1-21. 500円硬貨
土曜日、俺は弁当十食を引っ提げて、組合事務所を訪れた。
初日なので、どんな客層で何人来てくれるのかも不明だった。主菜を何にするか悩んだが、まずは初心に返ろうと、照り焼きチキン弁当を選んだ。あとでヒナとまかない弁当を食べる時、仲直りするキッカケにできるかもしれないと思ったのだ。
組合事務所の前庭、枯れた芝の地面には、よく見ると規則的に杭が打ち付けられている。杭の間に紐を張ることで、いくつかの正方形の区画に仕切ってあるのだ。
その区画のひとつに、簡易テントや、木製テーブル、折り畳み椅子などの出店セット一式が、組み立て前の状態で置かれていた。脇には、移動式の小型簡易ストーブ。
黙々とテントを組み立て、テーブルの脚を立てた。奥側に二脚、折り畳み椅子を並べて腰かける。もちろん、もうひとつはヒナの分だ。
しかし、しばらく待っても、ヒナは現れなかった。もしかして、まだ怒っていて、それで今日は来ないのだろうかと不安になった。
あの後どうなったのかマリーに聞いてみようと、事務所の扉を開けた。来客ロビーに、ヒナが座っている。つまり、俺より先に来て、すでにロビーで待っていたのだ。
「おそい」
とふたたび抗議した。それから、ふと何か気づいたような顔で駆け寄ってくると、扉の隙間から外の様子を覗いてため息をつき、ジトリとこちらを睨んだ。
「ばか。まだ、うけつけしてないのに」
「受付!?」
「あたりまえ。うけつけして、かりるどうぐがこわれてないか、くみあいのひととふたりでみる。みずにテントをつくったら、もうこわれてたのか、こわしたのかで、けんかになるでしょ」
「なっ……なるほど」
「あと、ストーブのまきは、うけつけでかう。ストーブつけないで、さむくなかったの?」
ぐうの音も出ず、ポケットに入れてきた異世界銅貨(500円)30枚入りの麻袋をヒナに渡して、受付を代行してもらった。ついでに、ストーブ用の薪も適当に買ってきてほしいと伝えた。
俺は男性事務員とふたりで外に出て、出店セット一式の状態を確認した。幸いにも、今回はどこも壊れていなかった。
ヒナはすぐに、事務所の裏から薪を抱えて走ってきた。着火剤代わりの木くずと何本かの薪をストーブの中に入れ、同じく事務所から貰ってきた種火で火をつけた。
簡易ストーブは、小さめの、背の低いドラム缶のような形状だった。腹の部分に薪を入れるための穴が開いていて、足元には細くて短い足が、にょきっと三本生えている。
まだ地元に居た頃、ローカル局が新しくできた自然娯楽施設の特集をしていて、子どもたちがこんな感じのストーブの周りに集まっている様子をテレビで見たのを、なんとなく思い出した。
……もちろん、今は遠き故郷への感慨に浸っている暇はない。腕時計を見ると、時刻は十一時半過ぎ。弁当を並べながら、大通りのほうへ目を向けた。寒いのに、今日もたいそうな人出だった。
ヒナはテントの表側に回り、屋号および値札らしき厚紙二枚の上部を、テーブルの天板に貼って固定した。
どちらかには『ベントー屋タッパー亭』、もうひとつには『特製ベントー○○円』とか書いてあるのだろう。俺には読めなかったが。
「おみせ、できた?」
事務所の扉から現れたマリーが小さく手を振り、テーブルの前へやってくる。その間に、ヒナはすばやくテントの中に入って、俺の隣の椅子に収まった。
「トーヤ。ベントーのおきゃくは、ロビーにいれてあげて。さむいから」
「え。でも、昼休みって、誰も事務所に居ないでしょ。お客だけ入れて大丈夫? 大事な書類とか、置いてあるんじゃないの」
尋ねると、マリーは「ふふっ」と思わせぶりな笑みを浮かべて、コートのポケットに白い手を入れる。
「だいじょうぶ。わたしがいるから」
「……?」
「ひるやすみ、わたしが、ロビーでベントーをたべる。だから、おきゃくがきても、だいじょうぶ」
彼女は手のひらサイズの麻袋を取りだして、ゆっくりと袋の口を開けた。その中には、銅貨が入っているのに違いなかった。
「トーヤ。わたしが、タッパーテイの、はじめてのおきゃくになるね。ベントー、ひとつください」
「……え、いいの? 組合のまかないは?」
「みんなのは、つくった。わたしだけ、トーヤのベントー。みんなには、ないしょだよ」
人差し指の先を唇に当てて、マリーはウインクした。かあっと耳まで熱くなった。フリーズした俺の脇腹を、ヒナが小突く。
「トーヤ! おきゃくがきてる、ぼーっとしない。じぶんで、はなしてみて」
「あ、ごめん、ええと……なんて言えばいい?」
「ベントーひとつ、おかいけい、1500エンです」
「………………………………へ?」
どういうことだ? 呆然と見つめる俺を、ヒナは怪訝な目で見上げた。やがて、うまく聞き取れなかったと判断したのか、もう一度、今度はさらにゆっくりと、同じ接客文句を口にした。
「だから……『ベントーひとつ、おかいけい、1500エンです』」
「べ、……弁当ひとつ、お会計、1500円、です……?」
「ヒナじゃない! マリーにいう!」
「え、あ、はい」
マリーに向かって、同じセリフを口にした。マリーはおかしそうに「ふふっ」と笑うと、麻袋から硬貨を三枚取り出して、ヒナが無理やり上に向けさせた俺の手のひらに載せる。
――500円硬貨だった。異世界銅貨(500円)ではなく、日本円の。
数年前にリニューアルされた、新硬貨のほうだった。製造年は、いずれも『令和N年』。『任意の数』という意味のNではなく、アルファベットのNという文字そのものが刻印されている。
俺はおそるおそる、手のひらの500円硬貨を握り、それからヒナに返してもらった、自分の麻袋の口を開けた。
覗いてみると、そこに入っていたのも、古アパートで麻袋に詰めなおした異世界銅貨(500円)ではなかった。
日本円の500円硬貨そのものであり、製造年は、すべて『令和N年』になっていた。




