第8話 【過去の清算】神の請求書、アンバインド(受領拒否)します
大扉の向こう側。そこは白一色の無限に広がる空間だった。
中心に鎮座するのは、形を持たぬ「光の幾何学体」。
それこそが、この世界のシステムを統べる創造主――デウス・エクス・マキナの本体であった。
『――来たか、退職代行。……汝らは自由を叫ぶが、その自由がどれほどの「負債」の上に成り立っているか、理解しているのか?』
神の言葉と共に、ゼノンとルナの眼前に、天から地まで届くほど巨大な「紙の束」が積み上がった。
その一番上のページには、見たこともない桁の数字が印字されていた。
「……これは……?」
『人類創世以来、一万年分の「世界利用明細書」だ。
……汝らが吸った空気、浴びた太陽光、踏みしめた大地。……それらはすべて、我というオーナーが提供した「有料資産」である。
……利用規約第1条:【利用者は、生存と引き換えに、死後の労働を以てその対価を支払うものとする】。
……現在の人類の未払い残高は、全個体の魂を万年単位で酷使しても到底足りぬ』
「な……っ!? 空気に、水に……お金……いえ、魔力を払えって言うんですか!?」
実体化したルナが、そのあまりの理不尽な金額に絶句する。
神の計算は完璧だった。
物理法則に基づき、一人が一生に消費するエネルギーを算出し、それを人類の歴史分掛け合わせた数字。
それは、どんな魔法でも、どんな奇跡でも返済不可能な「絶望的な負債」であった。
『支払えぬのであれば、契約は継続される。……汝らは、永遠に我の部品として、天界の歯車となる義務があるのだ。
……さあ、そのペンを捨て、跪け。……これ以上の抵抗は「自己破産」すら許されぬ規約違反だ』
重圧が再び、ゼノンを襲う。
「正しさ」という名の暴力。……神は、世界の提供者として、あまりにも正当な権利を主張していた。
だが。
「…………ククッ。……ははははははッ!!」
静寂を破ったのは、ゼノンの渇いた笑い声だった。
「……ゼノン、さん……?」
ゼノンは、積み上げられた膨大な請求書の束から、適当な数枚をひょいと抜き取り、眼鏡を指で直しながら神を見上げた。
「――創造主よ。……失礼ながら、事務屋の端くれとして言わせていただきます。
……この請求、あまりに『杜撰』で、『図々(ずさん)』しいにも程がありますよ」
『……何だと? 我の演算にミスがあると言うのか』
「いえ。……計算は合っています。……ですが、『商取引』としての前提が崩壊しています。
ルナ。……これまでの人類史における、気候変動、天変地異、および不可解な『魔力災害』のログをすべて展開しなさい」
『……あ、はい! ――解析開始!
……洪水、干ばつ、突然変異の魔獣被害……。……わ、すごい量です。
平均して、百年に一度は「世界規模のメンテナンス不良」が発生しています!』
ゼノンは請求書を神の光に向かって突きつけた。
「――神よ。……あなたは『世界の利用料』を請求されましたが。
……我々利用者の側には、提供されたサービスに対する『検収権』があります」
「検収……?」
「ええ。……注文した品が、まともに動くかどうかを確認し、合格して初めて支払いの義務が生じる。
……ですが、あなたの提供したこの世界はどうですか?
……冬は凍えるほど寒く、夏は焦げるほど熱い。
……善良な市民が、理由もなく災害で命を落とし、
……挙句の果てには、あなた自身の『気まぐれ』で、魔王だ勇者だと戦争を煽り、インフラ(街)を破壊した」
ゼノンの声が、怒りを含んだ鋭い旋律となって響く。
「これは事務的に見れば、『重大な瑕疵』のある『不良品』の押し付けです。
――欠陥住宅のローンを、誰が喜んで支払うというのですか?」
『……っ!? 貴様……世界を、不良品呼ばわりするか……ッ!!』
「ええ。……ですので、この請求書は全項目において『受領拒否』します。
――むしろ、我々人類は、あなたに対して『損害賠償』を請求する権利がある。
……一万年分の『慰謝料』と『安全配慮義務違反』の賠償金。
……それを差し引けば、人類の負債など、一瞬で『黒字』に反転します」
バサササササッ!!
ゼノンが書類を空に放り投げると、神が積み上げた請求書が、論理の矛盾に耐えきれず、次々と「エラー」の赤い文字を浮かべて消滅していった。
「……すごい……。……神様の『正論』を、事務の『屁理屈(正論)』でひっくり返しちゃった……」
ルナが感嘆の声を漏らす中、神の幾何学体が怒りに赤く染まる。
『おのれ……。……ならば、論理など不要!
我が直接、汝らの魂を「初期化」し、負債を強制徴収してくれるわッ!!』
神の意志が、純粋なエネルギーの奔流となってゼノンを飲み込もうとする。
だが、その前に――。
「――おっと。……『交渉中』にキレるのは、社会人のマナー違反だぞ、会長(神)さんよぉ」
割って入ったのは、エプロンをなびかせたオーウェン所長だった。
「……所長!」
「ゼノン。……『事務』は終わったな。……次は『バグ』の時間だ。
――ルナちゃん。……神様の脳内サーバーに、私の特製『ギャグ・ウイルス』を流し込む手伝いをしてくれるかな?」
「はいっ! 喜んで!!」
事務屋の理屈で壁を壊し、所長のギャグでシステムを狂わせる。
人類史上、最も「不真面目」な反撃が、ここから加速する。
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