3-15. 動機
「トーヤは、学校に通ったこと、あるの?」
朝のまかないを食べ終わった後、ふと、マリーが尋ねた。
「え? うん、まあ」
「それで、どうして、隊商で働くことになったの」
と聞かれて、数秒黙った。
それから、自分が元借金労働者だという異世界での設定を思い出した。
「あ……ごめん。言いたくないなら、無理には聞かないけど」
マリーはばつが悪そうな顔をし、慌てて続ける。
ルカは、出身の村には寺子屋がなく、通うカネもなかったと言っていた。この街の人々も、十一歳の子どもが毎日店のレジに立っているのを疑問に思わない。
異世界では、子どもを学校に通わせられるのは、余裕のある家庭だけなのだ。
実家がそれなりに裕福だったのならば、俺はなぜ隊商に借金をし、そのカタとして働くハメになったのか。
店主としては、従業員の過去に何があったのか、気になるんだろうな。
「それは……」
俺は嘘をつくのが苦手だ。だから、どうしても嘘をつかなければならない時は、なるべく、本当の話に近づけるよう心掛けていた。
そこで今回は、マリーの質問を『なぜ実家を出て東京で会社員をしていたのか』に変換して答えることにした。これなら、事実をそのまま答えられる。
「実家は……居心地が悪くてさ」
と切り出した。
「俺には、歳の離れた兄がいてね。俺がヒナくらいの頃に結婚して、甥っ子が生まれた。もちろん、家業は兄が継いだ」
この話を口に出すのは初めてだな、と思った。
ずっと分かっていたことではあったけれど、言葉にしてしまえば最後、真正面から事実に向き合わなければならなくなる。日本で暮らしていた頃は、それが怖かったのだ。
「姉もすぐに、結婚して出ていった。跡継ぎでもないのに、いつまでも家に居るのは、肩身が狭くて……それで、ちょっと遠くの学校に進学して、家を出ることにした」
異世界でも、理解されない話じゃないだろう。昔の日本でも、次男以下は財産を相続できず、都会で出稼ぎをする人も多かったという。
「卒業したら、働くべきだった。でも、親に無理言って、もっと都会にある、上の学校にも行かせてもらった」
修士課程へ進んだ当初は、そのまま博士課程へ、その後は大学に残って研究者になろう、などと甘く考えていた。
別に、研究意欲に満ちあふれていたわけじゃない。ただ、就活が嫌だっただけだ。
でも、フタを開けてみると、学術研究の世界に残るのは、民間企業へ就職する以上のいばらの道だった。
俺は、当時は学生というお客の立場だったから、研究室に席を貰えていただけ。
大学に研究職を得て給料をもらうのは、針の穴ほどの狭き門なのだと、すぐに思い知らされた。
「でも、学者にはなれなくて。働き口を探したけど、トロいし口下手だしで、どこも雇ってくれなかった。結局、同郷のよしみで隊商が拾ってくれて……それで、実家にお金を送った」
最後だけが嘘、というか、願望だった。
俺は新卒の頃、初任給を全額引き出し、現金書留で実家に送金した。その後も毎月仕送りを続けて、せめて学費くらいは返そうと考えていた。
しかし母親に『余計なことをするな』と叱られ、即日、全額返金されたのだ。ご丁寧に、郵送料金まで上乗せして振り込まれていた。
さらに、今後何度送ろうと同じように処理すると宣言されてしまい、俺の恩返し計画は、あえなく潰えたのだった。
「……ご実家とは、それきりなの?」
「まあね」
「その……トーヤは良いの? それで」
「だって、今さら帰れないでしょ。もう、家に俺の居場所はないだろうし、家族と何を話していいのかも分からない」
カップを取り上げた。わずかに底に残っていた、冷めた穀物茶を喉へ流し込む。
「でも、せめて今の状況くらいは、伝えたほうが良いんじゃない? 遠い外国じゃ、手紙を届けるのも、なかなか難しいだろうけど」
「うーん……そうだね」
実際のところ、日本にはスマホという文明の利器があり、母親からは頻繁にメッセージが送られてきていた。ほとんど既読無視していたけれど、こちらからの連絡も、しようと思えばいつでもできる。
しかし、東京での仕事を辞め、異世界の弁当屋で働いているだなんて、家族に説明できるわけがない。
「そうだねじゃないよ。きっと、ご心配なさっているでしょうに」
「まあ、実家には兄が居るわけで……俺が居なくなっても、誰も困らないから」
答えると、マリーは「あなたって……」と呆れたように呟いた。それから、顔を上げて、まっすぐこちらを見る。
「先に言っておくけれど。あなたが居なくなると、私は困る。だから、黙ってどこかへ行ったりしないでね」
「うん」
「待ってて。温かいお茶、淹れてくる」
のれんの向こうへ消えていくマリーの後ろ姿を見て、考えた。
確かにタッパー亭は、俺がいなければ絶対に回らない。従業員自体は他で雇ってもいいだろうが、米を仕入れられるのが、俺しかいないからだ。
なのに、どうしてマリーやヒナは、米の仕入れ先を気にしないのだろう?
もちろん、仕入れについてこられても困る。でも、店の主力商品の出どころが不明のままで、不安にならないのだろうか。
もし俺が突然いなくなったら、営業できなくなってしまうのに。
「……」
もしかすると、俺に、ここに居てほしいからなのだろうか、と思った。
すぐに、自意識過剰だな、と口の中でひとりごちた。




