1-17. 相談
現状は理解できた。
だが、ではどうやって壊れたヒナとの関係を修復すれば良いのかというアイデアは、まったく浮かばなかった。俺は小学生の頃から、座学の成績だけは常にそこそこ良かったが、人間関係に関しては、万年落第生だった。
テーブルに並べた銅貨を、麻袋に戻した。上階に声を掛けると、すぐにマリーが下りてくる。ずっと、階下の様子を気にしていたのだろう。出ていくヒナが乱暴に鳴らしたドアベルの音も、聞こえていたはずだった。
「トーヤ。おちゃ、のみましょう」
マリーは柔らかく微笑みかけ、初日に受付嬢が出してくれたのと同じ、ハーブティーらしきお茶を淹れてくれた。
温かいお茶を飲みながら、ヒナにされたふたつの質問と、自分なりの回答を説明した。聞くに堪えないたどたどしい現地語だったと思うが、マリーは時おり頷きながら、最後まで黙って聞いてくれた。
すべて話し終わった後、少しぬるくなったお茶を飲み干し、喋り疲れて乾いた喉を潤した。それから手元の麻袋を、対面に座るマリーに差しだす。
「これ、親方に返しておいてくれないかな。今日のことは、俺が勝手にやっただけで……申し訳ないから」
本来なら自分の手で返金し、無礼を謝罪すべきなのだろうが、どんな顔をして親方に会い、何を言えばいいのか分からなかった。
新社会人になったばかり頃に、任された仕事でバカなミスをし、客先に迷惑をかけたことを思い出した。その時、上司はミスをした張本人である俺を、謝罪の席に連れては行かなかった。
もちろん、落ち込んでいる俺への配慮などではなかった。俺を連れて行っても先方の怒りに油を注ぐだけであり、居ないほうがマシだったからだ。
「うーん……」
マリーは両手でカップを握ったまま、小さく首を傾げた。
「もし、とうさんに、おかねをかえすべきなら。ヒナはトーヤにわたさずに、そのまま、かえしたとおもうな」
指摘されるまで気づかなかったが、確かにその通りだった。
俺の異世界語能力では、ヒナ抜きで親方と話すのは難しかった。もちろん、不可能ではない。しかし、客先にたどたどしい幼児言葉で謝罪する成人男性という異常現象が発生してしまう。火に油を通り越して、もはやホラーだ。
「ねえ、トーヤ。とうさんにおかねをかえしても、ちゃんと、ごはんをたべられる?」
マリーが尋ねた。すぐには意図を理解できず、数秒考え、そして腑に落ちた。
日本での俺は、生来の口下手とトロさが災いして新卒就活に大苦戦したものの、偶然にも社長と地元が同じだった縁で、弊社に拾ってもらえた。以後、現在に至るまでのN年間、何とか得た正社員の職にしがみついていた。
中小のIT企業で、決して高給取りではなかったが、養う家族も居ない、古アパートでひとり暮らしの身の上ならば十分だった。節約生活は、口座残高の数字を増やすという空虚な趣味の一環であり、特に生活資金に不自由してはいなかった。
しかし、異世界での俺は、ほんの数日前まで、屋台で昼飯を買うカネすら持っていなかったのだ。ヒナの視点に立った場合、すき焼き弁当の原価高が致命傷になって俺がのたれ死ぬ可能性は、確かに考えられる。
あまりにもバカすぎるが、自分でも、俺ならやりそうだと思った。というか、実際に前科があった。
新卒の頃、やっとの思いで就職した俺は、初任給を貰った、つまりようやく経済的に自立できたのが誇らしく、即日全額を引き出して、実家に現金書留を送った。
すると、届いたその日に母親から怒りの電話がかかってきて、当日中に、俺の口座へ全額キャッシュバックされた。ご丁寧に、郵送に掛かった代金まで上乗せされていた。
いま思えば、今回やったこともほぼ同じ。あれからN年も経つというのに、成長がないにもほどがあった。
――ヒナには、商売人としての誇りがある。こんなカネは、できれば受け取りたくなかっただろう。しかし、自分の信念のために受け取りを拒否すれば、俺が今後生活できなくなるかもしれないと考えた。
だから恥を忍び、親方との間に入ってくれたのだ。
「なるほど」
「『なるほど』? それは『はい』、それとも『いいえ』?」
「……あ、いや」
「わかってる。トーヤは、おかねがほしかったわけじゃない。ただ、みんなによろこんでほしかった」
「でも、わたしたちがおいしいベントーをたべたせいで、トーヤがひもじくなったら、かなしいよ。だからわたしは、そのおかね、トーヤにもらってほしいな」
微笑んだマリーが、冗談めかして続ける。
「……だいじょうぶ。うちは、けっこうおかねもちだから、それは、すくないおかね。なくなっても、こまらない」
まあ、そりゃそうだろうな。親方は、大通りの一等地に、三階建ての事務所を構えるほどの人物なのだ。その日の昼飯代にも事欠くような貧乏人が『申し訳ないから』と心づけを断るなんて、却って失礼というものだろう。
「分かった。貰っておくね」
なんでそんなエラそうなセリフになるんだ、とひとりで落ち込んだが、マリーは気にせず、次の話題に映った。
「ヒナは、じぶんのくににかえったら、なんて、ほんとうには、おもってないよ。だって、かえれないから、ここにいるんでしょ。ヒナは、たびしょうにんのこども。わかっているはず」
確かに、飛行機も新幹線もない異世界で、言葉の通じない異国からひとり故郷に帰る旅というのは、生半可なものではない。かなりの時間とカネが掛かるだろう。
弁当代金は一回あたり、推定1万5千円。つまり、およそ15万円を、俺は一連の仕事で受け取っていた。そのうち三割が、材料費だとして……俺の手元に残るのは10万円以下になる。
しかも、俺は街に寄る辺のない外国人。滞在には、宿代や食事代が必要だ。つまり、現状の手持ちはほとんどゼロの可能性さえあった。そのくせ、原価率を無視して豪華弁当を作ったのだから、どうしようもないバカだった。
「ヒナはトーヤに、しょうばいをおしえてあげたかったの。でも、トーヤはわかってくれなかった。それで、かなしくなって、ひどいこといっちゃった。こどもみたいだけど、だって、こどもだものね?」
「………………はい。すみませんでした」
もちろん、ここでマリーに謝っても仕方がなかったが、ひとまず反省の意思を示したかったので、素直に頭を下げた。マリーは頷き、カップのお茶をひと口飲み、テーブルに置いて続けた。
「それでね。わたし、なかなおりのアイデアがあるの。……トーヤ、ベントーのおみせを、やってみない?」




