3-29. 乱入者
とつぜん楽屋に乱入してきたのは、身なりの良い青年だった。
エリザ嬢の妹が着ているのは、『生徒が手作りした身なりの良い青年の衣装』だったが、こちらは一目見ただけで、俺にすら本物なのだと分かった。
本人自身も見目麗しく、まるで絵本から抜け出してきた王子様のようだ。
「あー……」
声のしたほうを振り向くと、マリーが、あからさまに迷惑そうな顔をしていた。どうやら知り合いらしい。良い知り合いではなさそうだが。
「マリア、ようやく会えたな! 去年は居なかったから、心配したんだぞ」
彼はそう言って微笑んだ後、マリーのそばで弁当ガラの回収をしていた俺を見つけたらしく、『なんだコイツは?』と言いたげな表情を浮かべた。
しかしすぐにマリーに視線を戻し、ずかずかと中へ入ってくる。
「まあいい。マリア、あの話は、考えてくれたか?」
「いえ、その……」
「何をためらっている? 共に王都へ来れば、綺麗なドレスを着て、華やかな舞踏会に出られる。豪奢な屋敷に住んで、料理人が作った旨い食事をたらふく食べられるぞ。妾でも、お前を一番可愛がると約束するから!」
自信満々にまくしたてた。
なんだコイツ、と俺も思ったが、普段はズケズケとモノを言うヒナやヒロイン役の子でさえ、何も口出ししない。
きっと、逆らうとマズい立場の相手なのだ。
どうしたものかと思案しているうちに、マリーが動いた。布巾を置いてすっと立ちあがると、小さく息を吸い、悲しげに眉を下げて口を開く。
「――ああ、わたくしを、誘惑なさらないで!」
よく通る、芝居がかった声だった。
マリーは、胸に当てた右手を青年のほうへ伸ばし、ハキハキと続ける。
「あなたさまにとって、我が家はしがない商家のひとつ。ですが、わたくしにとっては、唯一無二の我が家なのでございます。ひとり娘として、婿を取り、家を継がねばならぬ身の上。共に参ることが、どうして叶いましょうや!」
「マリア――」
青年がさらに何か言いかけたところで、開けっ放しの裏口から、ふたたび誰かが入ってきた。
この男の従者なのだろうか、部屋の様子を一瞥して、「坊ちゃん!」と窘める。
「お父君がお呼びですよ。お戻りください!」
「……なんだ。良いところだったのに」
青年は不満そうな顔をしたが、マリーの手を取り、指先に軽く唇を触れてから、部屋を去っていった。
マリーはこの世の終わりみたいな顔をしていたが、彼は気づかなかったようだった。
「……ご、ごめんね。公演前なのに」
嵐が去った後、マリーがおずおずと、楽屋にいた生徒たちに謝罪した。エリザ嬢の妹が慌てた様子で首を振り、申し訳なさそうに続ける。
「こちらこそ、すみません……。去年、マリー先輩がいらっしゃらなかったので、もう、諦められたと思っていたんですが……」
マリーは大きなため息をつくと、口づけされた指先を気にするようなそぶりをしてから、こちらを振り向いた。
「トーヤ。ちょっと、ついてきてくれる?」
「え、うん」
いちおう、先に外に出てさっきの青年が居ないことを確認してから、ふたりで楽屋を出た。
マリーが向かったのは、手洗い場だった。
ふだん調理前にそうするように、備えつけの石鹸を泡立てて入念に洗い、しっかり水で流し、ハンカチで拭いて振り返る。
「あの御方、領主さまのご子息でね。毎年、ご一家で夏の避暑にいらっしゃるんだけど。前に夏公演を見にいらしたときに、その、気に入られたみたいで……私に、妾になれって」
こちらへやって来ると、俺の袖を握って、うなだれた。すっかり気落ちした様子だ。
「だ、大丈夫……?」
「もちろん、本気で仰っているわけじゃないの。ただのごっこ遊びだよ。私を役名の『マリア』って呼んでるのが、その証拠。こんな田舎の街娘、王都へ連れ帰ったところで、笑い者になるだけだもの」
「……」
きっと、この異世界での『領主』は、相当な権力者なのだろう。下手に怒らせれば、マリーだけでなく、家族の立場や――もしかすると、命まで危うくなりかねないような。
向こうは単なる遊びのつもりでも、マリーにとっては、そうはいかない。理不尽な怒りを買わないよう、神経をとがらせ対応しなくてはならないのだ。
「……なんだか、疲れちゃった。私、先に帰るね。トーヤは、ヒナと公演を見てきて」
「いやっ! 俺も一緒に……」
言いかけたが、マリーは首を振り、俺の申し出を遮る。
「私は大丈夫。……公演がどうだったか、後で教えてね」
楽屋に戻ると、扉の前にヒナが立っていた。そばに行商カゴを置き、もう帰るつもりだと態度でアピールしている。
「マリー、大丈夫? 一緒に帰ろう」
「うん……。ありがとう」
ヒナの優しい声に、マリーは反論せず、素直に頷いた。軽くなった行商カゴを背負い、手をつないで、ふたりはその場を去っていった。




