第六話:自虐という傲慢
第六話:自虐という傲慢
自虐は、低い姿勢を装った高台だ。
私は長いあいだ、その高台に立ってきた。下を見下ろしながら、「自分は最低だ」と言う。その視線の角度が、ずっと気になっていた。低くしているつもりの顎が、実は少しだけ上がっている。
自分を貶す言葉は、よく切れる。
他人に向ければ刃物になるが、自分に向けると道具になる。私はその道具で、周囲を整えてきた。場の空気を丸め、期待を下げ、介入を防ぐ。便利だ。あまりにも。
「どうせ自分なんて」
この言葉を口にするとき、私は反応を見ている。否定されるか、笑われるか、同意されるか。そのどれでもいい。反応がある限り、主導権は私にある。
――ここで、私は気づく。
これは支配だ。
支配は、暴力だ。
私は暴力を嫌っているはずだった。だが自虐は、血を流さない暴力だ。見えない分、長く効く。私はその即効性に、酔っていた。
自虐は、責任を回避する。
最初から価値がないと言っておけば、失敗しても説明が要らない。成功しても偶然で済む。どちらに転んでも、私は裁かれない。
裁かれない場所に居座ることを、私は安全と呼んできた。
だが安全は、孤立とよく似ている。
似すぎていて、区別がつかない。
気づいたときには、誰も近づいていない。近づかないのは、私の望みだったはずなのに、胸の奥で何かが遅れて痛む。
左の親指を噛む。
もう癖になっている。痛みは、計測できる。自分で与え、自分で止められる。完全に管理された感覚。
管理できる痛みの裏で、管理できない感情が膨らんでいることから、私は目を逸らす。
自虐は、相手に役割を与える。
慰め役、否定役、教師役。
役割を与えられた人間は、安心する。台本があるからだ。私はその安心を、盗んでいた。自分の不安を減らすために。
あるとき、誰かが何も言わなかった。
私が自分を貶しても、笑わず、否定もせず、ただ黙っていた。
沈黙が、重かった。
技術が通用しない。道化が、降りる場所を失う。
その沈黙の中で、私は初めて、自分の言葉が他人を疲れさせていた可能性に触れた。
触れた、というだけだ。まだ認めてはいない。認めると、構造が崩れる。
自虐は、誠実さの仮面を被る。
だが誠実さは、相手に逃げ道を残す。自虐は残さない。
「ここまで自分を下げたのだから、あなたは何も言えないでしょう」
その無言の圧力を、私は使っていた。
床に座る。
視線が低い。だが内心では、まだ高い。
高い場所から降りるには、勇気がいる。降りた先で、普通に殴られるかもしれないからだ。普通の失敗、普通の拒絶。
私は普通に耐える練習を、してこなかった。
白い画面を見る。
ここでは、自虐は通用しない。
画面は、慰めない。否定もしない。
ただ、受け取る。
私は、自分を貶す言葉を書きかけて、止める。
代わりに、何も書かない。
何も書かないことは、傲慢ではない。
少なくとも、今はそう信じたい。
自虐という高台から、私は少しだけ、足を出す。
降りきるには、まだ時間がかかる。
だが、足が震えていることを、私は記録しておく。
震えは、正直だ。
正直なものは、まだ、壊せない。




