1-18. 提案
「……はい?」
目を瞬かせた。今の話題から、なぜ弁当屋の出店話が出てくるのか、とっさには理解できなかった。
「さっき、くみあいのまかないのしごとを、たのんだでしょ。そのベントーを、わたしじゃなく、まちのひとたちにうるの。もちろん、ヒナにもてつだってもらう」
「え……」
「だって、ことばであやまるだけじゃ、ほんとうか、わからない」
確かに、マリーの主張はもっともだった。
ヒナの商売人のプライドを傷つけておいて、口先だけ謝罪するのでは誠意に欠ける。反省の証拠として、きちんと商売を勉強し、実践する姿勢を見せてはどうか。理屈は通っている。
……でも、店って、そんな理由で始められるものなのか?
「でも、店を出すって、それこそお金が掛かるんじゃないの? 材料費だけじゃなくて、場所代とか……いろいろ」
「ふつうは、そう。だけど、よそからきたひとが、ひとりでしょうばいをはじめるのは、とってもたいへん。だから、さいしょは、くみあいがてつだう。まえのにわで、ちいさいおみせをだすの」
ああ、なるほどな、と思った。今までこの『組合』がどういう組織なのかを具体的に考えたことがなかったが、つまり、いわゆる『商人ギルド』というやつなんだろう。
市場の商人たちが自分たちでカネを出し合い、街でより良い商売ができるように、各種施設や制度等を整備し、運用する。
それが組合の仕事であり、親方は、街の商人みんなの世話役なのだ。
「うちでおみせをだせるのは、とうさんがおはなしして、しんじられるとおもったひと。まちのひとたち、みんな、とうさんをしんじてる。だから、とうさんがしんじれば、まちのみんなもしんじてくれる」
新参者がいきなり市場に店を出すのは、ハードルが高すぎる。商売はなにより信用第一であり、信用がないと仕事をもらえないが、仕事の実績がないと信用を得られないという、膠着状態に陥るからだ。
それで組合では、転入者向けのスタートアップ支援制度を用意しており、俺はそれを利用できる立場らしかった。
「おみせは、まいにちじゃなくてもいい。ヒナとふたりで、やってみない?」
「いいね」
単なる相槌のつもりだったが、マリーは、ぱっと表情を輝かせる。
「ほんと! いま、たのむためのかみ、もってくるね」
「えっ!?」
止める間もなく、マリーは事務室へ駆け込み、受付の下から白紙の書類を取って戻ってきた。椅子に座って、万年筆で書類の数か所に綺麗な字で何かを書きつけ、顔を上げてこちらを見た。
あまりにも期待に満ちた表情だった。すでに目の前で書類作成が始まっており、今さら『やらない』とは言えなかった。
「なまえは?」
「え? ……えーと。ベントーヤ」
「ううん。トーヤじゃなくて、おみせのなまえ」
目を瞬かせた。俺はずっと単に『弁当屋』と呼んでいて、固有の店名をつけるなど思いもよらなかった。
しかし、事務所の軒先とはいえ実店舗を持ち不特定多数の客を相手に商売をする以上、屋号はあったほうがいい。
うーん、……そうだな。日本で個人飲食店というと、ナントカ屋とか、ナントカ食堂みたいなのが多い気はするけど。異世界モノの飲食店と考えると、ナントカ亭、というのが、何となくしっくりくる。
あとは、ナントカのほうだな。たとえばそう、店の名物を象徴するようなモノの名前とか……。
「ああ、『タッパー亭』は?」
「タッパー?」
足元に置いたカバンから、回収した透明容器を取りだした。
ウチの弁当はタッパー容器に入っているから、タッパー亭。一度思いつくと、妙にしっくりきて、他には考えられなくなった。
「この箱の名前が、タッパー。だから、タッパー亭」
「あら。すてき」
マリーは嬉しそうに、一番上の大きな空欄に何か書き込んだ。それから、いつ店を出すか、何をどれくらい売る予定か、といったことを相談して、書類に書いてもらった。
ひとまず、毎週土曜日(日本カレンダー)に、日替わり弁当十食を売らせてもらうことになった。
ヒナにはマリーから事情を説明し、当日の昼前に事務所へ来るよう頼んでおくと請け負ってくれた。
書類作成が終わった後、そろそろ事務所を施錠して夕飯の支度をしたいと言われたので、俺はひとり事務所を出た。扉の向こうで鎖や錠を掛ける音がした後、マリーの小さな足音が、せわしなく建物の奥へと消えていった。
「……」
言われてみると、組合事務所は周囲の建物と異なり、大通りに面した庭先のような空間があった。ここが、新参者が試しに商売をするために、組合が貸し出しているスペースなのだ。
しかし、弁当配達や容器回収のために毎日事務所を訪れていたのに、俺はここで店を開いている人を、まだ一度も見たことがなかった。
振り向いて、今度は目の前の大通りを見た。確かに人出は多かったが、通りすぎる人々はみな速足だった。いま思い返すと、広場でも、あまり人を見かけなかった。
そりゃそうだ。冬の街は、どうしようもなく寒さに閉ざされる。新たに商売を始めるには、冬は最悪の季節なのだ。
組合の支援制度があるといっても、最初だけで、ずっと使えるわけじゃない。真面目に商売をするつもりなら、春先まで待って始めるべきだ。
俺ですら分かるのに、この街へやってくる本物の商人たちが、あえて冬の時期を選ぶはずはなかった。
だったら、ヒナとの仲直りのために、しばらくこの空きスペースに間借りさせてもらっても、誰にも迷惑は掛からない。マリーはそう考え、今回の提案をしてくれたのだろう。
どのみちヒナは、春には父親と共に街を発ってしまうのだ。それまでの思い出づくりに、ここで二人の弁当屋をやる。良いアイデアだと思えた。
「タッパー亭かぁ」
とつぶやいた。
改めて聞いても、なかなか、悪くない響きだった。




