教員採用試験
透は、教員免許の取得に合わせて、採用試験を何度も受験している。教員免許二種見込み、二種、一種見込み、一種と、この年で四年連続となる。十回目の教員採用試験だった。東京都、北海道、大阪府、静岡県、長野県、福島県と、一年に一回しかない都道府県の採用試験、日にちが一日でもずれていたら、どこでも応募して試験を受けていた。まさに都道府県すべてを受ける気持ちでいた。そして・・・
六月。
採用試験の季節になると、街の空気がどこか張りつめる。教員を目指す者たちにとって、それは静かな戦場の始まりだった。透もまた、その渦の中にいた。二種免許見込みの頃から始まり、二種免許取得後、一種免許見込み、そして大学卒業。今年、ようやく一種免許を手にして、再び試験に臨んでいる。
東京、大阪、北海道、長野、静岡、そして福島。日程が一日でもずれていれば、どこへでも向かった。行き先にこだわりはない。採用されるなら、どこでもいい……それが透の答えだった。
地元・福島は、これで四回目。申し込みを含めれば、採用試験は十回目になる。
「おっ、今年もあったね」
受付で顔を合わせた男が、少し笑いながら声をかけてきた。
「ああ、久しぶりです。滝口さん」
互いに名前を覚えるほど、同じ場所で落ち続けている。奇妙な連帯感が、そこにはあった。
「どうやら今年も倍率は高そうだね」
「この福島は軽く十倍ですね」
採用人数百二十人に対し、受験者は千二百人。数字にすれば簡単だが、その中にいる自分を思うと、現実は重い。
「お互い頑張りましょう」
短い言葉を交わし、それぞれの教室へ向かう。背中に、同じ重さの覚悟を背負いながら。毎年受けていると、自然と顔見知りが増えていく。
そして、透の中にはひとつの“仮説”が芽生えていた。願書の受付は、だいたい六月一日から十日。透はいつも初日に届くよう提出している。それでも受験番号は、ほぼ毎年同じだった。三百八十番から四百四十番、そのあたりに収まる。
四年間、ほとんど変わらない。
……なるほどな。
透は小さく笑った。
……地元の大学、か。
口には出さないが、そういうことなのだろうと感じていた。大阪で受けたときは、隣に年配の女性が座っていた。教室には、若者だけではない、さまざまな人生が並んでいる。番号順に整然と座るその光景は、どこか無機質で、それでいて妙に生々しかった。誰もが、それぞれの事情を抱えてここに来ている。
……まあ、いいか。
透は前を向いた。
……地元の大学を出ればいいだけの話だ。
不満がないわけではない。だが、それに囚われても前には進めない。試験開始の合図が、静かに教室に響いた。透はペンを握る。何度も繰り返してきた、この瞬間。
それでも、今年こそは……そう思わずにはいられなかった。
……まあ、試験を満点取れば済むことだ。
透は、半ば冗談のように、しかし本気でそう思っていた。
「とにかく地元の大学生、一人でも落として入れるように頑張りましょう」
「おう、その意気込みだ」
軽口を叩き合いながらも、互いの目は笑っていなかった。ここは戦場だ。誰かが受かり、誰かが落ちる。ただそれだけの場所。
福島の採用試験は、当時「教員トライアスロン」と呼ばれていた。午前中……小学校全科目の筆記試験。そして、教育法規。
午後になると、空気は一変する。指定されたバイエルのピアノ演奏。静まり返った音楽室に、ぎこちない旋律が一人ずつ流れていく。続いて、グラウンド。一〇〇〇メートル持久走。
走り終えると、タイムごとにA、B、C、Dへ振り分けられる。透はBだった。息を整えながら、空を見上げる。まだ終わらない。
鉄棒。逆上がり、前回り、足を掛けて前から降りる。ぎこちない動きの中に、それぞれの過去がにじむ。
最後は、水泳。二十五メートル。短いはずの距離が、妙に長く感じられた。
すべてが終わる頃には、空はすでに夕方の色を帯びていた。透たちのグループは、いつも最後まで学校に残る。……毎年のことだ。そう思いながらも、その年は違っていた。手ごたえがある。特に、午前中の教育法規。問題を見た瞬間、透は思った。
……簡単すぎる。全て、分かる。迷う箇所が一つもない。……なぜ、こんな問題を出したんだ。
そう感じるほど、頭の中は澄んでいた。ペンを走らせながら、ふと余計な考えが浮かぶ。
……よし、字を丁寧に書こう。……どうせみんな同じ点なら、字が綺麗な方が有利だ。自分でも可笑しくなるような発想だった。それでも、それくらい余裕があった。それくらい、自信があった。
そして……その年、透は地元・福島に合格した。合格通知を手にしたとき、胸の奥にあった重いものが、すっと消えた。講師時代、何度も言われてきた言葉がある。
「採用試験、頑張ってね」
励ましのはずなのに、どこか追い立てられるような響きだった。……もう、言われなくていい。透は小さく息を吐いた。長く続いた挑戦に、ようやく終わりが来たのだ。
新採用教師
一九九七年(平成九年) 四月。透は、会津の小学校に赴任した。各学年四クラス。校舎は古いが、どこか温もりのある学校だった。透は二年二組の担任を任された。新しい教室。小さな机と椅子。
まだ名前も覚えきれていない子どもたちの声が、昼間の余韻のように残っている。
四月の放課後。誰もいなくなった教室で、透はひとり窓際に立った。ゆっくりと、空を見上げる。
澄んだ青。どこまでも広がる、会津の空。
「成田さん……オレ、やっと正式な教員になれました」
声に出すと、不思議と実感が湧いた。
「ありがとうございました」
しばらく黙ったあと、透は小さく続ける。
「いつか……自分も、海外にチャンスがあれば行きます。行きたいです。」
約束とも、決意ともつかない言葉だった。風が、カーテンをわずかに揺らす。教室の空気が、静かに流れていく。
ふと、あの時の言葉がよみがえった。……考えが甘い。教員になんかなれるはずない。ミラノで投げかけられた、あの一言。胸の奥に引っかかったまま、ずっと消えなかった言葉。
けれど……透は、わずかに笑った。あの言葉があったから、ここまで来られたのかもしれない。否定されたからこそ、証明したかった。届かないと言われた場所に、どうしても立ちたかった。窓の外の空は、変わらず澄んでいる。何も変わらないようでいて、確かに、自分だけがここまで来た。
透は、もう一度空を見上げた。新しい時間が、静かに始まっていた。
成田さんと出会い、透の人生が変わった。正式採用になった透は、この後、教師として・・・




