第7話 【所長の教え】不朽の冗談、アンバインド(真理提示)します
天界の最上階。
神の座へと続く『黄金の廊下』は、もはや物理的な空間ではなかった。
そこは純粋な「意志」と「規約」が結晶化した場所。歩を進めるたびに、世界中の「義務」や「制約」が重圧となってゼノンとルナの肩にのしかかる。
「……くっ、身体が……重い……。……ゼノンさん、これ、世界中の『未払い残業代』並みの重圧です……っ!」
実体化したばかりのルナが、震える脚で必死に耐える。
彼女の魂を繋ぎ止めているゼノンもまた、蒼白な顔でバインダーを強く握りしめていた。
「……当然です。……ここには、神が創世以来積み上げてきた『絶対不可避の社則(世界の理)』が満ちている。
……一介の事務屋が……踏み入って良い領域では……ないのかもしれません」
その時。
「――やれやれ。……随分と『廊下』が、『老化』したような顔をしてるじゃないか、ゼノン」
「…………!?」
絶望的な重圧の中、場違いすぎるほど軽快な声が響いた。
廊下の先、神の玉座へと続く大扉の前に、一人の男が立っていた。
使い込まれたエプロン、手には湯気を立てるコーヒーポット。
退職代行『アンバインド』の所長――オーウェンその人であった。
「……所長!? なぜ、あなたがここに……」
「……お、オーウェンさん!? まさか、あなたも神様の『備品』だったんですか!?」
ルナが驚愕に目を見開く中、オーウェンは「ふーふー」とコーヒーを啜り、ニヤリと笑った。
「バカを言うな。……私はいつだって、君たちの『福利厚生』を心配する、ただの経営者だ。
……まあ、少しだけ『創業時』からの知り合いでね。
……この上の『会長(神)』が、あまりに頭の硬いコンプライアンスを押し付けるものだから、
……スピンオフ(独立)して店を出したのさ」
オーウェンの言葉と共に、周囲を圧していた重圧が、嘘のように霧散していく。
彼の存在そのものが、天界の規約を無視する「例外」であるかのようだった。
「……所長。……あなたは一体……」
「ゼノン。……私が今まで、なぜ君に『ギャグ』を叩き込んできたか、分かるか?」
オーウェンが、かつてないほどに真剣な、それでいて悪戯な瞳でゼノンを見つめる。
「……いえ。……正直に申し上げて、ただの『苦痛』でした」
「ははは! 正解だ。……だがな、ゼノン。
――ギャグとは、『論理の飛躍』だ。
……A=Bという契約の世界において、突然『C(C級ギャグ)』を叩き込む。
……それは、完璧に組み上げられた『システム』を、一瞬で『無効化』する唯一の武器なんだよ」
オーウェンが、コーヒーポットを床に置いた。
「神の理屈に、真面目な理屈で対抗しても勝てん。
奴は『正しい』からな。……正しさを倒すには、
――『笑ってしまうほどの馬鹿馬鹿しさ』が必要なんだ」
ドォォォォォォォォォォン!!!
大扉が開き、奥から神の意志が、形なき圧力となって溢れ出す。
『――オーウェン。……かつての同胞よ。……汝は、いまだにその「不純物」を肯定するか』
神の、底知れぬ声。
「ああ。……不純物こそが、人生の『スパイス(すぱいす)』であり、『失敗』を恐れない勇気だ。
――いいか、ゼノン。……これからお前が向かうのは、事務作業ではない。
――世界の『最終解約』だ」
オーウェンが、ゼノンの肩に手を置いた。
「神は、この世界を『自分の所有物』として契約している。
だが、お前がさっきルナを実体化させた時、新しい『法』が生まれた。
――『愛は、あらゆる既存の契約に優先する(不可抗力条項)』。
……この一文を、神の契約書のド真ん中に叩き込んでやれ」
「……愛、ですか。……事務屋には似合わない言葉ですね」
「ははは! だから面白いんじゃないか。
……行け、ゼノン。……世界の『賞味期限』は、『正味』……あとわずかだぞ!」
「…………。……所長。……そのギャグ、最後にしては『最低』で、『再提示』の価値もありません」
ゼノンは初めて、所長のギャグに対して不敵な笑みを返した。
「……行きましょう、ルナ。……『世界』という名のブラック企業を、畳む時間です」
「はい、マスター!! ――最強の秘書として、最後までお供します!」
ゼノンとルナは、光り輝く大扉の向こう側――神の座へと、迷いなく踏み出した。
オーウェンはそれを見送り、満足げにコーヒーを最後の一口まで飲み干した。
「……さて。……私もそろそろ、『退職』の準備でもするかねぇ」
神の王座。そこで待っていたのは、数千億の数式で編まれた、この世で最も冷酷な「法」そのものであった。
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