思い立ったが吉日
透は図書館に毎日通い、コツコツと積み上げた大学単位147単位の半分76。そして、その単位を基に小学校2種免許を申請して、東京都から小学校教員免許2種を取得した。教師になる情報を得るため、その2種免許を持参して、東京都庁を訪れた。そして・・・
東京都庁へ
翌日、その免許状を鞄に入れ、十二月の師走に東京都庁へ向かった。思いついたら動く。得意の中央突破である。いつもの透の考えである。受付で声をかけた。
「あのー、教員採用の担当の方、いますか?」
職員は怪訝そうに顔を上げた。
「……はあ?」
「実は、昨日、小学校教員免許を取得したんですが」
透は鞄から書類を取り出しながら続けた。
「この後、教員になるには、どうしたらいいか教えていただきたくて来ました。よろしくお願いします」
しばらくして、担当者が姿を現した。透は間髪入れず、前のめりに言った。
「やる気はあります。八丈島でも、父島でも、母島でも、どこでも行きます。よろしくお願いします」
担当者は、最初こそ突然現れた若者を軽くあしらうつもりだった。だが、島へ行く――その言葉を聞いた瞬間、表情が変わった。離島勤務を自ら望む者など、この頃の教員は多くはなかった。担当者は透の手元の書類に目を落とし、少し身を乗り出した。
「……免許は、何を持っているのですか?」
「免許は、小学校二種だけです」
透は、まっすぐに答えた。担当者は書類に目を落とし、事務的な口調で続けた。
「中学校免許はありますか?」
「いいえ、まだありません」
一拍の間があった。
「そうでしたか。わかりました。それでは、また免許を取ったら来てください」
それだけだった。面談というには、あまりにも短い時間だった。扉の外へ出た透は、都庁の長い廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。だが、不思議と落ち込んではいなかった。駄目なら次へ行く。道が閉じていれば、別の入口を探す。それが透のやり方だった。翌日、透は地元・福島へ向かった。東京で通じなかったなら、故郷で勝負する。そう決めると、動きは早かった。福島でも同じように、教育関係の窓口を訪ねて回った。
「やる気はあります」
「どこでも行けます」
「子どもたちのために働きたいんです」
飾らない言葉だった。だが、透の声には、働きながら学び続けてきた者だけが持つ重みがあった。何となくではある。けれど、透は手応えを感じていた。冷たく追い返されてはいない。
話を聞く側の目が、東京とは少し違って見えた。
相 談
透は、何とか教員免許を取得した。だが、免許を手にしたからといって、すぐに教師になれるわけではない。このまま東京に残るべきか。それとも地元・福島へ戻り、勝負をかけるべきか。答えを出しかねていた透は、相談相手として真っ先に思い浮かんだ吉成さんを誘い、いつもの居酒屋へ向かった。
「忙しいところ、すみません」
「いいってことよ。滝口、良かったな。とりあえず教員免許が取れて」
「ありがとうございます」
二人の前には、生ビールのジョッキが並んでいた。透は都庁へ行き、教師になりたいという思いを直接伝えてきたことを話した。
「この前、東京都庁に行ってきたんです。なんか、脈はありそうなんです」
「おう、それで?」
「その次の日、地元にも行って、同じように訴えてきたんです」
「おう、それで?」
ちょうどその時、吉成さんが店員を呼び止めた。
「すみません。ビール、もう二本お願いします」
透は思わず苦笑した。
「あの……ちゃんと聞いてくれてますか?」
「えっ、何だっけ?」
「はあ?」
透があきれた顔をすると、吉成さんは声を上げて笑った。
「うそだよ。ちゃんと聞いてるって」
そして、少し表情を引き締めて言った
「オレが思うに、福島へ行った方がいいな」
「何でですか?」
「理由は二つある」
吉成さんは指を一本立てた。
「まず金銭面だ。東京暮らしは、とにかく何かと金がかかる。それが解消できる」
続いて二本目の指を立てる。
