第67話「張り合い」
現場は、いつも通り忙しい。
朝から走り回る。
説明。
記録。
確認。
(大丈夫)
ラーナは、そう自分に言い聞かせる。
隣ではレオが動いている。
いつもより早い。
正確。
迷いがない。
(……仕事モード)
視線が一瞬だけ合う。
でもすぐ逸れる。
次の瞬間。
「それ、先に処置した方がいい」
レオの声。
「分かってる」
ラーナ即答。
(負けない)
ほんの少し、空気が張る。
⸻
午後。
また指示が飛ぶ。
「今の説明、もう一回整理して」
「はい」
レオ。
「できます」
ラーナ。
一歩も引かない。
(……何やってんだこれ)
周囲は気づかない。
でも、空気だけが妙に鋭い。
⸻
夜。
玄関を閉めた瞬間、空気が変わる。
病院の外の張り詰めた感じとは違う。
もっと近くて、逃げ場のない空気。
「……今日さ」
レオが先に口を開く。
「ずっとムカついてた」
「何に」
「全部」
一拍。
レオがそのまま近づく。
「全部ちゃんとしてるとこ」
(……意味わからない)
「仕事だから」
「知ってる」
距離はもうない。
ラーナが一歩動く前に、レオの手が腕を取る。
「離して」
「やだ」
即答。
「もう仕事終わった」
「関係ない」
(……理不尽)
ラーナが睨む。
「今日さ」
レオが少しだけ声を落とす。
「ずっと余裕あったでしょ」
「別に」
「あった」
「そんなことない」
即否定。
でも腕はまだ掴まれてる。
(逃がす気ない)
ラーナが息を吐く。
「レオこそ」
「仕事中、完璧だったじゃん」
一瞬。
レオの動きが止まる。
「……それが何」
低い声。
(あ、これ)
ラーナ、言い直さない。
「むかつく」
小さく。
レオが笑う。
「は?」
「意味わからない」
「分かってるくせに」
一歩詰める。
そのまま。
壁との距離が消える。
(……近い)
「離して」
「やだって言ってる」
「腕痛い」
言うくせに、声は強い。
レオは少しだけ力を緩める。
でも離さない。
「痛いなら言えよ」
「言ってる」
「じゃあやめる」
一瞬。
でも離さない。
(やめる気ないじゃん)
ラーナが視線を上げる。
「レオ」
「なに」
距離ゼロ。
息がかかるくらい。
「今日ずっと変だった」
「お前のせい」
即。
「なんで」
「ちゃんとしてるから」
(またそれ)
ラーナが黙る。
でも逃げない。
レオも離れない。
「……ほんとさ」
「仕事のときだけ」
「全部うまくやるのやめろ」
(わがまま)
「無理」
即答。
レオが少しだけ息を吐く。
「じゃあ俺も無理」
そのまま。
もう一歩だけ近づく。
(これ以上ない)
ラーナが小さく目をそらす。
「……ほんと面倒」
「お互いな」
即返し。
でも手は離れないまま。
ラーナは少しだけ息を吐く。
「……疲れてるんだけど」
一言。
空気が止まる。
レオの動きも止まる。
「……は?」
少しだけ間。
さっきまでの喧嘩腰が、一瞬だけ薄れる。
(……そういうの、ずるい)
レオの手の力が少しだけ緩む。
でも離さない。
「……それ今言う?」
声は低いけど、さっきより柔らかい。
「言わないと分かんないでしょ」
ラーナは目を逸らす。
正面からぶつかってた熱が少しだけ冷める。
でも、距離はまだ近いまま。
レオが一瞬黙る。
(……やば)
さっきまでの“張り合いの顔”が崩れる。
代わりに出てくるのは、素のやつ。
「……はぁ」
ため息。
「じゃあ離す」
そう言って、腕を離す。
でも、すぐには距離を取らない。
むしろ少しだけ近づく。
「ほんとに疲れてんの?」
「うん」
即答。
レオの目が少し細くなる。
「……それ先に言えよ」
「言える雰囲気じゃなかった」
ラーナ、少しだけ言い返す。
でもさっきみたいな強さはない。
レオが黙る。
そして。
「……ごめん」
小さく。
(え)
ラーナが顔を上げる。
レオは少しだけ視線を逸らしてる。
「張り合ってたの、俺も」
「気づいてた」
短く返す。
レオが一瞬だけ笑う。
「だよな」
空気が少しだけ落ち着く。
でも、まだ近い。
まだ離れてない。
レオがラーナを見る。
「……疲れてる?」
「うん」
即答。
短くて、余裕のない声。
レオは一瞬だけ黙る。
「……そっか」
それだけ。
責めない。
詰めない。
代わりに、少しだけ距離を詰める。
そのまま抱きしめて、頭を撫でられる。
(……急に優しい)
ラーナは少しだけ目を逸らす。
そのまま、沈黙。
でも空気はもう張ってない。
レオがキッチンの方をちらっと見る。
「なんか飲む?」
「いらない」
即答。
「じゃあ座ってて」
レオはそれだけ言って、勝手に動く。
ラーナは少し遅れてソファに座る。
気づけば。
距離は、また近いまま。




