1-20. 休日出勤
年末年始休暇は終了し、また日本での会社員生活が始まった。しかし俺の生活は、休暇の前とはガラリと変わっていた。
まず、毎夜、古アパートで衛生管理など出店に必要な作業を粛々と進めた。
昼食の節約自炊タッパー弁当は、もはや自分用に作る気がしなかった。近所のコンビニで惣菜パンを買い、会社の自分のデスクで食べるという、自炊を始める前の生活に逆戻りしていた。
隣のデスクの同僚は、無事、実家への結婚挨拶を済ませてきたらしかった。いつものカップラーメンを食べながら、約二か月半後の三月十四日に入籍予定である旨を、上機嫌で話していた。
以前の俺ならノロケ話に辟易しただろうが、今は素直に祝福できた。
カップラーメンを食べ終わって片づけた後、彼は珍しくスマホをいじらず、代わりにデスクの掃除を始めた。
いつも散らかし放題で、天板にこぼしたコーヒーのシミがへばりついているようなデスクだったのに、急にどうしたのだろう。結婚が間近に迫ったことで、何かしら心境に変化があったのかもしれない。
「あのさあ、悪いんだけど、ちょっと今いい?」
背後から上司が声をかけてきた。パンの最後のひとかけらを口の中に突っ込んで、振り向く。すぐに飲み込む予定だったが、思いのほかかけらが大きく、口の中が占領されてしまった。
しかし、上司に話しかけられているのに食べ続けるわけにもいかず、何となく噛んでいるような、噛んでいないような、微妙な口の動きを続けた。
「なんすか」
同僚が尋ねた。上司の声のトーンからして、あまり良い話ではなさそうだが……きっと、今やっているプロジェクト関係だろうな。
「実はさ……月曜結合テスト予定の機能に、不備が見つかったんだよね。悪いんだけど、キミさ、土日に出て修正作業してくれない?」
明らかに、俺に向かって言っていた。こういう時に休日出勤を引き受けるのは、常に俺の役目だった。年末年始休暇前の俺には、土日に休まなければならないような予定はひとつも存在しなかったのだ。
なにより、ひたすら画面に向かえばいい作業以外では、俺はほとんど役に立たない。他の仕事ができない分、自分にできることならば、残業でも何でも進んでやらなければ、と考えていた。
しかし今回ばかりは、そういうわけにはいかない。土曜日にはマリーとの出店の約束があったし、日曜日のヒナとの食べ歩きの約束も、今のところ無効にはなっていないのだから。
「ふぁ」
と変な声が出た。慌ててパンのかけらを丸呑みしたが、喉に詰まって、無理やり麦茶で流し込む。
「――いえ、すみません! 今度の土日は予定が……ちょっと、出るのは無理で」
「えっ? 珍しいね」
上司が驚き、同僚がこちらを見た。大げさに「ははーん」と声を上げて、にやにや笑った。
「何、とうとうカノジョできたとか?」
「いやっ! マリーは、そういうのじゃっ……」
「……え、できたの!? 本当に!?」
とっさに口を押さえた。上司と同僚は、信じられないものを見る目をしていたが、やがて同僚のほうが追撃を開始する。
「へー。マリーっていうんだ? 外国人っぽい名前だけど、あだ名とか? どんな子?」
「いやその……」
「写真とかないの? どこで知り合ったんだよ。地元……は、帰らなかったんだっけ? でもお前、マチアプやるタイプじゃないよな。どこかで、運命的な出会いでも果たしたか?」
まあ、そう言われればそうだったが、別にマリーとはそういう関係じゃなかった。でも、恋人ができたことにしたほうが、土日に休むには都合がいいかもな、と思い直す。
社則では、副業は禁止されていなかったが、だからといって異世界で弁当屋を出店する予定があるなどとは、とても言えるわけがない。
「いや……あんま、聞かないでください。恥ずかしいんで」
「え~? 教えろよ~」
「あの、一応、確認しとくけども。キミ、騙されてないよね? 何かの詐欺とか……」
「あ~~~~、分かった! 推し活ってやつか!」
上司の発言を遮って、同僚がとつぜん大声を上げた。それから、キョトンとする上司に向かって説明を始める。
「なんか、最近流行りなんすよ。頑張ってる推しを応援して、元気をもらう的なやつ。マリーって子、たぶんアイドルかなんかでしょ?」
「まあ……アイドルというか、モデルみたいな感じで」
「モデル? ……え、お前、ファッションショーとかに行くの? 相変わらず、なんかズレてんな」
どうして俺にはこうも、余計なことを口走る悪癖があるのだろうか。内心頭を抱えたが、二人は俺の土日の予定を『推し活』で納得したらしく、それ以上は追求しなかった。
「じゃ、オレがやりますよ。休日出勤」
同僚が申し出たので、驚いた。俺のほうが年上かつ入社も先なのに、ノリが軽くてタメ口で、正直、一番苦手なタイプだと思っていたのだ。
まさか、他人の推し活のために、休日出勤を申し出る殊勝な男だったとは。いや、やはり、結婚によって守る人ができた事実が、彼の心持ちを変えたのだろう。
「いいの? じゃ、頼むね。ヨロシク」
「うぃーす。……そういうわけだから、今週末は、推し活で英気養ってきなよ。プロジェクトも大詰めだし、来週から、もっと忙しくなるでしょ」
上司が去っていくと、彼はキザにウインクして、机の掃除を再開した。胸の奥がじんと熱くなる。異世界ばかりか、日本側でも、こんなに良いことがあるなんて……。
さて、土曜日には何の弁当を作ろうか、と考える。
しばらくあれこれ考え、ふと時計を見た時には、昼休みが終わっていた。あわててパソコンのロックを解除し、午前中にやり残した作業を再開した。