「それから親御さんだ。近くに戻れば喜ぶだろうし、夢を追いながらでもじっくり待てる。だから福島だな」
透は静かにうなずいた。確かに、その通りだった。いや、本当は答えなど最初から決まっていたのかもしれない。すると吉成さんがニヤリと笑った。
「どうせ、そのつもりだったんじゃねえか?」
透も思わず笑った。
「はい。ありがとうございます。おかげでスッキリしました」
人生の岐路に立った時、相談できる人がいる。それがどれほど心強いことなのか、透は改めて感じていた。生きていく上で、このように相談できる人がいることが、ありがたい。透は素直にそう思った。
吉成さん
ビールを飲みながら、透はふと思い出したように尋ねた。
「ところで吉成さん、最近、役者の方はどうなんですか?」
吉成さんはジョッキを置き、苦笑した。
「まあ、ちょい役がチビチビある程度だな。現実は厳しいよ」
そう言って、少し遠くを見るような目をした。
「滝口も聞いたことあるだろうけど、東京じゃ石を投げると役者に当たるって言うだろ?」
「はい」
「本当にその通りなんだ。役者希望なんて山ほどいる。その中でスポットライトを浴びられるのは、ほんの一握りだ」
そして、自分を指差した。
「オレも、そのゴロゴロいる石の一人だよ」
透は思わず笑った。だが、その言葉には冗談だけではない重みがあった。
「いつ諦めるかって、問題なんだよな。オレの仲間も随分と諦めて田舎に帰った。」
「才能だけの問題ではないんですね」
すると吉成さんは首を横に振った。
「いや、才能だと思う」
意外な答えだった。
「才能がないのが分からない人間が山ほどいるんだ。オレも、その一人かもしれないな」
そう言いながらも、どこか吹っ切れたような表情だった。
「最近は脚本を書き始めたんだ」
「脚本ですか?」
「ああ。役者が無理なら、何か別の形で映画や芝居に関われないかなと思ってな」
透はうなずいた。夢を追う人間は、一つの道が閉ざされても別の道を探す。それもまた才能なのかもしれない。
「売れるのは一握りですか」
「そうだな」
「大変な世界ですね」
吉成さんは笑った。
「夢を追うってのは、何でも大変だよ」
透は思った。きっと今この瞬間も、東京のどこかの飲み屋で、役者志望の若者たちが同じような話をしているのだろう。夢と現実の狭間で揺れながら。そう考えると、少しおかしかった。
その時だった。
「滝口、面白い話してやろうか」
「はい、お願いします」
吉成さんはニヤリと笑った。
「実はこの前、救急車で運ばれたんだ」
「えっ!」
透は思わず身を乗り出した。
「しかも二回目だ」
「大丈夫だったんですか?」
「ああ。誰が救急車呼んだと思う?」
「ご家族ですか?」
「オレだよ」
「自分で呼んだんですか?」
「とにかく腹が痛くてな」
透は真面目な顔で聞いていたが、ふと疑問が浮かんだ。
「それで、どこが面白いんですか?」
吉成さんは笑いながら続けた。
「さっき二回目って言っただろ?」
「はい」
「救急車で運ばれたら、また前と同じ病院だったんだ」
「えっ」
「しかも診てくれた医者まで同じだった」
透は吹き出した。
「本当ですか?」
「医者もびっくりしてたよ。また来たんですかって顔してな」
「それはそうでしょう」
「オレだって、できれば違う病院が良かったよ。全く」
そう言うと、吉成さんは豪快に笑った。
「ハハハハ」
透もつられて笑った。
「笑い事じゃないですよ」
「ハハハハ」
全く、この人は――。透は苦笑した。夢を追い続ける不器用さも、失敗談を笑い飛ばす豪快さも、全部ひっくるめて吉成さんらしい。そう思いながら、透はグラスを口に運んだ。
そして、居酒屋を出た頃には、迷いはすっかり消えていた。透は福島へ戻ることを決断した。
教師になるという夢を胸に抱きながら、新しい一歩を踏み出すために。
師匠である吉成さんへ相談し、透は人生の決断をする。地元で勝負を賭ける事を決め、東京を離れることにした。そして、これが・・、吉成さんとの・・




