1-22. 異世界
ヒナは完全にフリーズした俺を早々に諦め、一人で呼び込みを始めた。
申し訳ないけど、俺はもう、弁当販売どころではなかった。
目をつむって、何度か深呼吸して、また目を開けた。マリーに手渡された硬貨。何度見ても、どう見ても、それは日本の500円硬貨だった。
二人には、とつぜん変わってしまった銅貨を不審に思っている様子はなかった。
マリーはフリーズした俺に、『どうしたの? だいじょうぶ?』と心配そうに声を掛けてくれたが、ヒナが『マリーが、はじめてのおきゃくになった。トーヤ、うれしい。うごかなくなった』と言うと、照り焼きチキン弁当を手に、事務所へと消えていった。
「……」
ヒナも呼び込みに出ていき、ひとり残されたテントの中で、椅子に座ったまま、口元を覆ってうつむいた。
……まあ、正直に言うと、違和感はあった。出入りするたび、薄々、この世界は何かおかしいと、どこかで感じてはいた。
この異世界は、あまりにも、俺が知っている異世界だった。
もちろん、本当の意味での異世界――具体的には、地球外知的生命体の文明世界――の実情については、俺には知る由もない。地球人は知的生命体はおろか、単細胞生物すら、地球の外には発見できていなかった。
だから、もしも、どこか宇宙のかなた、あるいは外宇宙みたいな場所に地球人とは違う知的生命体がいたとして、そこで暮らす彼らがどんな姿かたちや生活をしているのかについては、想像するしかない。
俺はSFオタクではなく、地球外生命体の見た目や文化について、常日頃から空想を巡らせる趣味はなかった。
しかし少なくとも、広い宇宙で独立に生まれた彼らと俺たちが、何らの問題もなく生身で交流できるほど似通った機構のもとで生きている可能性は、極めて低いだろうと認識していた。
些細な環境変化によってすら、地球生命は簡単に死ぬ。たとえば、シアノバクテリアが光合成で酸素を生成しはじめた、たったそれだけの変化によって、かつての地球生命は大量絶滅に追い込まれたのだ。
同じ地球内ですら、そんな有様だった。ましてや、すべてが完璧に一致し、何の違和感もなく過ごせる異世界など、存在するはずがない。
――存在するはずがない。でも、実際に、目の前にあったのだ。
異世界の人々は、俺を温かく歓迎してくれた。どこかでおかしいと感じていても、作った弁当をおいしいと言われれば嬉しかった。
今日までは。
今日、令和N年製造の500円硬貨を、マリーに手渡されるまでは。
「あー………………そう、なんだよなあ」
しばらくの間、じっと目の前の大通りを眺め、つぶやき、またうつむいた。
この世界は、俺が過去に日本のアニメやマンガで漫然と、大量に見てきた『異世界モノ』の異世界に、あまりにもよく似ていた。
いわゆる中世ヨーロッパ風だが、史実世界の中世ヨーロッパとは異なる、妙に小綺麗な街並み。大通りには馬車が行き交っているのに、馬糞ひとつ落ちていなかった。
強ばってうまく動かない首を無理やり回して、テントの脇に置かれている、簡易ストーブに目を向ける。昔、地元ローカル局のテレビ番組で見た簡易ストーブにそっくりだった。
街の広い市場は、旅番組で見た海外の巨大市場によく似ていた。串焼き、肉まん、ホットワイン――。
金髪碧眼の美しいマリー、褐色肌の人懐っこい少年ヒナ。
全部、そうだった。この異世界にあるものすべてに、どこか見覚えがあった。
「うっ……」
急にめまいがして、覆った口元を強く押さえた。じっとして、目をつむって、何も見ないようにした。
目を開けるのが怖かった。次に目を開けた時、目の前の世界はどうなっているのだろう?
急に、何もかもが信じられなくなった。




