3-40. 寝坊
ガランガランガラン、とけたたましく呼び鈴が鳴って、目を覚ました。
「……?」
いったい何事だ?
眠い目をこすって起き上がり、気づいた。窓の外が薄明るい。つまり、普段の起床時刻は、もうとっくに過ぎている。
――マズい、完全に寝過ごした!
「トーヤ!」
ヒナの怒声が聞こえる。慌てて部屋を飛び出し、玄関扉の施錠を解いた。ドアを開けると、マリーとヒナが立っている。
「おそい! 何してた!?」
「ごっ、ごめん……寝坊しちゃった」
謝罪すると、ヒナは「はあ」とこちらを睨みつけ、さっさと階段を駆け下りていった。マリーは、心配そうにこちらを見上げる。
「どうしたの? トーヤが寝坊なんて、珍しいね」
頬に触れようとした手をとっさに払いのけてしまい、彼女は目を丸くする。まさか、拒絶されるとは思わなかったのだろう。
「あっ……ごめん」
「……ううん。私こそごめんね。なんだか、疲れて見えたから……心配になって」
「いや、なんでもない。ゆうべ、うまく眠れなくて。顔を洗って着替えたら、すぐに行く。先に支度してて」
マリーは小さくうなずいて、玄関先の金具に掛けている、一階裏口の鍵を手に取った。
俺も大急ぎで身支度を済ませ、健康チェック表の確認を終えてから、階段を下りていく。階段下倉庫から二升の米袋を取り、厨房へ入った。
何を置いても、まずは手順書の確認から。慌てて衛生管理を怠り、食中毒を出した日には目も当てられない。今は夏なのだから、特に慎重を期すべきだ。
「トーヤ。朝イチのお客には、もう間に合わない?」
「うん……」
ヒナの問いにおずおずと頷くと、彼は少し考えて続けた。
「じゃあ、常連は注文だけ取って、お昼に配達しよう」
確かに、朝イチにやって来るのはいつも同じメンバーであり、新規客はまずいない。
彼らとの間には、過去に構築してきた関係がある。誠意を込めて謝罪すれば、受け入れてもらえるだろう。
◇ ◆ ◇
結局、普段より一時間ほど遅れて、タッパー亭は弁当販売を開始した。とはいえ、開店直後の客はさほど多くはなく、ピーク時には何とか間に合わせた。
昼前、少し早めに店舗営業を切り上げ、ヒナとふたりで常連客への配達に向かった。弁当を手渡し、開店に間に合わなかったことを謝罪したが、みんな笑って許してくれた。
小学生の時に起こした押し入れ失踪事件の後、俺を探してくれた近所の人たちに菓子折りを配って回ったことを、何となく思い出す。
「……トーヤ、なぜ寝坊した?」
帰り際、ヒナがこちらを見上げて尋ねた。昨日うまく眠れなかった、とマリーにしたのと同じ説明をすると、ヒナは「ふーん」と相槌を打つ。
「寂しかったの?」
「えっ」
「……ヒナ、いつも姉ちゃんと寝てた。でも、姉ちゃんが居なくなって……ひとりは寂しくて、よく眠れなかった。夜のお茶の時間に起きていったら、パパが甘いお茶を飲ませてくれて、そのあと一緒に寝てくれた」
そういえば以前、隊商で夜のお茶会に混ぜてもらったという話をしていたな。
きっと旅の途中には、もの寂しい荒野でポツンとテントを張るような日もあるのに違いない。幼いヒナがひとりで眠るには、心細い環境だったんだろう。
そんなことを考えていると、ふと、ヒナが思いついたように続けた。
「そうだ。今日の夜、三人で、お泊り会しない?」
「……お泊り会?」
「うん。たまに、マリーの部屋でやってるの。夜のお茶の、続きのお喋りがしたい時とか。布団の中でひそひそ話すの、楽しいよ!」
曇りのない瞳だった。
……いやまあ、ヒナはまだ子どもだからな。商才があって大人びて見える一面もあるが、情緒的には、ごく普通の十一歳なのだ。
しかしもちろん、俺は、そういうわけにはいかない。
「いや、遠慮しとく……。マリーにも、言っちゃダメだよ」
「そう? 楽しいのに」
ヒナはちょっと首をかしげてみせた。
もう一度念押ししたほうが良いのか不安になったが、子どもの無邪気な提案に、あまりムキになっても不自然だ。それ以上は言わず、黙って帰る道を歩いた。




