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2-31. 居住

 数日後の午後、店の二階に居ると、呼び鈴(玄関外の紐を引くと居間の鈴が揺れるタイプ)が鳴った。


 マリーは、ヒナに絵本を読み聞かせているところだった。代わりに出ると、玄関先にルカが立っている。マリーが事務所に居なかったため、直接こちらを訪ねてきたのだろう。


「どうも。良い店ですね」

「いらっしゃい。どうぞ、入って」

「あら、ルカ! ようこそ。いま、お茶淹れるね」


 マリーはルカが入ってきたのを見るや、席を立ち、カラのティーポットを取り上げた。ヒナは絵本を畳み、テーブルの脇に押しやる。


 ルカは、発注者(マリー)が目の前で別作業を始めて事前シミュレーションが崩壊したのか数秒フリーズしていたが、ヒナに急かされて我に返り、慌ててカバンから注文品を取りだした。


「ええと。これが、チラシの版木です。こっちは、試し刷りしたもんで……」


 敬語で言いながら、ヒナの前に版木を置き、試し刷りの紙を手渡した。


 ルカにとってもヒナはずいぶん年下の少年だが、まあ、気持ちは分かる。俺もときどき、思わず敬語になる。


「看板は? もう作ってる?」


「いえ、看板は、まだこれからで……一度、店の様子を見てからにしようかと」


「良い。注文、ちょっと変えたいから、後で話す。トーヤ、スタンプの道具持ってくる」


 ヒナはあらかじめ、市場でひととおりの摺り道具を準備していた。


 まずは、テーブルを汚さないよう、版木の下に広めの麻布を敷く。続いて、刷毛で版木にインクを塗り、上から紙を置き、バレンでこすって写しとった。


「マリー。チラシの字、ぜんぶ合ってる?」


 版木から剥がした紙を、流しの前に居るマリーに向けた。ヒナは、まだこの国の文字は勉強中なので、自分では内容が正しいのか確認できないのだ。


 まあ、俺自身は異世界文字は一文字も読めないのだから、エラそうなことを言えた立場じゃないけど。


 マリーは淹れたお茶を手に戻ってくると、空いた席にカップを置いた。チラシの端をつまみ、ひととおり内容に目を走らせて頷く。


「……うん、良いと思うよ」


「じゃあ、トーヤがチラシ作る。ルカ、看板の話する」


 俺がダイニングテーブルの一画でチラシ製作をしている間、ヒナはルカに看板デザインの変更について相談した。


 もともとの注文は、単にタッパー亭のロゴマークだけの看板だったが、毎日手書きで変更できるメニュー用の黒板を付けたい、とのことだった。


 日替わり弁当の内容はもちろん、単品販売の具材も毎日変えるので、いちいち紙のメニュー表を掲示しなおすより、黒板に書いたほうが良いと考えたのだろう。


「あと、店で食べる人のテーブルが欲しい」


「へえ。じゃあ、そいつの置き場の寸法も、測りましょうか」


 ルカはすっかり、木工職人が板についていた。マリーはふたりの様子を微笑ましく見守りながら、できあがったチラシを扇いでインクを乾かした。



   ◇  ◆  ◇



「明日は、日の出の後に売りに行く。トーヤ、シロを炊いといて」


 夕方、ヒナはそう言い残し、マリーと事務所へ帰っていった。俺は普通に頷いた後、玄関ドアを閉め、居間に戻ってストーブの扉を開けたところで、ふと気づいた。


「……あれ」


 日の出の直後に市場に行くのなら、当然、それまでに弁当を作っておかなくてはならない。仕込みには、二時間は必要だ。


 つまり、俺は明日の朝五時には、この店に居る必要がある。


 ――始発に乗っても、間に合わないのでは?


 俺はずっと、夕方ふたりと別れた後に例の穴から日本に帰り、古アパートで寝て、翌朝異世界に出勤するという生活をしていた。


 今までは、一番早く来た時でも交通量調査をした朝七時だったため、普通に電車通勤ができていた。


 でも、朝五時にここへ来るとなれば、自宅最寄り駅を四時すぎに出発する電車に乗らなくては間に合わない。そして、そんな電車は存在しなかった。


「………………どうしよう」


 異世界での生活基盤は、マリーが整えてくれていた。店には、厨房もベッドもある。先日布団などを買った際、異世界の服もいくつか見繕ってもらい、寝室のクローゼットに入れてあった。


 さらに、水汲みの必要性さえ知らなかった俺は家事全般に著しく疎いと判断されたらしく、マリーは日常生活に必要な家事を、懇切丁寧に教えてくれていた。


 異世界で新生活を始めても、何の問題もない状態だった。


 ない、けれども……。


「マジか……」


 異世界に生活基盤を移し、本格的にこの街の住人になる。単に仕事のために通勤するのとは、ワケが違った。


「………………」


 なんとか、電車以外の手段で通勤できないだろうか。日が落ちるまで悩んだあげく、ひとまず、今晩は店に泊まるしかない、という結論に達した。


 米は、日本からこちらへ来るたびに追加補充していたので、数日ぶんの余裕はある。


 とはいえ、ときどきは米の補充に帰らなければならないし、メッセージの既読も、ある程度の頻度でつけないと厄介なことになりかねない。


 こちらに住むことになっても、日本とのつながりが完全に切れるわけじゃない。


 そう、自分に言い聞かせた。

第二章・第二節が完結しました。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!


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なお、次回より、夜の更新時刻を変更いたしますので、お知らせします。

新しい更新時刻は【毎日2回 12:10・21:10】です。


またのご来店をお待ちしております。

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