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3-36. 来訪者

 ふたりが帰った後、一階の掃除をし、日が傾きはじめた頃に市場へ向かった。


 市場の店は日没前に閉店するが、異世界には冷蔵庫がないため、生鮮食品はその日のうちに売りきらなければ悪くなってしまう。


 それで、閉店前の時間帯はお買い得なのだ。


 肉屋を訪れると、先客がいた。おかみさんの手からカゴを受け取り、俺が来たのに気づいて、レジ横に移動する。


 立ち去らないのは、他にも注文品があるからだろう。家族の夕飯用にしては多いから、飲食店の仕入れかな……。


「あら、いらっしゃい。何にします?」


 肉屋のおかみさんが、愛想よく声を掛けてきた。俺はいつもこの時間帯に買い出しに来るため、顔を覚えられているのだった。


「えーと……」


 その時、店の奥で「コケッ」と鶏の鳴き声があがった。


 ……なるほど、きっとこれが、残りの注(・)文(・)品(・)の正体なのだろう。


 おかみさんと先客は気にも留めていない様子だったが、何とも言えない気分になる。まあ、俺が買いにきた見切り品の肉も、今朝はまだ生きていたのだろうけれども。


「羊のこま切れでしたら、ちょいとオマケしますよ」

「……じゃあ、一人前、貰えますか」

「はいよ」


 木皮の包装材に包まれた羊肉を受け取り、生活費の財布から支払った。奥から鶏が出てくる前に、そそくさと肉屋を後にする。


 近所の店でも適当な食材を購入し、何を作ろうか考えながら、帰路についた。



   ◇  ◆  ◇



 店に到着して裏に回り、二階へ続く階段を上ろうとして、玄関口に誰か立っているのに気づいた。


 薄暗くて顔はよく分からないが、服のシルエットを見るに女性のようだ。


「――ああ、よかった。なんで居ないの」


 知っている声だった。組合受付のエリザ嬢だ。


「え」


 なぜ、彼女がここに?


 店は昼過ぎには閉めているし、マリーとヒナはとっくに組合事務所に帰っている。彼女は事務所に勤めているのだから、帰ってきたふたりの姿を見たはずだ。


 つまり、今ここに来る理由があるとしたら――俺に会いに来た?


「なんで突っ立ってんの? 開けてよ」

「え、あ、すみません……」


 慌てて階段を上り、玄関の施錠を解いて、扉を開ける。


「お邪魔しまーす。へえ、二階はこんな感じなんだ」


 エリザ嬢は当たり前のように入ってきて、玄関扉を閉めた。廊下を抜けると、物珍しそうに居間を見回す。


「えっと、あの……?」

「ヒナに、帰りに寄るように言われたんだけど」


 と言って、彼女はこちらへ走り書きっぽいメモを差しだした。ヒナの字であることは分かるが、内容は不明。


「すみません、俺、字が読めなくて」


「そうなの? 喋るのは、ずいぶん上達したのに。ちょっと練習すれば、すぐ読めるようになるんじゃない?」


 彼女はズケズケと言ってのけると、一度差しだしたメモを引っ込め、音読する。


「『今日の帰り、タッパー亭に行って。話がある』」

「……」


 まさかの丸投げだった。『話しとく』って言ってたのに。


「えっと、じゃあ、まずはお茶を……」


「別にいいよ、時間掛かるでしょ。あーでも、のど乾いたな。ビールとかない?」


「じゃあ、取ってきます」


 階段下の水冷庫へ行って、冷えた瓶ビールを手に取った。昨日ルカを宥めるために買って帰ったのだが、結局飲まなかったので、冷やしておいたのだ。


 日本で飲むような、キンキンに冷えたビールとはいかないが、ぬるいよりは良い。


 あとは、飲むならつまみがあったほうが良いよな。火を使うと時間が掛かるから、そのまま出せるもので……そうだ、漬物のチーズ和えはどうだろう。


「どうぞ」


 居間へ戻ると、エリザ嬢はすでに席に着いていた。


 瓶ビール二本とコップを彼女の前に置いた後、調理台で漬物とチーズを刻んで和え、小皿に盛って添える。


 エリザ嬢はコルク栓を引き抜き、瓶から直に飲むなり、「うん?」と怪訝な顔をした。


「あんた、ビール冷やして飲むの? 変わってるね」


「えっ、すみません。苦手でした?」


「苦手っていうか……せっかくの味や匂いが分かんなくなるじゃん。舌触りもキツいし。安酒は、こうやって飲むものなワケ?」


 ああ、なるほど。日本人にとっては、ビールは強炭酸の爽快なのど越しを楽しむ酒だが、こちらの人々にとっては麦の風味を楽しむ酒であり、炭酸は発酵時に生じる副産物でしかないのか。


 常温で飲んでいるのは、単に冷蔵庫がないからじゃないんだな。


 エリザ嬢は、今度は、つまみの漬物チーズ和えを木製スプーンですくった。こちらは素直に「いいじゃん」と褒めて、立ったままの俺を見上げた。


「――で? 話って、何なの?」


 目を瞬かせた。


 エリザ嬢は、昨日あの楽屋にいた、青年役の生徒の姉。昨日の今日で、ヒナや俺に話があると言われて、まったく思い当たるフシがないのか?


「昨日のこと、聞いてないんですか? ……その、妹さんに」


「昨日? 女学校に、弁当の配達したんでしょ。それが、どうかしたの?」


 不思議そうに尋ねた。本当に、何も聞いていないらしかった。

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