3-03. チケット
話を聞いた後、ヒナが男の子を解放すると、彼は市場の方向へ走り去った。たぶん、両親の店へ行ったのだろう。
俺はヒナにこっぴどく叱られることを覚悟したが、意外にも、何も言われなかった。
彼は「シャッター、閉めといて」とだけ指示して、机に残ったおにぎり弁当二個を手に、裏口から出ていった。
表のシャッターを閉め、俺も二階へ向かう。居間へ入ると、マリーがストーブコンロでスープを作って待っていた。
「遅かったね。何かあったの?」
「ああ、ええと……ごめん、それが」
と前置きして、一連の事情を説明した。
もしかすると、母親が後で何か言ってくるかもしれない。その時、店主であるマリーが『知りませんでした』ではマズい。叱られるとしても、話しておくべきだ。
「トーヤらしいねえ」
はたしてマリーは微笑みを浮かべて、深皿に温かいスープをよそった。
特にお咎めはないらしい。きっと、マリーもその場に居れば、同じことをしたのだろう。
ヒナはふたつのおにぎり弁当を、それぞれマリーと自分の席に置いた。俺は自分の取り分の弁当を男の子にあげた、というわけだ。致し方ない。
マリーは席につくと、包装材を半分に割って、片割れをこちらへ差しだす。
「トーヤ、ひとつどうぞ。おなか空いてるでしょ?」
「マリー、甘やかさない」
「……だって、小さな子どもがおなかを空かせていたんだよ。放っておけなかったのは、いけないことなの?」
「タッパー亭、マリーの店。マリーがあげるなら、良い。トーヤが勝手にあげたら、ダメ」
ピシャリと言った。
その通りだった。だいたい、マリーは裏に居たのだから、コソコソせず、ひとこと相談するだけで済む話だったのだ。
「……でも、良いこと分かった。新しいお客、増やせるかも」
ヒナは得意げに続け、木製スプーンでスープの肉団子をすくった。そのまま口に入れたが熱かったらしく、『しまった』という顔をして、はふはふと口の中で転がしている。
コップに水を注ぎ、彼の前に差しだした。ヒナは慌てて水を含み、冷ました肉団子を飲み下してから、ふたたび口を開いた。
「……ふふん。子ども、ごはん買うお金ない。でも、いつも親と一緒じゃないでしょ? だから、子どもたちが、お金なしで弁当買えるようにする」
「お金なしで?」
「チケットつくる。5千円ぶん、十枚まとめ売りで、一枚おまけ。親が買って、子どもにあげる。子どもはタッパー亭に来て、チケットと弁当を交代する」
つまり、回数券か。良いアイデアかもしれないな。
商売をする親は忙しく、ずっと子どもに構ってはいられない。
しかし、ただでさえバタバタしているのに、自分が居ない間の子どもの食事のことまで考え、用意するのは大変だ。かといって、外食費として現金を渡せば、意図せずお菓子やおもちゃに変わってしまう可能性がある。
その点、タッパー亭の回数券は、おにぎり弁当にしか使えない。食費と娯楽費とを、分けて与えることができるのだ。
「交代じゃなくて、交換ね」
マリーが訂正した。
近ごろのヒナは、言い間違いが増えていた。けれど、それは良い変化だった。
以前の彼は、確実に意味の分かる少数の語彙を駆使して、伝えたいことを表現していた。
しかし今は、自分の知らない、目新しい単語を学習し、日常生活で使ってみようとしているのだ。……学習元が、やや不安だが。
「……トーヤ、ごめん。ヒナ、意地悪した。ヒナのおにぎりも、一個あげる」
彼はおにぎり一個とスープを食べ終わった後、半分に割った弁当の片割れを、こちらへ押しやった。
俺が状況を呑み込めずにいると、眉を下げて続けた。
「ヒナ、トーヤがあの子の心配してたの、知ってた。怒るために、わざとひとりで帰った。『おとり捜査』した」
学習元に口を出したほうが良いかもしれない、と思った。子どもが、ミステリ小説で言葉を覚えるべきじゃないだろう。




