3-06. 染み
普段の仕事より時間は掛かったものの、ルカはちゃんとチケットの版木を作ってきた。
五枚つづりの縦長形状なので、上から版木を押しつけるスタンプ方式だと、均等に力を掛けるのが難しい。そこでチラシと同様に、版木に薄板を載せ、バレンで摺る方式にした、とのことだった。
「じゃあ、摺ってみようか」
開店チラシ以来、長らくご無沙汰だった摺り道具を引っ張り出してきて、試し摺りをした。
写りは問題なさそうなので、マリーに渡して、内容を確認してもらう。
「あれっ?」
マリーが眉根を寄せた。ルカの肩がびくりと跳ねる。
彼女はおおらかな性格で、今回の仕事も『多少、図案と違っても構わない』とさえ言っていた。そのマリーが、眉をひそめたのだ。
ルカにとってはただでさえ自信のない仕事だったのだから、気が気でないだろう。
「なっ、なにか、マズかったでしょうか……?」
「……ルカ。いま、図案持ってる?」
「へえ」
ルカは震える手で、懐に入れていた図案を取りだした。マリーは紙を両手に広げ、「ああ」と呟く。
「ここ、汚れてるね。それを、そのまま写しちゃったんだ」
図案をテーブルに置いて、指さしながら指摘した。
インクを落としたらしい、小さな丸いシミがある。タッパー亭ロゴの横、俺には読めないが、たぶん『弁当チケット』とか書かれている部分だ。
「す、すんません! どっかで、汚しちまったのかも……。すぐ削りますんで、お許しを」
「ううん。それは、いいの。汚したのは、私かもしれないし」
マリーは慌てるルカに向かって、続けた。
「それより、ルカ。あなた、読み書きができないの?」
「えっ?」
「だって、字が読めるなら、こんなところに点はないって、すぐに分かるはず。五つ全部に写し取っても気づかないなんて、ありえないよ」
ルカは、下を向いて黙り込んだ。マリーはちょっとばつの悪そうな顔をして、口調をやわらげる。
「責めているわけじゃないの。でも、街で職人をやっていくなら、読み書きができないと不便でしょう。今は、どうしているの?」
「それは……仕事は親方の紹介で……募集板は、読めねえもんで」
下を向いたまま、ぼそぼそと白状した。親方に面倒を掛けている自覚があり、後ろめたく感じているのだろう。
「ウチの村は小せえもんで、寺子屋は、隣村にしかねえんです。まあ、あったとして、ウチには通うカネもねえんですが……」
「じゃあ、ここで一緒に勉強しない?」
「ええっ!?」
思わぬ提案だったのか、ルカは驚いた様子で顔を上げた。
「お店を閉めた後、ヒナに教えているから。時間がある時に、遊びにいらっしゃい。もちろん、あなたに合わせてイチから教える。心配しないで」
しかし、それでもルカは、口の中で何かごにょごにょ言っていた。まあ、この年までいっさい勉強に触れてこなかったのだろうから、しり込みするのも無理はない。
「そうだ。トーヤも、一緒にやろうよ」
思わぬ流れ弾を食らって、「え」と声が出る。
「いやっ、俺は……」
個人的には、異世界文字の読み書きができなくても、さほど困ってはいなかった。
異世界でも、日本語のメモは取れる。店の前に掛ける札や注文木札は、側面や裏側などの目立たない部分に日本語を書き足して、見分けがつくようにしていた。
事務仕事はできないが、そもそも経理は専門外だし、最初からアテにされていない。
「その……」
――ただ、いまマリーが俺を誘ったのは、俺のためじゃない。
きっとルカは、今から勉強をはじめ、年下のヒナに後れを取るのが恥ずかしいのだ。
ならば、ルカよりずっと年上の俺が同じスタートラインに立つことで、始めるハードルを下げられるはず。マリーは、そう考えたのに違いなかった。
となると、『俺は困ってないからやらない』とは言いづらい。
「大丈夫! 簡単だよ。だって、文字の形と読みさえ覚えれば、あとは、話すとおりに書くだけだもん」
マリーは励ましたつもりなのだろうが、それは、俺にとっては最悪のニュースだった。
薄々、気づいてはいたが――異世界文字は、表音文字なのだ。




