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3-41. 滞納

 店の仕事を終えた後、米の仕入れに行くと言って店を出た。


 マリーは、『昨日眠れていないなら、休んだほうが良いんじゃない?』と気遣ってくれたが、今は、異世界よりも日本にいるほうが気がラクだった。


 しかし、東京の夏は、異世界に比べるとはるかに過酷だ。ただ駅で電車を待っているだけなのに、汗が噴き出してくる。


 これでは、夜まで向こうには戻れそうもない。汗だくで帰っては、日本でシャワーを浴びた意味がなくなってしまう。


 どうせ帰りが遅くなるなら、近所の銭湯へ行って、のんびり湯船につかるのも良いかな……。


 そんなことを考えながら、電車に乗って、古アパートに帰宅した。


 郵便受けに突っ込まれたチラシが目に入る。片づけようと手に取ると、細長い紙がはらりと床に落ちた。


「……?」


 チラシでも、封筒でも、ハガキでもない。一筆箋? いったいなんだろうと、拾って裏返してみる。


「げっ!」


 大家さんからの、家賃の督促状だった。――先月の支払い、完全に忘れてた!


 俺は、毎月の固定費のほとんどを、口座引き落としかクレジットカード払いにしていた。しかし、この古アパートの家賃だけは、大家さんへの手渡しのみという今時珍しい仕様だった。


 もちろん、口座引き落としのほうが、お互いに便利に決まっている。ただ、ここの大家さん(古アパート所有者)は独居の高齢女性であり、家賃の支払いに来た入居者を捕まえては、茶飲みに付き合わせるのが趣味なのだった。


 ひとまず、部屋に戻ってぬるま湯シャワーを浴び、キャッシュカードを手に近所のコンビニへ向かった。


 近頃は現金を使う機会がほとんどないので、あまり手持ちがない。ATMを操作して、二か月分の家賃を下ろす。


「……」


 表示された口座残高を、薄目で眺めた。


 直近で困るほどカネがないわけじゃないのだが、この先は減る一方で増える見込みがまるでない、というのは精神的にけっこうキツい。


 ひとつ首を振って、コンビニを後にした。部屋に戻って茶封筒に二か月分の家賃を入れ、表に名目と金額を記載する。


 玄関を出ようとして、ふと気づく。


 先月分の滞納に対して、謝罪の意思を示すべきじゃないか? しまったな。せっかくコンビニへ行ったんだから、何か手土産を買ってくればよかった。


「あ、そうだ」


 ふと思いついて、30キロ米袋を覗き込む。食品用ポリ袋を広げ、三合を量り入れた。


 三合なら、ひとり暮らしのまとめ炊きにちょうど良い量だし、価格的にも『ちょっとした手土産』として妥当なラインだろう。


 何より、米はあって困るものじゃない。袋の口を結んで、今度こそ玄関を出た。



   ◇  ◆  ◇



「こんにちは」


 二軒隣の扉を叩くと、大家さんが顔を出した。奥から、エアコンの涼しい風が漂ってくる。


「あら、いらっしゃい」


「すみません。先月の家賃、払い忘れてて……これ、二か月分です。こっちは、遅れたお詫びに……」


 と言って、茶封筒とポリ袋に入れた生米を差し出した。大家さんは両方受け取ると、いつものセリフを口にする。


「あがっていきなさい」


 大家さんのお茶に付き合うのは古アパート入居者の義務なので、黙って後をついて行った。


 大家さんの居室は、もともと家族で住んでいたらしく、単身者向けの貸し部屋よりだいぶ広い。テレビでは、古い時代劇の再放送が流れている。


 大家さんはヤカンを火にかけた後、さっそくポリ袋の口を開けて米を研ぎ、炊飯器にセットしてスイッチを入れた。夕飯に炊くつもりなのだろう。電子音の『きらきら星』が部屋に響く。


 やがてヤカンのお湯が沸くと、大家さんは緑茶を淹れてくれた。近頃は異世界ハーブティーばかり飲んでいたので、久々の緑茶が沁みる。お茶請けは、お手製のぬか漬け。


 俺は中学卒業まで、実家で父方の祖父母と同居していたので、老人の話し相手には慣れていた。といっても、おしゃべり好きの大家さんが一方的に喋り倒すので、こちらは黙って頷くだけなのだが。


 結局、小一時間ほど経ち、炊飯完了を知らせるメロディが部屋に鳴り響いたところで、大家さんはようやく口をつぐんだ。


 夕飯の支度をするというのでお暇しようと立ち上がりかけたが、思いもよらない誘いが飛んでくる。


「あんた、ごはん、食べていきなさい」

「えっ」


 家賃の持参ついでに茶飲みに付き合うのは今に始まったことではなかったが、食事をしていけとまで言われたのは初めてだった。


 ……まあ、でも、毎日ひとりで食事をするのは寂しいのだろう。一度人と囲む食卓の温かさを知ってしまうと、そう思う。


 どうせ異世界に戻っても夕食はひとりだし、断る理由は特にない。お言葉に甘えて、ご相伴にあずかることにした。

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