1-33. 隊商長
土曜日。なんとか全快にこぎつけた俺は、みたび弁当十食を持って組合事務所へ向かった。ヒナは先に来て待っており、また受付を代行してくれた。
ヒナの異国情緒スープを作るのに、温蔵実験用にと購入した両手鍋が役に立った。さすがにそう何度も、組合の台所から調理器具を借りるわけにはいかない。
紙コップは百均で、二十個入り百円のを買ってきた。ホットワインは紙コップに入っていたので、たぶん市場を探せば類似品があるのだと思うが、探している暇がなかった。
ひととおりの準備を済ませ、机の奥の椅子に腰かけた。
しかし、一番に買いに来てくれるはずのマリーが、なぜか今日は姿を見せない。まさか先週、俺のカゼをうつしたんじゃないかと不安になったが、はたして数分後、彼女は事務所から出てきた。
いつものようにまっすぐこちらへ向かっては来ず、重い扉を引いて開けっ放しにしたまま待機している。この寒いのに何をしているのか訝しんでいると、中からひとり男が現れた。
親方の客なのだろう。玄関先で親方と固く握手を交わして、踵を返した。マリーは静かに扉を閉め、彼と何か話しながら、ふたりでこちらへ向かってくる。
「パパ!」
ヒナが声を弾ませた。
よくよく見ると、確かにその客は、初めて異世界へ来た日に食事を御馳走してくれた、ヒナの父親だった。ヒナと同じ褐色肌に、彼によく似た人懐っこい笑みを浮かべて、息子の頭を撫でる。
「親方に聞いたよ、ヒナ。ここで商売をしているんだって?」
「うん。トーヤのベントー、売ってる。どう?」
すかさずヒナが売り込んだ。父親は、ヒナがフタを開けてみせたタッパー弁当の中身を一瞥し、それから、ストーブに置いた両手鍋へと視線を移動させる。
「残念ながら、このあと会食続きでね。食事はできないが、スープを貰えるかな?」
「200円」
おまけスープの単品販売はしていなかったが、ヒナはすぐに答えた。父親は懐から麻袋を取りだして、銅貨(小)を二枚、ヒナに渡す。
つまり、銅貨(小)には100円相当の価値があるのだろう。次にこちらへ来た時には、令和N年製造100円硬貨に見えるようになっているかもしれないな、とぼんやり考えた。
「……うん、いいな。ふるさとの味だ」
ヒナが手渡した紙コップの中身を、まずはひと口、それから一息に飲み干して、彼はまた人懐こく笑った。ヒナは得意げに「ふふん」と鼻を鳴らす。
「それで、お願いがあるのですが……」
マリーが切り出した。父親は飲み終わったカップをヒナに渡して、彼女のほうを振り返った。
「……私、近々、トーヤと弁当の店を始めようと考えていまして。秋に街へお戻りになるまで、ヒナの商才をお借りできませんでしょうか? もちろん、我が家で責任をもってお預かりいたします」
「――ほう。お父君は、開業の件はご承諾済みで?」
「はい。父には相談しまして、開店資金も工面してあります。春にここをお発ちになる前には、ある程度のかたちにできるかと。……もちろん、お返事は、その時で構いません」
何度も練習した演劇セリフのような、よどみない口調だった。もし俺だったら、何度練習しても噛まずには言えないだろう。
「ヒナ、やりたいのかい?」
父親がヒナの顔を見た。ヒナは、神妙な表情で頷く。
「そうか。引き受けたからには、しっかりやるのだよ」
話はそれで終わりだった。いつの間にか道端に、豪奢な馬車と用心棒っぽい屈強な人が待機していて、彼はあっという間にその場を去っていった。
「………………」
とんでもないスピード感で、正直、理解が追いつかなかった。いや、そもそも……。
「ヒナのお父さんって、市場で露店をやってなかった?」
まず最初に浮かんだ疑問を口にすると、ヒナは「うん」とどこか上の空で頷いた。
「パパ、暇な時、市場で店やる。お客が欲しがるもの、市場で商売しないと、分からないんだって」
「ヒナのお父さまは、大隊商の隊商長さんでね。本拠地はずっと南の方だけど、数年かけて、こちらまでいらしてるの。隊商滞在地で、ラクダを見たことない? 馬とは違う、すごく大きな生き物なんだけど」
「え? ああ、うん……」
そもそもキャンプとやらに行ったことすらなかったが、元借金労働者(虚偽申告)である以上は白状するわけにいかないので、頷いているのか頷いていないのか釈然としない、曖昧な相槌を打った。
「冬の時期はこの街に滞在して、春から夏にもっと北のほうを旅して、また秋にお戻りになるの。だから、それまで半年くらい、ヒナをウチで預からせてもらえないかなって、ヒナや父さんと相談してたんだけど……許してもらえて、良かったね」
マリーがヒナに微笑みかけた。ヒナはどこか諦めたような顔をして、ひとつため息をついて、答えた。
「………………ヒナ、分かってた。パパ、ヒナに興味ない」




