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1-16. 推定

 ヒナが去った後、しばらく呆然と座っていたが、いつまでも呆けてはいられなかった。口元を手で覆って、うつむいた。子どもの頃からの、考えごとをする時のクセだった。


 正直、ヒナの機嫌を損ねた原因はいまだに不明だったが、手掛かりはあった。


 彼はさっき、俺にふたつ質問をした。『今日の弁当にいくら使ったか』と『麻袋の中身は何か』。そして俺は両方ともにロクに答えられず、結果、ヒナは俺に愛想を尽かし、去っていった。


 つまり、俺が今すべきは、ヒナの出したふたつの問いに、自分なりの答えを見つけることだった。


 コートのポケットから、スマホを取りだした。ロックを解除して、ホーム画面から決済アプリを開いて、取引履歴を閲覧しようとした。


 しかし異世界は、もちろん通信圏外だった。『インターネットに接続できません』というエラーが表示され、再読み込み以外の操作はできなかった。現代社会では必需品のスマホだが、ネット環境が無ければ文鎮同然だった。


 ……さて。まず、一つ目の問い、『弁当にいくら使ったか』に答えようとして、この場では確認できないことが判明した。だったら、日本に戻って――いや、それは違うな、と思い直す。


 おそらくヒナは、詳細な金額を知りたかったわけじゃない。俺が、弁当に使った経費をきちんと把握していなかった、その事実が彼を怒らせたのだ。


 ヒナはこの数日間、配達後にまかない弁当を食べた後、毎日、広い市場を歩いて案内してくれた。そして最後に、市場の屋台で軽食を買わされて、二人で食べた。


 市場の広い敷地には、たくさんの店が軒を連ねており、迷宮のように入り組んでいる。子どもの頃にテレビの旅番組で見た、海外の巨大市場を思わせた。ただヒナに手を引かれて歩き、あちこち見回すだけで楽しかった。


 しかし、いま思えば。ヒナは俺に、この街でどうやって商売をしたらよいかを、教えようとしてくれていたのだ。


「………………あ」


 原価率ってやつだな、とピンときた。日本では、飲食店の原価率は三割程度が相場である、とどこかで聞いた気がした。


 肉屋を案内された後、一緒に串焼きを食べたことがあった。つまり彼はあの時、食材である肉の値段と、その肉を使った串焼きの値段とを、つまり、串焼きの原価と価格設定とを、俺に教えようとしていたのだ。


 俺には、ヒナと親方の現地語(ネイティブ)会話は、いっさい聞き取れなかった。だから、ヒナがどんな条件で弁当を受注したかは知らない。とはいえ、あらかじめ販売価格を提示しなかったとは考えられない。


 では、ヒナはどうやって、弁当の値段を決めたのだろう? おそらく――彼が最初に食べた、タッパー弁当を基準にしたのだ。


 彼は照り焼きチキン弁当の内容から原価を推定し、価格を設定した。なのに俺は今日、マリーの快気祝いだからと、ヒナや親方に無断で、豪華なすき焼き弁当を作ってしまったのだ。


 ヒナは商人の子であり、モノの価値が分かる。すき焼き弁当を食べた時点で、価格設定に対して原価が高すぎることに気づいた。そして、なお悪いことに、俺を問い詰めた結果、そもそも原価を把握すらしていなかったことが露見した。


「……………………」


 俺はずっと、日本のスーパーで食材を仕入れ、弁当を作っていた。だから、俺にとっての異世界市場は観光地であり、そこで売られているモノの価格や価値について、真剣に考えたことはなかった。


 しかし、ヒナは俺を、外国人ではあるものの、今はこの街の住人だと考えている。であれば、俺はあの市場で食材を買っているはずだった。


 だから毎日、市場を歩いて案内し、良い商品を扱う店を教え、飲食店の原価率がどうなっているかを教えてくれた。『あかちゃんみたい』に不自由な言語ではなく、実体験によって。


 にもかかわらず、俺はそもそも彼の厚意に気づきさえせず、結果として完全に無碍にした。彼の真剣なアドバイスを、商人の子どもらしい、ちょっと変わった異世界探検ツアーとして消費してしまったのだ。


「……ん?」


 ふと気づいた。配達一日目の昼食時、俺は異世界のカネがないと口走り、ヒナに烈火のごとく叱られた。その後、親方から弁当代金をもらった時、ヒナはこう言っていた。


『きょう、ベントー、おかね、いれる、した。あした、ベントー、おかね、いれる、した、おなじ』


 ……つまり、親方はあの日、一日目の弁当代金を後払いすると同時に、翌日分の弁当代金を前払いしてくれたわけだ。カネのない俺が翌日分の食材を買えるようにと、ヒナが交渉してくれたのだろう。


 そして、それからも毎日、俺は配達のたびに代金を貰っていた。要するに、二日目以降の弁当代金は、すべて前日に前払いされていた。


 だとしたら――目の前にある、この麻袋は何なのだ?


