2-05. コップ
翌朝、組合事務所でヒナと落ちあった。今日は、マリーの昼の仕事が終わった後、夕飯の支度までの空き時間で、おにぎりの試作をする予定になっていた。
その前にひとつ、調達しておきたいものがあった。『異世界土鍋』を買うのだ。日本で買った土鍋でも良いような気はしたが、やや不安な点があった。
俺の知るかぎり、異世界にタッパーは存在しない。そもそも、プラスチックを見たことがない。にもかかわらず、弁当を手に取った商人たちは、誰もタッパーに見向きもしなかった。
プラスチックは、地球文明を大変革した世紀の大発明。商人であれば目ざとく興味を示し、『この物質はいったいなんだ、これで商売をしたい』と目の色を変えそうなものではないか?
誰ひとりとして興味を示さず、弁当を食べ終わったらアッサリ返却するなんて、あり得るだろうか。
しかし、目の前の現実はそうなっている。ヒナの父親も、タッパー弁当に見向きもしなかった。あの時点では、箱は返してほしいとすら言わなかったのにだ。
そこで俺はヒナに、タッパーが何に見えるか聞いてみた。まず、変な顔をされた。そして彼はこう答えた。
『木箱』だと。
つまり、異世界に存在しないものを地球世界から持ち込んだ場合、それは異世界文化の文脈で、現地に存在するモノに変換される。
たぶん、タッパーは『軽くて丈夫で安価な箱』といった文脈で解釈されたのだろう。その結果、木箱に変換されたのだ。
地球人の俺にはタッパーに見えているものが、異世界人には木箱に見え、実際に、彼らに対しては木箱として振舞う。
そう考えると、地球の品物を異世界で使うには、一抹の不安があった。持ち込んだ品が、俺の意図した文脈で変換されるとは限らないのだ。
もちろん、汎用的な品であれば異世界にも同じ趣旨のものが存在する可能性が高く、実際、これまではあまり問題にならなかった。
ただ、調理器具のような狭い目的に特化した品だと、ピッタリ合う変換先が存在せず、妙なものに置き換わってしまう可能性がある。
であるならば、調理器具は原則、現地調達すべきだ。問題が予期できる時は、悪いほうに考えておく。それが工学の基本だった。
……というわけで、俺は『大量のシロを炊くための専用鍋を買いたい』と頼んで、様々な鍋を扱う店をヒナに紹介してもらった。
「いらっしゃい。何をお探しですか」
店主が愛想よく笑いかける。
「ええと……」
俺は店主に、日本で調べてきた、土鍋の性質を説明した。火にかけると全体がゆっくりと温まる、かつ一度温まると冷めにくい鍋であり、同じ素材のフタがついている。
米をうまく炊くのに必要なのはそういう性質であり、物質的な同一性は、実のところ問題ではないのだ。
「そうですねえ。じゃあ、これはどうです」
と言って、普通に見覚えのある土鍋が出てきた。一瞬、やっぱ日本の土鍋を持ち込んでも良かったのかも、と後悔したが、今さら断れず、そのまま購入した。
その後、ヒナは別の店へと足を向けた。
使い捨て容器の専門店だった。日本だったらたこ焼きが載っていそうな舟形小皿や、紙コップの束がうず高く積まれ、所狭しと並べられている。
「遠くに、広い森があるんだって。木を切って、川に流して、港に運ぶ。乾かして、家の材料つくって、交易船にのせる」
ヒナが説明した。ここは商業の街だったが、地域全体の主要産業としては、林業が盛んな土地柄ということか。
「木を家の材料にする時、切れ端がたくさん出る。ストーブの薪にしたり、薄く削って、燃やせる皿やコップを作る」
「なるほど」
「トーヤ、そのコップ買う。それと、あの包み紙も」
ヒナは、俺のそばにあった背の高い棚から、紙コップの束と、数十枚重ねて丸められた紙束を取るよう指示した。店員に渡し、会計を済ませて店を出る。
市場の中を歩きながら、何となく、紙コップの束を手に取った。マリーにホットワインを貰った時と同様、今の俺にはまだ、紙コップにしか見えなかった。
これまでの経験から分かったことだが、俺の知覚する異世界は、解像度が上がった瞬間に変化するわけではない。次に異世界を訪れた時に、初めて更新される。
おそらく、あの穴への出入りがトリガーとなって、知覚変換データベースがアップデートされるのだ。
だから、この紙コップは、明日来た時には『建築資材の端材から作った使い捨てコップ』になっているだろう。
また世界の奥行きが増した気がして、思わず頬が緩んだ。




