第2話 【深海の招待状】不夜城の闇、アンバインド(潜入)します
「――見てください、ゼノンさん! あれが海洋都市『アクア・リブラ』ですよ!
海の上に浮かぶ宝石箱みたい! テンション上がっちゃいますねー!!」
ルナの弾んだ声が、連絡船の甲板に響く。
目の前に広がるのは、蒼海を切り裂くように築かれた白亜の巨塔群。
無数の飛空艇が飛び交い、海面下には潜水艦ドックが口を開けている。
だが、その眩い光彩を眺めるゼノンの瞳には、一欠片の情緒も宿っていなかった。
「……光が強ければ、その分、落とす影も深く、濃い。
ルナ。観光に来たのではありません。……『ゴミの清算』に来たのです」
「……もう、相変わらずロマンチックの欠片もないんだから。
でも、データ解析完了しました。……都市の地下、深海3000メートル。
そこに、公的な海図には載っていない『第8研究プラント』が存在します」
ゼノンは、所長から託された黒革のバインダーを固く握りしめた。
「……深海。……そこで『死んだ(しんだ)』ふりをしている悪徳を、
一気に『監査』して、『寒さ(かんさ)』で震えさせてやりましょう」
「…………。……今の、所長のギャグの真似ですか?」
「……いえ。……単なる、韻を踏んだ業務連絡です。……行きましょう」
ゼノンは足早にタラップを降り、入国審査へと向かった。
本来なら厳重なチェックが行われるはずのゲート。
だが、そこには一人の男が、退屈そうに壁に寄りかかって待っていた。
「――よう。随分と遅かったな、兄弟子。
船酔いで『ゲロ(げろ)』を吐いて、『ゼロ(ぜろ)』からやり直しにでもなってたか?」
「…………」
ゼノンが足を止める。
そこにいたのは、金髪を乱雑に掻き揚げ、高価なスーツをラフに着崩した男。
再契約屋、カイン。
「……カイン。……相変わらず、品性のない口調ですね」
「ハッ! 品性で飯が食えるかよ。
俺の仕事は、逃げ出そうとする優秀な家畜に、
『ここ以上に良い場所はない』と思い込ませて、一生モノの鎖を巻き直すことだ」
カインは懐から一通のカードキーを取り出し、指先で弄んだ。
「今回のターゲット、カナデちゃんだっけか?
あの子、泣きながら『お父さんとお母さんに会いたい』って言ってたぜ。
だから俺が、優しい『再契約案』を提示してやった。
『さらに10年、この深海で演算に没頭すれば、実家の住宅ローンを完済してやる』ってな」
「……それは契約ではありません。……ただの『脅迫』です」
ゼノンの声が、低く冷たく沈む。
「勝手に言ってろ。……さあ、招待してやるよ。
お前がかつて這い出した『地獄』よりも、さらに精密で、逃げ場のない底なし沼へな」
カインに導かれ、二人は専用のエレベーターに乗り込んだ。
下降するにつれ、窓の外の景色はエメラルドグリーンから、暗藍色、そして漆黒へと変わっていく。
到着したのは、冷たい機械音だけが響く深海の要塞。
その最深部、無数の魔導ケーブルが這い回る巨大な水槽の前に、その少女はいた。
「……カナデ様、ですね」
ゼノンが声をかける。
水槽の中に浮いているような椅子に座り、頭部に演算用ヘッドセットを装着した少女。
彼女は、焦点の合わない瞳でゼノンを見つめた。
「……あ、なた……は……? ……また、新しい……『更新』の、人……?」
「いいえ。……私は、退職代行のゼノンです。
……あなたの『辞めたい』という願いを、受理しに参りました」
その言葉を聞いた瞬間、カナデの瞳に、微かな光が宿り、そしてすぐに絶望へと変わった。
「……無理、だよ。……私が辞めたら、お父さんとお母さんが、路頭に迷っちゃう。
私が、ここで……考え続けないと……家族が、消されちゃうんだもん……」
少女の頬を、一筋の涙が伝う。
それを見守るカインが、意地の悪い笑みを深めた。
「聞こえたか? ゼノン。これが『合意』ってやつだ。
彼女は自分の意思で、家族のためにここに留まることを選んでいる。
お前の出る幕なんて、どこにもないんだよ。……さっさと帰って、所長の寒いギャグでも磨いてな」
ゼノンは、カナデを縛り付けている魔導ケーブルの接続部を、じっと見つめた。
その構造、演算の波形。……そして、カインが用意した契約書の魔力的残滓。
「……ルナ。……違和感がありますね」
『――ええ、ゼノンさん。私も同感です。
この施設の通信記録……。カナデさんが「家族」と通話しているデータがありますが……。
その発信元、地上じゃありません。
……この施設内の、わずか数メートル先から発信されています』
ゼノンの眼鏡が、鋭く光った。
「……なるほど。……カイン。……貴様の用意した『鎖』の正体、見えてきましたよ」
「……あ? 何をブツブツ言ってやがる」
「――これより、本案件の『事前調査』を終了し、
不当な心理的拘束に基づく契約の『無効化手続き』を開始します」
ゼノンがバインダーを開くと、深海の暗闇の中に、青い監査パネルが幾重にも展開された。
「……カイン。……貴様は、重大な『ミス(みず)』を犯しました。
……その『嘘』という名の重りを、今すぐアンバインドして差し上げましょう」
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