 それは、ヒナが俺に向けた、もうひとつの問いでもあった。


 麻袋の口を開けた。中の異世界銅貨を取りだして、五枚ずつまとめて、テーブルに並べた。すべて同じ銅貨で、少々歪んだ円柱が六つできた。


 一枚をつまんで、まじまじと観察した。あまり自信はなかったが、サイズ感から、今まで市場での軽食の支払いに使ってきた、つまり過去に親方に貰ったのと、同じ銅貨だろうと思った。


 異世界銅貨の額面や価値を、俺は知らない。けれど、ヒナはきちんとヒントを与えてくれていた。


 市場の屋台で肉の串焼きを二本買って、銅貨三枚で支払った。この事例から、異世界銅貨のおおよその価値を推定してみよう。


 ひとまず仮に、異世界銅貨を、日本円換算で500円だとする。銅貨三枚で串焼き二本だから、串焼き一本は750円。ちょっと高い気もするが、露店で買ったことも加味すれば、そこまで大きく外してはいなさそうだ。


 だとすると、ここにある三十枚の異世界銅貨(500円)の価値は、日本円換算で1万5千円ほどになる。


 次に、別の事例を使って検算してみよう。


 この麻袋は、昨日、弁当代金(前払い)として貰った麻袋と、だいたい同じくらいの重量感だった。受注したのは十食分だから、弁当はひとつ1500円。……まあ、自炊タッパー弁当としてはかなり高いが、配達料込みと考えれば、あり得ない金額ではない。


 つまり、異世界銅貨の価値は、日本円換算で500円程度と見なしてよいだろう。


 ごく大雑把な推定だったが、厳密性は問題ではなかった。同じ日本でも、地元と東京ではモノの値段が違う。つまり、額面上は同じ500円であっても、使う場所によって、その価値は変わるのだ。まして異世界ではなおさらだった。


 ――ともかく、この麻袋の中身の価値は、おおむね理解できた。話を戻そう。


 今日の弁当代金は昨日の配達後に前払いされており、今日の支払いは発生しないはずだった。なのに親方は、ヒナを通じて俺にこの麻袋(推定価値1万5千円)を渡した。このカネは、いったい何なんだ?


「………………………………あっ」


 しばらく考え込んで、ヒナがなぜあんなに怒っていたのか、やっと理解した。


 俺はヒナや親方に無断で、勝手に弁当をグレードアップした。つまり受注者である俺が契約不履行を犯したのであり、本来ならば、発注者である親方には、追加の支払い義務は発生しない。俺が独断で、勝手に損をしただけだった。


 だが、親方には、マリーに対する負い目があった。母親を亡くしたばかりの娘に仕事を引き継がせ、倒れるまで、追い詰められていることに気づけなかった。倒れた後も、善意からとはいえ病人には酷な食事を与え、つらい思いをさせてしまった。


 偶然だったが、俺がサービスした生姜スープが、その状況を打開した。スープや弁当がおいしかったとか、俺に感謝しているとかいうことを、マリーは親方に話していたのかもしれない。


 で、その俺が、原価率の相場を大幅に無視した弁当を、マリーの快気祝いと称して作ってきた。組合のみんながおいしいと口を揃え、マリーも喜んでくれて、快気祝いの会は大成功のうちに幕を閉じた。


 そうなると、親方としては、『弁当のグレードアップはお前が勝手にやったことだ』とは言えなかった。それで、心づけとして、一回分の弁当代金を余分に支払ってくれた。


 それが、この麻袋(推定価値1万5千円)の正体だった。


 つまり、俺は親方の弱みに付け込み、仲介業者であるヒナや発注元である親方に無断で契約内容を変え、不当に金銭を支払わせたのだ。


 去り際の、ヒナの言葉を思い出した。『トーヤには、ちゃんとしょうばいするつもりない』――そう受け取られても仕方がないだけのことを、俺は無自覚にやらかしていた。


 もちろん、俺には、親方から不当に金銭を取ろうなどという考えは毛頭なかった。でも、結果的にそうなってしまったのは、まぎれもない事実だった。

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