第4話:聖女の奇跡、アンバインド(有給休暇)します
聖王国アデルバイド・中央大聖堂、地下治癒所。
そこは「奇跡の場所」と称えられながらも、その実態は、血生臭い肉の焼ける臭いと、絶え間ない呻き声が満ちる「回復の工場」だった。
「――次だ! もたもたするな! 聖女リーネ、早くヒールをかけろッ!!」
司教、強欲のボナパルトが、脂ぎった顔で怒鳴り散らす。
彼の前には、戦場で傷ついた兵士や、金を積んだ貴族たちが列をなしていた。
「……は、はい。……『大いなる光よ……癒やしを……』」
聖女リーネは、幽鬼のような青白い顔で杖を振るった。
彼女の指先は過度の魔力放出でひび割れ、瞳の光はとうに失われている。
不眠不休で三日間。彼女が口にしたのは、教会の支給する「魔力増幅薬(栄養ドリンク)」のみだった。
「……司教様。……もう、魔力が、底を……。少しだけ、横にならせて……」
「何を甘えたことをッ! 信仰心が足りないから疲れるのだ!
お前の祈りが届けば、神は無限の魔力を与えてくださるはず。
働け! お前が休めば、教会の寄付金……いや、迷える子羊たちの救済が止まるのだぞ!!」
ボナパルトは、リーネの細い肩を力任せに揺さぶった。
「お前のような孤児を拾って、聖女にしてやったのは誰だ?
恩を仇で返すつもりか? 働かない聖女など、ただの穀潰しだッ!!」
リーネは絶望に瞳を伏せた。
彼女にとって「神の奇跡」は、自分を縛り付け、削り取るための鎖でしかなかった。
(……神様。もし本当にいらっしゃるなら、……私を、終わらせてください……)
その悲痛な心の叫びに、冷徹な事務作業の音が応えた。
パチン、とバインダーが閉じる音が、静まり返った地下室に響く。
「――神は沈黙していますが、退職代行は迅速に動きますよ」
列をなす負傷者たちの間を縫って、黒いコートの男、ゼノンが静かに現れた。
「なっ……何だ貴様はッ!? ここは神聖な治癒所だぞ、立ち入りは禁じられているッ!!」
「退職代行『アンバインド』、ゼノンです。
リーネ様。……あなたの積もり積もった『未払い休日』と『過重労働のログ』、すべて確認しました」
ゼノンはリーネの前に立ち、ボナパルトを遮るようにバインダーを掲げた。
「本日より、リーネ様は『無期限の有給休暇』に入ります。
……もちろん、彼女の奇跡も、本日を以て『休業』です」
「ふざけるなッ!! 聖女を連れて行くなど、神への冒涜だ!
こいつが辞めたら、誰がこの怪我人たちを治すと思っているッ!!」
「――それこそが、あなたの『経営努力』で解決すべき問題です」
ゼノンは眼鏡を直し、耳元の通信機を叩いた。
「ルナ。……教会の『奇跡の不当転売』の証拠を、全信徒へ公開しろ」
『了解です! ――司教ボナパルト。
あなたが聖女の無償奉仕を「寄付金」という名目で高額販売し、
その裏で私腹を肥やしていた証拠……全ドメインに一斉配信完了!
さらに、リーネちゃんの健康診断結果……「過労による魂の崩壊寸前」のデータも添えておきましたよ。
これ、神様が怒る前に、世論があなたを吊るし上げますよ?』
「なっ……ななな……!!」
地下室に設置された魔法投影機が、ボナパルトが裏帳簿をニヤニヤと眺める映像を映し出した。
列に並んでいた兵士や市民たちの顔が、怒りに染まっていく。
「司教様! 俺たちの寄付金は、聖女様の治療費に使うって言ったじゃないか!!」
「リーネ様をあんなになるまで働かせて……それでも聖職者かッ!!」
「――さて、ボナパルト司教。最後のアンバインドです」
ゼノンが杖を振り上げ、リーネを包む魔法の鎖を指した。
「――アンバインド・ミラクル(奇跡の解放)」
キィィィィィィィン!!
リーネを縛っていた「聖女の義務(契約)」が、光の粒子となって霧散した。
それと同時に、リーネのボロボロだった衣服が、温かく柔らかな旅装へと変化する。
「リーネ様。……もう、無理に光を紡ぐ必要はありません。
……あなたは今日から、ただの女の子に戻るのです」
「……ああ……。神様、じゃなくて……あなたが、助けてくれたんですね……」
リーネの瞳に、数年ぶりに本物の涙が宿った。
「待て! 行かせるかッ! 衛兵、捕まえろ!!」
「無駄ですよ。……この空間の『魔力供給』は、既にルナによって遮断されています。
……そして、これを受け取りなさい」
ゼノンは、ボナパルトの足元に一束の書類を投げ出した。
「――これまでリーネ様がサービス残業で行った奇跡の総数。
それに対する『法定残業代』および『休日出勤手当』の請求書です。
……支払わなければ、アデルバイド王国の労働裁判所、ではなく――
魔王ゼクス陛下による『実力行使』が執行されます」
「ひ、ひいいいっ! 魔王軍だと……!?」
恐怖に震えるボナパルトを置き去りにし、ゼノンはリーネを連れて転送魔法を発動させた。
魔王領・世界樹のリゾート特区。
そこには、豊かな緑と、澄み渡る空気、そして――。
「――リーネちゃん、お疲れ様!
とりあえず一週間、この『至高のベッド』で泥のように眠っちゃいなよ!」
元魔王軍のサキュバスたちが、最高品質のパジャマと枕を持って、彼女を歓迎していた。
「……私、……休んで、いいんですか?」
「ええ。……それが、生命(人間)として当然の権利ですから」
ゼノンは、静かに頷いた。
リーネは、まるで糸が切れたように、用意されたベッドへ倒れ込み、
生まれて初めての、穏やかで幸福な深い眠りに落ちていった。
ゼノンは、その寝顔を一瞬だけ見つめた後、再びコートを翻した。
「……ルナ。帝国と王国の連合軍が、いよいよ動き出しましたね」
『はい! 彼ら、優秀な人材を次々と引き抜かれたことに激怒して、
「全軍を挙げてゼノンを抹殺する」って息巻いてますよ。
家族を人質に取るような真似まで、計画してるみたいです……』
「……組織の存続のために家族を狙う。
……もはや、存在自体が社会悪ですね」
ゼノンの眼鏡が、冷たく、鋭く光った。
「徹底的に、アンバインド(倒産)させて差し上げましょう」
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




