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2-16. 行商

 市場内で行商をする許可は、すでにマリーが取得していた。行商カゴの左側に許可証、右側にメニュー表(全一種類)を挟みこんで、すべての準備が整った。


 では、いざ出陣――の前に。


 少し時間が押してしまったので、ひとまずカゴを土間の涼しい場所に置き、マリーのまかない仕事を手伝った。事務員たちに昼食を出した後、行商カゴを背負い、ようやく出発態勢に入る。


 俺は、ヒナと二人で市場に販売へ行くものと思っていたが、ヒナは、「一緒に行く」とマリーの袖を引いた。


「え? ……前に、マリーは販売の仕事はしないほうが良いって、言ってなかった?」


「うん。あの時は、お客と売りかた、決めてなかった。マリーを店に出したら、良い売りかた、分からなくなる。今は、お客も、売りかたも決めた。次は、マリーのためでもいい、まず買ってもらう」


 ヒナはそう説明した。


 ……確かに、まず手に取ってもらわないことには、商品の良さは伝わらない。その点、マリーが市場を歩き、一言『弁当いかがですか』と売り込めば、行商カゴの中身は瞬殺されるだろう。


 たとえ最初はマリー目当てであっても、基本方針(コンセプト)がしっかりハマれば、彼らはタッパー亭の客になってくれるはず。


 ヒナの主張は、正しい、のだとは思うが……。


 俺が何か言いたげにしているのを察したらしく、ヒナはジトリとこちらを睨んだ。


「トーヤ。タッパー亭、マリーの店。マリーが弁当を売るの、変じゃない」


「……でも、マリーを客寄せにするってことでしょ、つまり」


「はあ……。商売、そんなに甘くない」


 ヒナは呆れ顔をしたが、俺が一向に納得しない(反論もできなかったが)ので、結局先に折れた。


「分かった。マリー、まかないの片づけが終わったら、広場に来る。そのとき売れ残ってたら、手伝って」


 と言った。マリーの仕事が終わるのは、十三時半から十四時頃。その時間帯であれば、弁当が売れ残っていたとしても、巻き返して捌ききれると判断したようだった。



   ◇  ◆  ◇



 というわけで、俺とヒナは二人で市場の一画、日用品関係の露店が軒を連ねるエリアにやってきた。


 市場は今日も大勢の客で賑わい、ヒナが元気よく売り込む声でさえ、かき消されてしまいそうなほどだ。


 で――結論から言うと。ヒナの指摘どおり、商売は、そんなに甘くはなかった。


 単に市場の客だった頃には、どこの店でも愛想よくしてもらえた。しかし、では俺たちが売り手として彼らに受け入れられるかというと、それはまったくの別問題なのだ。


「……ほらね?」


 ヒナは最初からこうなると分かっていたらしく、『だから言わんこっちゃない』という冷たい目でこちらを見た。


 もちろん、組合の営業許可証は貰っている。しかしそれは、この市場の商人全員が持っている、必要最低限の信用だ。


 今まで組合事務所前に出店することで与えられていた、『物珍しい品を売る新参者』という特権的地位を失った今、タッパー亭は他の数多の店と同じ土俵に立ち、信用ゼロの状態から勝負しなくてはならない。


 それはもちろん、容易なことではなかった。


「お昼ごはんに、おにぎり弁当、いかがですか~」


 ヒナは露店の店主に愛想よく手を振った。店主は一瞬こちらを見たものの、自分の店に客が現れたため、すぐそちらへ視線を向けてしまった。


 簡単には売れないと分かっていても、ヒナは手を抜いたりしなかった。むしろヒナでさえ苦戦する姿をあえて見せることで、俺に商売の厳しさを教えようとしているのかもしれない。


「……トーヤ。そろそろ、広場行く。たぶん、マリーが来てる」


 ちらと腕時計を見た。十三時半過ぎだった。


「ああ……うん。じゃあ最後に、一本先の区画だけ、回ってみない?」


「いいけど、それで最後。マリー、たぶんもう待ってる」


 釘を刺して、ヒナは次の区画へ足を向けた。


 正直、俺はただ行商カゴを背負ってヒナの後ろを歩いているだけであり、何の役にも立っていなかった。そのくせ、マリーを客寄せ扱いするのは良くないなどと、エラそうなことを言えた立場じゃない。


 ……ない、けれども……。


「お昼ごはんに、おにぎり弁当、いかがですか~」

「おっ。オニギリ少年?」


 ヒナが足を止めて、声のほうを振り向いた。露店の中に居たのは、先日、事務所前の出店で、初めておにぎり弁当(紙包装)を買ってくれた客だった。


「あーっ! にーちゃん! こんにちは!」


 ヒナがやや大げさに反応し、彼の店へ駆け寄っていく。


「なに、行商やってんの」

「そう! おなか空いてない? スープもある!」

「じゃあ、貰おっかな」


 露天商は手元の麻袋から500円硬貨を一枚取り、ヒナに渡した。代わりに、ヒナからおにぎり弁当の包みを受け取った。


「あれ、包装変えた?」


「そう! 薄板にした。持ちやすいでしょ。かわいいスタンプも作ったの」

「ふーん」


 彼は続けてカップを受け取り、斜め後ろに設置されたストーブ上のヤカンに手を伸ばす。


 市場の露店エリアでは四店舗ごとにひとつストーブが備え付けられていて、そこかしこでヤカンから湯気が上がっていた。


 使い捨てコップに熱湯が注がれ、ふわっと良い匂いが漂ってくる。彼はひと口飲んで手元に置き、包みを取り上げると、ケガキがあるのに気づいて端からペリペリと割った。


「お、すごいね!」

「ふふん」


 中のおにぎりをひと口頬張り、スープを飲んだ。ストーブの扉を開け、食べ終わったごみを燃やした。


「………………」


 どこかで、ぐうっと腹の鳴る音が聞こえる。


「……なあ、コッチにも、ひとつくれよ」


 その声を皮切りに、周囲の店舗から、次々に注文が入った。

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