1-34. 退職
そういうわけで、俺は日本の会社を辞めることになった。
今回の炎上の一件で、新卒の時に拾ってくれた社長への義理は果たしたんじゃないかと思えたし、プロジェクトが一段落したタイミングでもあり、辞めるにはちょうど良かった。
もちろん、正社員の立場を捨てる怖さはあった。けれど、今なら案外、何とかなるのではないかという気がしていた。
新卒には、実務経験がない。だから、機転が利いた返しができるとか、ハキハキ話すといった、人間としてのコミュニケーション能力が重視される。
俺は反応がトロいうえに人と話すのが大の苦手という真逆の性分だったため、筆記は通っても面接で落とされまくり、大苦戦した。
しかしながら、転職組に求められるのは即戦力であり、今の俺にはN年間の実務経験があった。業務内容によるが、ひたすら画面に向かえばいい仕事なら、そこそこやれる自信があった。
であれば、しばらく職歴が途切れたとしても、次の仕事は見つかるのではないか。今どきは自分で転職活動をせずとも、エージェントに登録するとかしてもいいのだし。
そんなことを考えながら、俺は古アパートでラップトップを開き、『会社 退職方法』と検索した。
法的には、二週間前の申し出でも辞められることが分かった。就業規則は会社に行ってみないと確認できないが、現状なら、一週間もあれば退職の準備はできるだろう。あとは、ほぼ丸々残っている有給休暇を消化すればいい。
同僚のように退職代行を使うこともちょっと考えたが、拾ってもらった恩義がある。きちんと、自分の口で伝えることにした。
◇ ◆ ◇
「……ずいぶん急だねえ。次どうするか、決まってるワケ?」
月曜日、就業規則を確認後に退職願を提出すると、上司は真っ先にそう言った。そこには明らかに『お前みたいなのを採ってくれる会社なんてないぞ』というニュアンスが含まれていた。
「はい。飲食で」
と答えると、上司は「はい!?」と目を丸くする。
「飲食!? キミが!?」
……まあ確かに、トロくて人と話すのが苦手な俺には、厨房も接客も向いていなさそうだった。しかし、俺は引き留めを想定して、上司を説得するための最強カードを用意してきていた。
「その、実家が、弁当屋でして」
「あー……ご実家ねえ」
案の定、引き留めモードに入っていた上司が、急速にトーンダウンする。
中年は、だいたい『実家』という言葉に弱い。上司も新卒時に地方から出てきたクチであると、初めて参加した弊社歓迎会で話していた。
話の内容はあまり覚えていないが、俺の反応があまりに薄いので、『聞いてるのか!』と怒られた記憶がある。
「突然の退職で、ご迷惑をおかけします。その、……えと、父が体調を、崩して……人手が必要になった、もので」
嘘をついたせいで急にしどろもどろになったが、俺の説明が途中からグダグダになることは日常茶飯事であり、上司は気にしなかった。
「そう。じゃあ、仕方ないねえ」
とだけ言った。
もしかすると、普段ならもう少し何か言われたかもしれない。しかし今回は、隣のデスクの同僚がプロジェクトの炎上を察して退職代行で辞めるという『ワケの分からない若者しぐさ(上司談)』をキメた直後だった。
その点、曲がりなりにもプロジェクトをやり遂げ、直接退職を申し出た俺には、上司もそれなりの誠意を感じてくれたようだった。
上司に退職を認めてもらったので、社長にも、チャットで伝えておくことにした。
新卒時に拾ってもらい感謝している、今後は弁当屋として地元を盛り上げるために活動していきたい、といった前向きな挨拶を書いて送った。
送ってから、どこの弁当屋か聞かれたらどうしようと焦り、書き直そうとしたが、すぐに既読がついてしまった。
『そうか、がんばれよ』
とだけ返信があった。俺は、深々と頭を下げている会社員のスタンプで返答した。
今の俺には、後任者に引き継ぐべき仕事はあまりなかった。客先対応要員ではないため、挨拶すべき客もいなかった。
人事に連絡して事務手続きをし、デスクを掃除して私物をまとめた。最後の出勤日には、同じ部署の同僚たちに挨拶して回った。
金曜日、少し大きめのカバンに私物を詰めて、俺は会社を後にした。
新卒で入社して以降、N年間しがみついてきた弊社だったが、最後はこんなものか、とぼんやり考えた。
(異世界弁当タッパー亭 第一章 完)
これにて、第一章完結です。
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【本日21:30】より、引き続き、第二章の更新を開始します。
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