3-16. 手紙
数日後の朝だった。
例の若おかみの息子が、いつもどおりランドセルを背負って店にやって来て、朝食のおにぎりを食べていた。
食べ終わると、なぜか彼は床にランドセルを下ろし、中身を物色しはじめた。すぐに目当てのものを見つけたらしく、顔を上げた。
立ち上がり、小走りにこちらへやって来て、カウンター越しに二つ折りの紙を差しだす。
「うん? どうしたの」
「おてがみ。しゅくだいで、かいた。あげる」
受け取って広げると、確かに便箋だった。
子ども用らしく罫線の幅がかなり広いが、その罫線すら大幅にはみ出す格好で、たどたどしい捏造ルーン文字が記されている。
「ありがとう」
「ふふ。いってきます!」
男の子は嬉しそうに笑うと、ふたたびランドセルを背負い、他の子どもたちと一緒に登校していった。
「いってらっしゃい」
後ろ姿に声を掛けてから、もう一度、手元の便箋に視線を落とした。
きっと、読み書きを実践で学ぶために、『身近な人に手紙を書いてみましょう』みたいな宿題が出たのだろう。普通は、家族や友だちに書きそうなものだけどな。
「ヒナ、読んでくれない?」
ヒナは休憩スペースの椅子に座って、穀物茶を飲んでいた。俺が手紙を差しだすと、受け取り、しばらく黙って眺めた。
「こわいおにいちゃんからたすけてくれてありがとう」
感情のない声で棒読みした。文面から視線を上げ、ジトリとこちらを見やる。
なるほどな、と思った。
ヒナの前では言えないから、あの子はわざわざ手紙に書いて寄越したのだ。その配慮は、俺がヒナに読んでもらったせいで、むしろ裏目に出てしまったわけだが。
「いや……ごめん。読めないからさ」
「ふん。なぜ、勉強やめた?」
「まあ、いいでしょ。別に困ってないし」
もともと、読み書き勉強会に参加したのはルカのためだったが、彼は俺が初回リタイアしたので『自分は向いている方だ』と自信をつけたらしく、その後も意欲的に取り組み続けていた。
怪我の功名、結果オーライってやつだ。
「いま困った」
「……ええと、そろそろ、俺たちも朝飯にしようか」
話を逸らして、そのまま、のれんの奥へ逃げ込んだ。
本日のメニューは、ホウレン草チーズおにぎりと、異国情緒スープ。暖かくなってきたとはいえ、まだ朝は冷える。朝食には、温かい飲み物が欠かせない。
「どうぞ」
従業員用休憩テーブルに朝食を置くと、彼は湯気の立ちのぼるカップを手に取り、ひと口すする。
「……あのさ。ヒナは、学校行きたい?」
対面に座って、おずおずと尋ねた。
マリーいわく、ヒナが学校に通えないのは、父親の教育方針の問題だという。
よその家庭事情に他人が口を挟み、まして勝手に手出しはできないというのが、彼女の主張だった。
そもそもマリーは、『タッパー亭の商売を手伝ってもらう』という名目で、ヒナを預かったのだ。
父親としては、ヒナに実地で商売の勉強をさせる心積もりのはず。勝手に学校へ通わせては、契約不履行になってしまう。
何もできないと分かっているのなら、最初から、期待させるような問いかけはしないほうが良いのかもしれない。
でも、この店には毎朝子どもたちがやって来て、おにぎりを食べて、みんなで登校していくのだ。
彼らの後ろ姿をひとり見送って仕事へ戻るヒナに、思うところがないはずはない。
何もできずとも、せめて、彼の気持ちだけでも受け止めてやりたい。そう考えての発言だったが、しかし、当のヒナから返ってきたのは、予想外の返答だった。
「行きたくない」
「……え、そうなの?」
「ヒナは、商売がしたい。学校は、いや」
あからさまに不機嫌な表情で、大きくおにぎりを頬張った。『この話はもう終わり、二度と聞くな』と言わんばかりの態度だった。
正直、面食らった。
俺はてっきり、内心では学校に行きたいのだろうとばかり思っていたからだ。
ヒナは、秋には父親と共に街を旅立つ。友だちができれば、また別れるのがつらくなる。それが嫌なのだろうか?
でも、先日一緒に遊びに行った子どもたちとは、当たり前に仲良くなって帰ってきたし、次の休日にも遊びに行く約束をしたと言っていた。
「……そっか。ごめん」
でも、ヒナにはヒナの、考えや事情があるのだ。俺が勝手に気持ちを推し量り、善意を押しつけるべきじゃない。
かつての俺だって、母親が善意で発した『友だちと遊んだら』という言葉に、人知れず傷ついていたのだった。
第三章・第一節が完結しました。
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