3-08. 原因
そのまま、しばらくじっとしていたが、めまいと気持ち悪さは治まらなかった。
部屋に戻ろうにも立ち上がれず、マリーが呼んできたルカに支えられて、何とか自室のベッドで横になった。
勉強会は中止。マリーは、ヒナとルカに帰るよう指示し、ひとりで二階に残った。
「大丈夫。ここに居るから、何でも言って」
彼女はストーブを焚き、布団の上から身体をさすり、冷えた手を握って温めようとしてくれた。
マリーには、俺が急に体調を崩した理由は分からないはずだ。もし感染症だったらうつってしまうかもしれないのに、つきっきりで看病してくれた。
もちろん、彼女の善意は、火を見るよりも明らか。けれど正直、俺はマリーが部屋にいるのがキツかった。
優しく声を掛けてくれるたび、喉元へナイフを突きつけられているかのように錯覚してしまう。
そこへ、善意でそばに居てくれるのだと知りながら、恐怖を感じてしまう自分への嫌悪感が上塗りされる。
心臓はせわしなく動いているのに、まったく血が巡っている気がしない。息を吸っても、脳に酸素が入ってこない。
「……トーヤ。お医者さま、呼んでくるね。すぐ戻るから、待ってて」
しばらく横になっても一向に症状が改善しないので、マリーはそう言い残し、部屋を出ていった。廊下の向こうで、玄関のドアが閉まる音。
皮肉なことに、部屋に一人きりになったことで、やっと落ちつけた。深く吸い込んだ息を吐ききると、そのままストンと意識が落ちた。
◇ ◆ ◇
「うーん……」
良い匂いに鼻をくすぐられて、目が覚めた。
マリーは部屋には居なかった。窓の外はすっかり暗い。部屋の扉は開けっ放しになっており、ランプの暖かい光が居間から廊下へ漏れている。
身体を起こした。まだ少し気だるいが、動けそうだ。ひとつ息をつき、意を決して部屋を出る。
「トーヤ!」
居間へ入ると、マリーが駆け寄ってきた。頬に手のひらを当て、目の下を親指でなぞる。
「ねえ。……今まで、夕飯は何を食べてた?」
「え?」
「お医者さまがね、ちゃんとした食事をとっていないんじゃないか、って仰ったの。それで、身体が弱って、倒れてしまったんだろうって」
「あー……」
指摘されて、初めて気づいた。
俺は、一日三食、食べてはいた。でも、栄養面まで考慮してはいなかったのだ。
朝は、おにぎりと穀物茶。昼は、余った弁当のおにぎりとスープ。
夕飯はマリーとヒナが帰った後で、いつも一人だった。冷蔵庫のない異世界では、生鮮食品は都度購入しなければならないが、仕事の後にわざわざ買い出しに行く気がせず、適当に済ませることが多かった。
そのうえ、日本にいた頃はデスクワークがメインだった仕事は、大量の米を炊く、店舗を清掃するといった、肉体労働寄りの業務に変わっていた。
週に二度、日本に米の仕入れに行き、10キロ以上の荷物を背負って歩いた。薪運び、水汲み、洗濯などの日々の家事も、便利なインフラや家電がある日本とは違い、結構な重労働だった。
時々ならば、そんな日があっても仕方がない。だが、毎日となれば話は別。いずれ破綻するのは、目に見えている。
「………………なるほど」
と呟いた。
俺はてっきり、精神面からの体調不良だと思い込んでいたが、逆だ。
もともと身体が弱っていたせいで、精神的にも脆くなっていた。そこへ勉強会の精神的負荷が重なり、耐えきれずに倒れてしまったのか。
原因がハッキリした途端、気が楽になった。今は、頬に触れるマリーの手を、素直に温かいと思えた。
「顔、洗っておいで。食事にしましょ」
マリーは優しく微笑んだ。居間の奥にある洗面所で顔を洗い、トイレも済ませ、手を洗って戻った。
ストーブの上で、鍋がコトコトと煮えている。マリーは鍋の中身を深皿によそって、俺の席に置いた。
スープには、大きな肉の塊がゴロゴロ入っていた。ひとつスプーンですくって、口に入れる。柔らかく、噛むとじわっと肉汁が染み出た。
スープの温かさが、身体の芯からじんわりと染みわたる。いま身体に必要な栄養素が溶け込んでいる、それが本能的に分かる味だ。
「……おいしい」
他には言葉が見つからなかった。マリーは頷き、自分もスープをすくった。
食事の後、マリーが漢方っぽい薬を煎じてくれた。異世界の医療事情は知らないが、診察料や薬代は、決して安くはなかっただろう。俺の不摂生のせいで、余計な出費をさせてしまった。反省しなければ。
薬を飲み、白湯で一息ついた後、マリーに「事務所まで送っていく」と申し出た。
彼女は数秒黙り、下を向いてため息をつき、顔を上げた。
「トーヤ、怒るよ?」
未来形だったが、表情も声も、すでに怒っていた。
「いやっ……でも、もう遅いからさ。ひとりで夜道を帰るのは、怖いでしょ。だいぶ良くなったし、事務所まで往復するくらいなら……」
「ご心配なく。今夜は、泊まっていく。ソファで寝るから、冬用の毛布、貸してね」
「えっ」
店の二階には、個室が二部屋ある。しかし俺ひとりしか住んでいないため、片方は物置状態になっており、寝具があるのは一部屋だけだった。
マリーをソファで寝させるのは気が引けたが、何か言う前に、彼女が先制する。
「トーヤ。私、ルカにも言ったよね。あなたが倒れて困るのは、あなただけじゃない。だから、私のために、今はちゃんと休んで。明日はお店、開けないからね」
静かな声だったが、迫力に気圧され、黙って頷いた。マリーは深皿とコップを下げ、流しで洗ってカゴに伏せた。




