役者を目指した吉成ヒトシ
バブル時代、その時の東京は、どこも活気があった。その中で、多くの若者たちは夢を追いかけていた。それは、生きる事の楽しさもあった時代だった。
翌朝。透は、ドキドキしながら、会計へ向かった。
「あの、支払いを――」
すると仲居が微笑んだ。
「すでに頂いております」
透は一瞬、言葉を失った。きっと兄なりの、精一杯のもてなしだったのだろう。透は静かに頭を下げた。――ここは、甘えよう。そう思った。北陸を離れる朝。透は車のエンジンをかけ、空を見上げた。
夏の青空が広がっていた。吉成さん――。おれ、頑張る。心の中でそう誓い、透は静かにアクセルを踏んだ。
石川県の吉成家を後にした透は、福島へ向かう高速道路を走っていた。窓の外には、日本海沿いの灰色の空が広がっている。吉成ヒトシ、享年四十歳。その言葉が、何度も頭の中を巡った。
人は、いつ死ぬのかわからない。まさか、あの吉成さんが四十歳という若さで亡くなるとは思ってもみなかった。東京で共に夢を追いかけていた頃が懐かしい。
役者を目指していた吉成さん。プロ野球選手を目指していた自分。先の見えない毎日だったが、不思議と楽しかった。
透は、ある日の飲み会を思い出していた。居酒屋のカウンター席。店内はほぼ満席で、仕事帰りの客たちの笑い声が響いていた。透が先に席についていると、少し遅れて吉成さんがやって来た。
「お疲れさまでした」
「おう」
透は、ふと思いついていたずら心を起こした。
「いやあ、吉成さん。今日も消防の勤務だったんですか?」
すると吉成さんは、一瞬も戸惑うことなく答えた。
「ああ、大変だったよ。あの火事」
透は吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
「この時期は緊急出動が多いからな。今日はちょっと遅れた。すまん」
「いいんですよ。仕事が仕事ですから」
「まあな」
まるで本当に消防士であるかのように、平然と話を続ける。さすが役者だった。居酒屋を出たあと、二人で腹を抱えて笑った。
「周りの客、絶対信じてたよな」
「間違いない」
そんな会話を交わした夜が、昨日のことのように思い出される。しかし、その吉成さんは、もういない。透はハンドルを握りながら、静かに涙をぬぐった。
フロントガラスの向こうに続く高速道路は、どこまでも伸びていた。人はいつか死ぬ。だからこそ、生きている今を精いっぱい生きなければならない。透はそう自分に言い聞かせながら、福島へ向けて車を走らせた。
吉成さんのように、大きな夢を抱きながらも、その夢の途中で静かに人生の幕を閉じる人が、この日本には数え切れないほどいるのだろう。透はそう思った。誰にも知られず、大きな功績を残すわけでもなく、ただ懸命に生きて、そして去っていく。おそらくほとんどの人がそうだ。そんな人生が、決して特別なものではない。むしろ、それこそが人の生き方なのかもしれない。
高速道路を走りながら、透はふと空を見上げた。人はなぜ生きるのだろう。この地球に生まれ、喜びや悲しみを繰り返しながら生きていく。きっと、その答えには何か意味があるのだろう。しかし、それは宇宙の果てに何があるのかを知ろうとするのと同じように、たぶん一生かかってもわからないのかもしれない。わからなくてもいい。答えを見つけるために生きるのではない。
一度しかない人生を、どう生きるか。それが大切なのだ。吉成さんは、吉成さんなりに精いっぱい生きた。夢を追い、笑い、悩み、仲間と語り合いながら生きた。ならば、自分も自分の人生を精いっぱい生きよう。
教師として。一人の人間として。与えられた時間を悔いなく生きてやろう。一度の人生だから。そう思うと、不思議と心が軽くなった。透はアクセルを少し踏み込んだ。福島への道は、まだ続いている。その道の先には、きっと自分が果たすべき何かが待っている。
そんな気がした。
いよいよ、透も新しいステージに、この後、向かうことになる。それは・・・




