1-31. 宝石
マリーの目は真剣だった。冗談だとか、あるいは『いつかできたらいいね』といった夢物語の話をしているようには見えなかった。
俺が何も答えられずにいると、彼女はすっとモデルみたいに綺麗な所作で立ち上がり、ふたたび隣に座る。
「えと、その、……店をやるっていうのは。いま、組合の前に出させてもらってるのとは別で、ってこと?」
「そう。組合の支援制度を使えるのは、最初だけ。いずれは市場に店を出して、自力で商売をしなきゃならない。もちろん、組合費や税金を納める義務もある」
マリーが説明した。……まあ、そうだよな。市場にフードコートを用意したり、大通りをきれいに保つために馬糞拾い老人を雇ったり。その他、俺が知らない様々な施策を、組合がやっている。
そして、その費用は、街の商人たちで出し合っているのだ。ここで生きていくとなれば、いつまでも新参者の地位に甘んじて、恩恵を受けるだけではいられない。
「………………」
俺がタッパー亭を始めたのは、まずは、ヒナと仲直りするため。その目的は、すでに達成された。
この先は、春には旅立ってしまう彼に、この街での楽しい思い出を作れたらいいなという程度の考えだった。
異世界の街で商売をして生きていこう、という気概や覚悟はなかった。もちろん居心地は良かったが、ここは俺にとってはあくまでも『異世界』であり、日常生活の場だとは考えていなかった。
「でも……お金掛かるでしょ。俺、そんなに持ってないよ」
とりあえず、一番もっともらしい言い訳をした。
あまり詳しくはないが、店舗を構えるとなれば、どう低く見積もっても百万単位のカネが必要になるはずだ。組合前での出店費用とはワケが違う。短期労働者(虚偽申告)の俺に、用意できるはずがない。
しかしそんなことは、わざわざ指摘せずとも、マリーにだって分かっていた。膝の上で小さな拳を握り、彼女はゆっくりと口を開いた。
「――母さんが亡くなった時、宝石を譲り受けたの。質に入れて、お金を借りる」
「ええっ!? いや、ダメでしょ、大事なものじゃないの!?」
困惑する俺に、マリーは「もちろん、大切な形見だよ」と頷いてみせる。
「でも、宝石は、着飾るために貰ったわけじゃないの。女は、家の財産を相続できない。だから、いざというとき自分の裁量でお金を工面できるように、母親から宝石を受け継ぐ。今が、その時」
「いや、でもっ……」
母親の形見の宝石を質に入れてやることが、俺との弁当屋? 何を言っているんだ。どうして、マリーがそこまで……。
「ねえ、トーヤ。ずっと、今の仕事を続けるつもり?」
マリーは俺の反論を遮って、じっとこちらを見上げた。
……ああ、そうか。
彼女は俺を、短期雇用の肉体労働者だと認識している。それで、厳しい冬の寒さの中でキツい仕事をした結果、体調を崩したと考えたのだろう。自分で言うのも何だが、どう見ても肉体労働向きの体格じゃないし。
「今はまだ、何とかなるかもしれない。でも、十年後、二十年後も、同じように働ける? ……正直この街の生活は、あなたみたいな人たちが居なくなったら、成り立たない。それは分かってるけど」
マリーは一瞬、視線を伏せた。馬糞拾い老人だけではない、この街には、まだ俺の目には映っていない様々な事情があるのだと察せられる、苦々しい表情だった。
「でも……トーヤには、弁当があるでしょう。借金を返し終わったのなら、自分の商売を始められる。もちろん、始めるには元手がいる。だったら、私が工面する」
「……形見の宝石を、質に入れてまで?」
彼女はその宝石のような青い瞳を瞬かせ、「ええ」と頷いた。
「綺麗だけど、所詮は石だもの。母さんも許してくれる……ううん。ここで宝石なんか惜しんで一生に一度の機会を逃したら、お前は商売人の娘じゃないのかって、叱られちゃう」
「……どういう意味?」
尋ねたが、マリーはいたずらっぽく笑ってはぐらかした。
「まだ内緒。――でも、いつか、教えてあげる」




