第6話「距離の詰め方」
講義終わり。
教室のざわめき。
人が動き出す中で、ラーナはノートを閉じる。
(……次)
立ち上がろうとした、そのとき。
「ラーナ」
横から声。
振り向くまでもない。
「今日さ、ちょっといい?」
レオだった。
いつも通りの軽い声。
でも。
(……違う)
何かが、少しだけ違う。
「……用事ある」
短く返す。
「嘘でしょ」
即答。
「帰って勉強するだけじゃん」
「……なんで分かるの」
「分かるよ」
当たり前みたいに言う。
一歩、近づく。
自然に。
でも。
逃げ道を塞ぐ位置。
「10分だけ」
低くなる声。
「時間ちょうだい」
(……関わらないはず)
ラーナは一瞬だけ迷って。
「……10分だけね」
折れた。
⸻
人のいなくなった教室に夕方の光が差し込んでいる。
廊下も人気は少ない。
窓際。
「で?」
ラーナが先に切り出す。
「んー」
レオが少し考える。
でもすぐに、笑う。
「この前のやつ」
「……実習?」
「そ」
一歩、近づく。
距離が、少し近い。
「やっぱあれ、納得いってない」
「……どこが」
「全部」
即答。
「理屈は分かる」
「でも、普通選ばない」
一拍。
「俺は選ばない」
まっすぐ見る。
逸らさない。
「……言ったよね」
ラーナは淡々と返す。
「それが正しいから」
「うん」
頷く。
「それが分かんない」
軽くない声。
初めて。
「正しいってさ」
「何基準で言ってんの?」
問い。
逃がさないやつ。
ラーナは、一瞬だけ考えて。
「……助かるかどうか」
シンプルに返す。
「成功率じゃなくて?」
「結果」
即答。
「……」
レオが、少しだけ黙る。
(……やっぱり)
計算と違う。
「それでさ」
少しだけ、声が落ちる。
「……怖くないの」
唐突な質問。
「失敗したら終わるじゃん」
一歩、さらに近づく。
「お前の判断で」
距離が、近い。
でも。
目は逸らさない。
ラーナは、少しだけ視線を下げて。
「……怖いよ」
小さく言う。
レオの動きが、止まる。
「でも」
顔を上げる。
「だからって、選ばない理由にはならない」
まっすぐ。
揺れない。
(……)
レオの思考が、一瞬止まる。
(それで、行くのかよ)
理解できない。
でも。
(……いいな、こいつ)
ふっと、息を吐く。
「……やば」
小さく呟く。
「何」
「いや」
首を振る。
でも。
視線は外さない。
「ラーナってさ」
一拍。
「思ってたより、厄介」
「全然読めない」
低く、落ちる。
「……何それ」
「褒めてる」
即答。
そして。
さらに一歩。
もう、逃げられない距離。
「ねえ」
声が近い。
「俺さ」
一瞬、言葉を選ぶ。
「お前のそれ」
視線を落として、戻す。
「ちゃんと知りたい」
まっすぐ。
初めて、濁さない。
ラーナの呼吸が、わずかに止まる。
「……なんで」
思わず、聞く。
「なんでって」
レオが、少しだけ笑う。
「気になるから」
一拍。
「それじゃダメ?」
軽い言い方。
でも。
逃げてない。
ラーナは、言葉を失う。
(……この人)
いつもと同じはずなのに。
(距離が、違う)
少しだけ、息が詰まる。
「……10分」
ラーナが言う。
「え?」
「もう過ぎてる」
視線を逸らす。
「……あー」
レオが苦笑する。
「延長は?」
「しない」
即答。
でも。
少しだけ、早足になる。
逃げるように。
レオは、その背中を見る。
(……逃げた)
でも。
(嫌がってはないな)
口元が、ゆっくり上がる。
「……いいね」
小さく呟く。
「ちゃんとやるか」
今までとは違う温度で。
ラーナの背中を、もう一度見る。
(もう、引けないなこれ)
そのまま、歩き出す。
距離は、確実に変わり始めていた。
——もう、元の距離には戻らない。




