4-03. 老店主
夕飯の買い出しのため市場へ向かう途中、ふと思い立ち、例の香辛料店へ足を向けた。
老店主は、もう店を閉めようとしていたが、来客の気配に気づいたのか、声をかける前に顔を上げる。
「えっと……今、ちょっといいですか?」
ことわって、ヒナについて聞きたいことがあると伝えた。
老店主はラクダ商会の関係者であり、ヒナもずいぶん懐いている様子だった。隊商内部の事情や、ヒナの家庭環境にも通じているのではと考えたのだ。
老店主は店のシャッターを閉めた後、わざわざ俺にお茶を出してくれた。いつも飲んでいるハーブティーとは違う、どこか異国の香りがするお茶だった。
「あの、……ヒナは、お父さんは自分に関心がない、と言っていたんですが。そうなんですか?」
と尋ねた。
隊商の仕事が忙しくてロクに構ってもらえず、寂しい思いをしているのは分かる。
だが、開港祭や振舞いでの様子、ヒナに聞いた過去のエピソードなどを勘案すると、あの人がまったく息子を気に掛けていないとは思えなかった。
小さい子どもなら、仕事で忙しいのだと理解できないかもしれない。だが、ヒナは父親の仕事を理解し、尊敬もしている。関心がないから構ってもらえない、とは受け取らないのではないか?
「まさか!」
案の定、老店主は、思いもかけない様子で首を振る。
「……ヒナは、赤ん坊のころに母親を亡くしてね。二つのとき、三つ上の姉と共に、隊商が引き取ったんだ。本当なら、幼いうちは故郷で、母親が育てるのだがね」
しみじみと続けた。やはり、この人は事情に通じているようだ。
「――わたしはね、あいつとは、いちばん旧い仲なんだ」
少しの沈黙の後、どこか遠い目をして、彼は語りはじめた。どうやら、本格的に昔話を始めるようだった。
「背負いカゴひとつの行商だった頃から、ふたりで旅をしていた。わたしは護衛役でね。しかし、護衛は肉体労働で、ずっと続けられる仕事じゃない。手に職をつけろと言って、あいつはわたしに商売を教えた」
俺は以前、マリーに短期労働者だと虚偽申告した時、『十年後、二十年後も、同じように働ける?』と聞かれたことを思い出した。
相手のことを深く思いやっていなければ、出てこない言葉だろう。
「護衛役は、街なかでは暇なのでね。香辛料の売買を一任されたんだ。雑な仕事をするわけにいかず、しぶしぶ勉強した。当時は、老人になるつもりなど、毛頭なかったのだが」
老店主は、笑いながら続けた。俺は黙って聞いていた。
「身体が動かなくなってくると、今度は勝手に店を用意して、街で商いをしろという。土地に根づいた者が居れば、より深く街の事情を知れるからなどと、もっともらしいことを言って……。売り物は、商会が卸してくれた。格安でな」
と言って、手元のお茶に視線を落とした。きっと、冬に隊商が卸した茶葉で淹れたのだろう。
「しばらく経って、もっと北に販路を広げたいと言いだしたので、こちらへ移ってきた。もう歳だし、暖かい南に居たほうが良いのではと止められたがね。……あいつは、わたしよりは年下だが、なぜあんなに動けるんだろうな」
言われてみると、ヒナの父親は、かなり若々しく見えた。
若作りしているわけじゃないのだが、背筋がピンと伸びていて身のこなしが俊敏なので、老いた印象を与えないのだ。
でも、すでにいくつも支店を構えて息子たちに商いをさせているというし、実際には、結構な年齢なのだろう。
「……ともかくだ。なにも、わたしが特別なわけじゃない。隊商の連中はみんな似たり寄ったりだ。まして、ヒナは実の子。気に掛けていないわけがない」
振舞いでの様子から、隊商の人々に慕われているとは思っていたが、想像以上の人物だった。
隊商の全員に同様に接し、そのうえ隊商長としての仕事までこなしているのだとしたら、ヒナに構っている時間がないはずだ。
「ヒナが拗ねているのは、あいつが商売を教えないからだろう。入ったばかりの見習いにさえ、あれこれ教えてやっているのに、とな」
「そうですか……」
ヒナは二歳から隊商にいた。それから約十年間、ずっと子ども扱いされている現状に、不満を感じているんだな。
俺もそうだった。兄や姉はあっという間に大人になっていったのに、自分一人がずっと子どものままなのが、情けなかった。
……もちろん、いま考えれば実際に子どもなんだから仕方ないのだけれど、当時の自分には、そうは思えなかったのだ。
帰り際、老店主に、羊焼肉用のスパイスを選んでもらった。
はじめは、故郷の料理を教えてもらおうと考えていた。けれど肉は、ただ焼くだけで十分にうまい。慣れない料理に手間暇をかけるより、ヒナと一緒に過ごし、彼の話に耳を傾けるほうが良いはずだ。




