2-45. 旅立ち
ヒナは隊商のキャンプに泊まっていくというので、その日はひとりで帰宅した。
翌朝、俺は店の木製シャッターに『本日休業』の札を掛けて出かけた。
隊商が旅立つ日だった。俺自身は彼らの知り合いではないが、半年間ヒナを預かる以上は、共に見送りに立つべきだろう。
組合事務所に寄ってマリーと合流し、道中で昨日の振舞いの話をした。あまり夜遅くなると親方が心配するというので、彼女は昨日、仕込みの後に帰ったのだ。
「そう! よかったねえ」
お茶漬け作戦が大成功したと伝えると、マリーは声を弾ませた。前を向いて、立ち止まる。いつの間にか、大通りが人で渋滞していた。
「えっ、何かあった?」
一歩前に出て背伸びしてみたが、なぜ人々が立ち止まっているのか分からない。マリーは俺の服の裾を引き、振り向いたところへ手を差し伸べる。
「なに?」
「握って。はぐれちゃうから」
「え? あ、うん……」
この人ごみに突入する気らしかった。
ちょっと気が引けたが、確かに一度はぐれたら、二度と会えそうもない。いや、最悪諦めて組合事務所まで戻れば会えるけど、見送りに間に合わないと困る。
おそるおそる手を伸ばすと、マリーはぎゅっと手のひらを握った。「すみません」と周囲に声を掛けながら、果敢に人波へ分け入っていく。
少し歩いて、なんとか先頭に出た。
北へ続く大通りの両端にも、大勢の人がいる。通行止めというわけではなく、みんな自主的に何かを待っているらしい。
俺たちは人ごみを離れ、隊商滞在地へ向かった。
昨日のテントは無人だった。たぶん、ここは組合会議室のような共用スペースであって、隊商が寝泊まりするような場所じゃないのだろう。
「トーヤ、マリー!」
背後から声を掛けられた。ヒナが立っている。
「おはよ。隊商、あっち通る。見に行く」
それから少し黙って、にやにやして、続けた。
「仲良しだね」
まだ手をつないだままだったのに気づいた。
確かに、大通りの人ごみを離れたのだから、もう必要ない。慌てて振りほどくと、マリーがちょっとばつの悪そうな顔をする。
「あ、いや、ごめん、……嫌だったわけじゃなくて!」
「トーヤ、後で言い訳する。隊商、行っちゃう」
ヒナが間に入り、右手を俺と、左手をマリーとつないだ。手を引かれて向かった先では、隊商が出発の支度をしていた。
ラクダが居た。
俺のイメージでは、シルクロードを旅する商人は直接ラクダに荷物を積んでいたが、隊商では荷車を引かせるという馬っぽい使いかたをしている。
そりゃそうか。地面が沈み込む砂地でなければ、荷車のほうが、より多くの荷物を運べるからな。
「パパ! マリーとトーヤ、見送りに来た!」
ヒナの父親――隊商長は相変わらず誰かと話していたが、会話が途切れた一瞬を狙って、ヒナが声を掛けた。
彼はこちらを振り向き、人懐こい笑みを浮かべる。
「おや。わざわざ、どうも。お嬢さん、秋まで、どうかヒナをよろしく頼みます」
「ええ。こちらこそ、ご承諾いただいて、なんと御礼を申し上げてよいか。ヒナの商才には、いつも助けられてばかりなので」
なごやかな会話だったが、あまり悠長にしている時間はないようだった。父親はヒナに異国語で何か声を掛けると、さっさとどこかへ行ってしまう。
キャンプ付近をウロつくと迷惑になりそうなので、少し戻り、道路脇で待つことにした。
◇ ◆ ◇
やがて、隊商の列が見えてきた。
先頭には、各々楽器を手にした派手な身なりの一団が整列し、華やかな音楽を奏でながら行進している。
なるほど、このパレードを見るために、街の人々は大通りに集まっていたのか。
楽団に続いて、派手な飾りをつけたラクダが現れた。またがっているのは、ヒナと同じ褐色肌の青年。
「ヒナの兄ちゃん」
呟いて、彼は先頭の青年を見つめた。握った手に力がこもる。
「……パパ、支店、兄ちゃんに任せるんだ」
どこか寂しげな口ぶりだった。
俺はその横顔を見ながら、ちょうどヒナくらいの年齢だった頃を思い出していた。
十五歳年上の兄は、俺が小五の時に結婚した。我が家の無駄に広い前庭に、兄の家が建った。
勉強以外は何もできない俺と違って、兄はすべてを平均以上にこなすバランス型。母親に似て明るく社交的な性格で、青年会でも中心的存在であり、米農家の未来を真剣に考えていた。
兄との関係は良好だった。男兄弟というのは、普通は些細なことで喧嘩したりするのだろうけど、俺たちの場合はあまりに年が離れすぎており、俺が小学校に上がる頃には、兄はもう大人になっていた。
俺は素直に兄を尊敬していたし、兄も、デキの悪い弟を可愛がってくれていた。俺が押し入れ失踪事件を起こした時には、血相を変えて探し回ってくれた。
でも、前庭に兄の家が建った時、幼いながらに理解した。
――この家は、兄ちゃんが受け継ぐんだ。だから俺は、ずっとここには居られないんだ、と。
今思えば、俺が実家を出ようと考えはじめた、いちばん最初のキッカケはそれだった。
ただ、では実家を出てどこに行くのかと言われれば、小五の俺にはまだ何のアイデアもなく、漠然とした不安だけがあった。
きっと今のヒナも、同じ気持ちなのだろう。
震える手を握り返した。ヒナの居場所は、ここにある。そう伝えたかった。
(異世界弁当タッパー亭 第二章 完)
これにて、第二章完結です。
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