付けも、逃げずにやれば、いつか終わる。教師になっても、それは変わらなかった。透は、誰にも愚痴を言わなかつた。黙々とやれることをしていた。他の先生方も忙しいのを知っていたので、色々と手伝ってくれた。それが、嬉しかった。

 ある夕方。仕事を終えた透は、校庭に出た。山の向こうに、薄い夕焼けが広がっている。冷たい風が、頬を通り過ぎた。

 透は空を見上げた。その時、不思議と遠い昔の景色が浮かんだ。

 スイス。

 アルプスの山並み。

 そして、あの成田さんの姿。

――自分も、いつの日か。在外派遣で海外の日本人学校へ行く。教師として、世界で働く。その夢は、まだ消えていなかった。むしろ苦しい今だからこそ、心の奥で強くなっていた。透は遠くの空を見つめながら、小さく息を吐いた。

――これは、そのための試練かもしれない。そう思うしかなかった。いや、そう思いたかった。 透は静かに拳を握った。――頑張るしかない。夕暮れの校庭に、一人だけ立っていた。


 どんな状況に置かれても、透は物事を悲観的に考えない性格だったため、とにかくできることをしていく精神で、事に当たることにした。それでも、現実は・・・・


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