第7話「崩れない顔」
図書館。
静かな空間。
ページをめくる音だけが、一定に響いている。
ラーナは、いつもの席にいた。
参考書とノート。
ペンは止まらない。
(……ここまで)
次の問題に目を落とした、そのとき。
――ガタン。
椅子が引かれる音。
(……?)
横を見る。
レオが、当然みたいに座っていた。
「……何してるの」
小さく、抑えた声。
「見れば分かるでしょ」
軽く笑う。
「勉強」
「そうじゃなくて」
ラーナはペンを置いて、立ち上がる。
(……無理)
「席、変える」
「え」
レオが少しだけ目を細める。
「なんで」
「……集中できないから」
「できるでしょ」
即答。
一瞬。
ラーナが何か言い返そうとした、そのとき。
「ここ、図書館」
レオが軽く言う。
「静かにね」
にやっと笑う。
「……」
言い返せない。
ラーナは一瞬だけ迷って――
結局、座り直した。
(……最悪)
視線を落とす。
問題に戻る。
数秒。
「……そこ違くない?」
すぐ横から、声。
「……」
無視。
「いや絶対違うって」
少しだけ、距離が近づく。
「ここ」
左手が伸びる。
ノートの一点を指す。
「……合ってる」
短く返す。
「いや、ここさ」
さらに覗き込む。
「条件読み飛ばしてる」
一拍。
ラーナの手が、止まる。
見直す。
「……」
(……ほんとだ)
言葉にしない。
でも、分かる。
「ね?」
少しだけ、得意げな声。
「……」
何も言わず、書き直す。
その瞬間。
ラーナがペンを動かそうとして――止まる。
右手と、レオの左手。
触れそうな距離。
「……」
「ん?」
レオは気づいていないみたいに、顔を上げる。
(……近い)
ラーナはほんの少しだけ、ペンを持ち直した。
「……何」
「いや?」
レオが少しだけ笑う。
「書かないの?」
「……今書く」
ラーナがペンを持ち直す。
その瞬間。
耳にかかった髪が、少しだけ揺れた。
レオの視線が止まる。
小さなピアス。
シンプルな銀色。
「……ピアス開いてるんだ」
ぽつり。
ラーナの手が、一瞬だけ止まる。
「……悪い?」
「いや」
レオは少しだけ目を細める。
「意外だっただけ」
「……偏見」
小さく返しながら、ラーナはまたペンを動かす。
でも。
ほんの少しだけ、耳が熱い。
レオは、その横顔を見て。
ふっと小さく笑った。
ラーナはペンを走らせる。
でも。
(……集中)
できない。
横にいる。
近い。
「……」
無意識に、少しだけ距離を取る。
その瞬間。
レオが、少しだけ詰める。
「……何」
思わず、小さく声が出る。
「逃げたじゃん」
「逃げてない」
「逃げてるって」
声は小さいのに、距離はそのまま。
「ちゃんと集中して?」
さらっと言う。
(……どっちが)
喉まで出かかって、飲み込む。
ラーナは視線を落とす。
問題。
問題。
(……集中)
でも。
ページをめくるたびに。
視線が、気になる。
隣。
レオは普通に問題を解いている。
(……何なの、この人)
さっきまでの距離が、嘘みたいに。
普通。
だから余計に。
(……集中できない)
「ラーナ」
また。
「……何」
視線を上げないまま。
「さっきの」
一拍。
「ちゃんと直せてるじゃん」
さらっと。
「……」
ペンが、少しだけ止まる。
(……見てる)
横で。
ちゃんと。
「当たり前でしょ」
小さく返す。
「うん」
レオが、少しだけ笑う。
「やっぱいいね」
「……何が」
「それ」
一瞬。
視線が合う。
「崩れないとこ」
ラーナの呼吸が、わずかに止まる。
「……」
言葉が出ない。
そのまま。
レオが、少しだけ身を寄せる。
近い。
声が、低くなる。
「崩したくなる」
静かに、落ちる。
ラーナの指が、止まる。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
呼吸が乱れる。
「……」
でも。
すぐに、ペンを動かす。
「……無理」
短く。
でも。
さっきより、ほんの少しだけ早い。
レオは、それを見て。
ふっと、笑う。
(……今の)
確かに、揺れた。
「……へえ」
小さく呟く。
それ以上は、何も言わない。
また、問題に戻る。
でも。
空気は、さっきとは違っていた。
(……崩れるじゃん)
レオは、静かに確信する。
隣で。
ラーナは、何も言わないまま。
ページをめくった。
——崩れないまま、揺れながら。




