3-34. 前進
翌朝、俺はいつも通り夜明けの二時間前に起き、米を炊いた。
薄明るくなる頃にマリーとヒナがやって来て、おにぎりを作って包装し、日の出とともに店を開けた。
マリーは、ふだん通りに見えた。内心がどうかは分からないが、思い悩んでいる時の単純作業は心に効く。無心でおにぎりを作っていれば、少しは気が紛れるだろう。
最近の俺は、開店後はだいたいレジに立っていた。
長らくヒナの担当だったが、近頃は朝イチから俺にレジを任せ、従業員休憩スペースで本を読んでいることが多かった。朝の繁忙時間帯に客を捌ききれずにいると、しぶしぶ手伝ってくれたが。
「ごめん、ヒナ。レジをお願いしても良い?」
「うん? どうしたの」
俺はヒナに、昨日ルカと飲んで帰り、彼が酔いつぶれてしまったので、二階で寝かせていることを説明した。
「は?」
思いきり睨まれた。
マリーが大変な目に遭ったというのに、お前は何をのほほんと遊んで帰ってきているんだ、という非難が凝縮された一音だった。
確かに表面的にはその通りであり、俺はヒナには表面しか説明していなかった。さすがに、ルカの家庭事情は、軽々しく話すべきではないだろうし……。
「どうしたの?」
マリーが奥から現れたので、もう一度同じ説明をすると、彼女は何か事情があると察してくれたようだった。
「行ってあげて。ヒナ、レジをお願いできる?」
「はあ。……分かった」
ヒナはこちらをジトリと睨んだが、客がやって来たのを見て、レジに立ってくれた。裏口を出て水冷庫の食材をいくつか見繕い、階段を上る。
自室のドアを静かに開けると、ルカはまだベッドに居た。起きているのか分からなかったが、声は掛けず、扉を開けっ放しにして居間へ向かった。
ストーブコンロで、土鍋に三合、米を炊いた。火から下ろして蒸らしている間に、ホウレン草と溶き卵のスープを作る。味付けは、異国情緒スパイス。
「…………どうも、すんません。ゆうべ、飲みすぎたようで」
思惑通り、スープの匂いにつられて起きてきた。顔を洗っておいでと促すと、彼は洗面所へ消えていった。
待っている間に、厚切りベーコンを焼いた。白米を山盛りよそい、深皿になみなみとスープを注いで、俺も対面の席につく。
ルカは居間に戻ってくると、テーブルの上の朝食を見つめ、悲しげに笑った。
「うまそうですね」
「遠慮しないで、腹いっぱい食べな」
ルカは深皿を取り上げて、スープをすすった。ほかほかの米飯をスプーンに山盛りとって、口いっぱいに頬張った。
黙々と平らげ、米を三杯、スープを二杯おかわりしてもまだ食べたりなさそうだったので、ベーコンを追加した。
ルカは、小柄で気の弱い少年という印象だったが、思いのほか図太かった。
どんなに落ち込んでいても、目の前に温かい食事があれば、一心不乱にかき込める。そういう強さがないと、生き残れない人生だったのかもしれない。
「……いいんですかね。おればっかり、こんなうまいもん食わせてもらって」
たらふく食べた後、ハーブティーを飲みながら、彼はぽつりとつぶやいた。きっと、村に残してきた家族のことを思い出しているのだろう。
「正直に言うね。俺には、……ルカの気持ちは、分からない。どうすべきだったのかも、どうしたらいいのかも分からない」
ルカは黙って聞いていた。内心で何を考えているのか、表情からは読み取れない。
「だけど、一緒に温かい食卓を囲むことはできる。いつでも食べにおいで。綺麗ごとだと思うかもしれないけど……綺麗ごとでも、食べれば腹は膨れる。それは、俺もルカも、他の誰でも同じだから」
「……へえ」
ルカはそれきり、しばらく黙っていたが、やがて、ティーカップの中身を飲み干して立ち上がった。
「そうですね。風呂入ってサッパリして、組合に戻って、仕事します。……何をするにも、腹が減ってちゃ始まりませんで」
思いの丈は通じたようだった。
妹さんのことは気の毒だが、ルカが悪いわけじゃない。それでも、やりきれない気持ちは残りつづけるだろう。彼の苦悩に、何かしてやれるとは思わない。
けれど今、空腹は満たされた。彼の人生は、確実に前進した。ほんの小さな、しかし着実な一歩だ。
頷くと、ルカは「ご馳走さんでした」と礼を言って深々と頭を下げ、廊下を歩いていった。




