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3-33. 懺悔

 ビアガーデンと化した広場と違い、タッパー亭の二階は静かだった。


 季節は夏だが、湿度の低い街では、日が落ちると一気に気温が下がる。俺は買ってきた瓶ビールを調理台に置き、ルカに温かいハーブティーを出した。


 彼がちびちびと飲んでいる間に米を研ぎ、土鍋をストーブコンロに載せた。本当なら、研いだ米はしばらく浸水させたほうが良いのだが、きちんと手順を守ると、炊きあがる前にルカが寝てしまう。


「炊けるまで、しばらく掛かるから。ゆっくりしていきな」


 と言って、対面の、普段はヒナが座っている席についた。ルカは小さく頷き、黙ってうつむく。


「………………」


 土鍋の中で水が沸騰しても、ルカはまだ沈黙していた。いったん席を立ち、ストーブコンロの火加減を確認する。


 弱火にすべき頃合いだったが、ちょうど薪が燃え尽きて、きちんと弱火になっていた。異世界で暮らすうちに、薪が燃えるペースの感覚が身についてきたのだ。


 やがて、水の沸く音がしなくなったので、ストーブコンロから土鍋を下ろした。薪を追加し、今度はヤカンでお湯を沸かす。


「……前に、話しましたよね。去年の秋、このままじゃ冬を越せねえってんで、出稼ぎに来たって」


 ぽつりと、ルカが呟いた。


 俺は席には戻らず、彼に背を向けたまま「そうだったね」と相槌を打った。きっと、目の前に座っていないほうが、話しやすかったのだろう。


「ウチは、イモを作ってんですが。去年の秋、どっかの村が大豊作になって、思ったような値では売れなくて……親父が、冬の食い扶持のイモも売らねえと薪が足んねえ、一家で凍死するしかねえって言い出しまして」


 ぼそぼそと続けた。今にも消え入りそうな声だった。


「でも、食い扶持のイモまで売れば、今度は飢え死にしちまう。だから末の妹を、街の孤児院の前に捨ててくるって言うんです。まだ小(ちい)こくて、畑の役にも立たねえからと」


 ……マジか。何かあるのだろうとは思っていたが、想像以上に重い話だった。


 俺は黙ってストーブの扉を開け、火かき棒で薪の位置を調整した。まったく必要はなかったが。


「そんでおれ、親父にタンカ切って街へ出てきて、親方に拾ってもらいまして……冬の間、職人は羽振りがいいもんで、方々で雑用やなんかをして、どうにか一冬越せるだけのカネは送りました」


 それだけ聞けば、思ったほど悪い話ではなさそうだった。だが、ルカの声は震えている。


「こないだ、久々に、ウチに帰ったんです。近頃は、職人仕事もずいぶん貰えて、結構な仕送りをしてたんで……みんな腹いっぱい食って元気にしてるだろうと、鼻高々で。そしたら、……末の妹が、居なくなってまして」


「えっ!?」


 思わず、振り向いてしまった。どうしようもなくなり、火かき棒をストーブの脇に置いて、扉を閉めた。


「……親父を問い詰めたら、カゼをこじらせて、死んじまったと言うんです。カネがあっても、村には医者も薬師もいねえ。背負って街まで連れて行こうとしたけど、もたなかったと」


「………………」


「おれ、間違ってたんでしょうか。親父の言うとおり、孤児院の前に置いてくりゃあ、妹は死なずに済んだんでしょうか……?」


「……それで、一人で孤児院に行きたくなくて、俺を誘ったの?」


「へえ」


「そっか……」


 言葉が出てこなかった。


 彼が孤児院で一言も喋らなかった理由が、ようやく分かった。


 ルカは、院長の身の上話を、妹の『あり得た人生』に重ねていたのだ。


 ――孤児院に引き取られ、奨学金で女学校に進学し、商家に嫁ぎ、慈善活動ができるほど余裕のある老後を送る。


 もちろん、孤児院に入っても、同じようにうまくいった保証はない。


 でも、そのあり得た未来を自分が壊してしまったのではないかと、自らを責めていたのだろう。


「……」


 ティーポットに茶葉を投入し、熱湯を注いだ。土鍋のフタを取り、底からヘラで混ぜ返す。深皿に米をよそって刻んだ漬物を載せ、ルカの前に置いた。


 上からお茶を掛けると、ふわりと、ハーブの良い匂いが立ちのぼる。木製スプーンの柄を差しだした。


「食べな」


 とだけ、言った。他には、何もできなかった。



   ◇  ◆  ◇



 茶漬けを食べさせた後、ルカを自室に連れて行き、ベッドに寝かせた。


 彼は抵抗せず、おとなしく横になった。


 布団の上から身体をさすってやると、じきに寝息を立てはじめた。いつ実家に戻って妹の死を知ったのか分からないが、ずっと、眠れない夜を過ごしていたのかもしれない。


 しばらく様子を見た後、ひとりにしても大丈夫だろうと判断し、居間に戻って自分の茶漬けを作った。


 ――今回のは、正直、俺の手には余る案件だった。


 俺は、ルカのような苦労をしたことがない。実家は、大金持ちというわけじゃないけど、親のカネで大学院まで行かせてもらった。もちろん、凍死や飢え死になど、考えたこともなかった。


 でも、ルカにとってはつい去年のできごとであり、もしかしたら、今年や来年のできごとにもなるかもしれないのだ。


「……」


 俺はこの異世界を、地球世界より居心地の良い場所だと認識していた。


 冬の寒さは厳しいが、人々は温かい。日本ではぼっち人間だった俺にも、タッパー亭には居場所があった。


 けれどフタを開けてみれば、俺は何も知らないだけだった。


 もちろん、街の人々の優しさは本物だ。けれどその向こう側には、現代日本で生まれ育った俺には想像もつかないような、厳しく残酷な現実が広がっている。


「………………」


 食べ終わると、皿を洗い、歯を磨いた。温かい蒸しタオルを用意し、身体を拭く。収納から冬用の毛布を出してきた。クッションを枕にして、ソファで横になった。


 身体の健康は、心を守る最後の砦なのだと、俺は春の一件から学んでいた。


 目の前の問題をどうしていいか分からないなら、まずは、健康的な生活を送ることに注力すべきだ。弱っている時に、良い考えなど浮かぶわけがないのだから。


 幸い、答えの見えない複雑な社会問題と異なり、健康を維持するためにすべきことは、至極シンプルだ。


 きちんと栄養バランスのとれた食事をし、自身や周囲の環境を清潔に保ち、暖かくしてよく眠る。それは地球世界でも、異世界でも変わらない。


 精神面でルカを支えてやることは、俺にはできない。でも、してやれることが何もないわけじゃない。


 俺は、俺にできることをやろう。


 そのためにはまず、自分自身が、健康でいなくてはならないのだった。

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