3-18. 蕎麦つゆ
「じゃ、マリーの話、聞いてあげてね」
市場の菓子店でクッキーを二袋購入した後、ヒナと別れて、ひとり店へ戻った。
正直、俺はおかみさんを知らないし、マリーの悲しみの深さも想像がつかない。
でも、黙って話を聞くくらいはできるだろうと覚悟を決め、二階の玄関扉を開けた。
「ただいま……」
おずおずと声を掛けたが、返答はない。
居間に入ると、マリーは奥のソファで、クッションを枕にして横になっていた。目をつむったまま反応がないところを見るに、眠っているらしい。
ひとまず買ってきたクッキーの袋をダイニングテーブルに置き、ソファの前にしゃがみこむ。
「ごめんね」
一言ことわり、手のひらで額に触れたが、熱はなさそうだった。やや顔色が悪い気はするが、おそらく、家族の前で無理に平気なフリをし、気疲れしたのだろう。
マリーは優しい子だ。家族に心配を掛けたくないからと、店へやって来たのに違いなかった。
ここで俺まで心配して騒げば、却って彼女を追い詰め、無理をさせてしまう。今は気兼ねなく休めるよう、静かにしているほうがいい。
自室からとってきた毛布を、そっと掛けた。横顔に落ちている長い金髪をすくい、背中側に流す。
忍び足で廊下を抜けて、玄関から外へ出た。今日は、店の清掃がまだだった。終わったら、もう一度様子を見に来よう。
◇ ◆ ◇
掃除を終え、二階に戻った時には、マリーは毛布に埋もれたまま、ソファに座ってぼんやりしていた。
こちらに気づくと、眉を下げて口を開く。
「ああ、トーヤ。毛布ありがとう。ごめんね、なんだか疲れてて……眠たくなっちゃった」
「お茶淹れようか。クッキー買ってきたけど、食べる?」
「うん」
マリーは毛布を綺麗に畳んでソファの背に掛け、居間の奥にある洗面所へ向かった。
俺はその間に、可能なかぎり丁寧にハーブティーを淹れ、クッキーも袋から出して皿に盛りつけた。ソーサーに載せたカップと、クッキーの皿をテーブルに配置する。
マリーが戻って席についたので、それぞれのカップにハーブティーを注ぎ、対面に座った。
「ヒナは?」
「その、……帰る途中で、友だちに会って、遊びに行った。暗くなる前に、事務所に帰るって」
ヒナが用意した嘘だったが、なんとか噛まずに言えた。
マリーは「そう」と頷いただけで、それ以上の追及はしなかった。ハーブティーをひと口すすって、切り出した。
「今日ね、母さんのお墓参りだったの」
「……うん」
「お昼は、家族で食事会の予定だったんだけど……急に、お蕎麦を食べたくなって。ごめんね、びっくりさせて」
それきり、彼女はしばらく黙り込んだ。
何枚かクッキーを食べ、お茶を飲んで、カップをソーサーに置く。手が震えているのか、わずかに陶器が音を立てた。
「……トーヤ。私、母さんのお蕎麦が食べたい。母さんが居なくなってから、何度も何度も作ってみたけど、どうしても、同じ味にならないの。何が違うのかな……」
震える声を絞り出した。縋るような問いかけだった。
前に温蕎麦を作ってくれた時も、彼女は同じ話をしていた。
当時の俺は、きっとマリーが探しているのは、『弱った時に母親が作ってくれた温蕎麦』という、思い出補正込みの味なのだと理解した。
そしてそれは、彼女の母がもうこの世界に居ない以上、決して再現はできないものなのだと。
「……じゃあ、探してみようか。お母さんの、蕎麦つゆの味」
提案すると、彼女はゆっくりと顔を上げた。自分から食べたいと言い出したのに、怪訝そうな表情をしている。
まあ、そりゃそうだ。
俺はおかみさんの温蕎麦を食べたことがないどころか、本人に会ったことすらない。常識的に考えれば、俺におかみさんの味を再現する手だてなどないはず。
しかし、ひとつ考えがあった。うまくいくかは分からないが、やってみる価値はあると思えるアイデアだった。




