第59話「線の引き方」
午後。
外来フロア。
ラーナは記録をまとめながら、次の動きを確認していた。
声がかかる。
「ラーナさん」
振り向く。
実習先に所属している、若い医師。
「今ちょっといい?」
「……はい」
手を止める。
そのまま、少しだけ距離を取って立つ。
「今度さ、うちのチームで飲み会あるんだけど」
一拍。
「来ない?」
(……ああ)
なんとなく察する。
悪い人じゃない。
ただ。
少し、距離が近い。
「……予定が合えば」
曖昧に返す。
断りきらない。
でも、乗らない。
少し離れたところ。
レオがいる。
カルテを持ったまま、動かない。
(……聞こえてる)
わかる。
若い医師が、少しだけ距離を詰める。
「じゃあさ」
一拍。
「あとで2人で予定合わせてもいい?」
⸻
(……は?)
レオの指が止まる。
空気が、一瞬だけ変わる。
(無理だろ)
思考より先に、体が動きそうになる。
一歩。
出かけて——
止まる。
(……今出ると、変)
わかってる。
ここで出たら。
全部、崩れる。
関係も。
空気も。
(……でも)
視線が、ラーナに向く。
⸻
ラーナは、少しだけ考える。
一瞬。
間が空く。
そのあと。
「……すみません」
静かに言う。
一拍。
「彼氏がいるので」
空気が、止まる。
レオの動きも、止まる。
(……は?)
予想してなかった。
その言い方。
そのタイミング。
若い医師が、少しだけ驚く。
「あ、そうなんだ」
一拍。
「なんかごめん」
「いえ」
ラーナはそれ以上何も言わない。
線は、引いた。
それで終わり。
医師はそのまま去っていく。
静かになる。
ラーナは何事もなかったみたいに、作業に戻る。
レオは、動けないまま。
(……今の)
じわじわくる。
遅れて。
(……やば)
⸻
その日。
夜。
帰宅。
ドアが閉まった瞬間。
「……ラーナ」
「なに」
振り向く。
いつも通り。
でも。
レオは、違う。
「今日のやつ」
一拍。
「何」
「……彼氏がいるのでってやつ」
ラーナが、少しだけ止まる。
「……事実」
短い。
「いや、そうだけど」
レオが一歩近づく。
「そういうことじゃなくて」
距離が詰まる。
「……なんであそこでそれ言うの」
ラーナが、少しだけ眉を寄せる。
「……だめだった?」
(……だめなわけあるか)
即答したい。
でも。
言葉が詰まる。
「……いや」
一拍。
「むしろ逆」
ラーナが少しだけ首を傾ける。
「……助かった」
正直に言う。
「出る気だったでしょ」
ラーナが言う。
レオが止まる。
「……バレてた?」
「わかる」
即答。
「……出ない方がいいって思ったから」
一拍。
「私が言った」
(……無理)
レオの思考が止まる。
「……何それ」
小さく。
「普通」
ラーナは淡々と返す。
「普通じゃない」
即否定。
一歩。
距離が、ゼロになる。
「……ほんと無理なんだけど」
低く。
ラーナが、少しだけ固まる。
「……なにが」
「今の全部」
そのまま。
腕を引く。
抱き寄せる。
「……レオ?」
「無理」
即答。
「……あそこでそれ言う?」
「言うでしょ」
「言わない」
「言う」
言い合い。
でも。
距離は離れない。
レオが、小さく息を吐く。
「……ほんとにさ」
「外でああいうのやめて」
「……何が」
「守られる側にさせるの」
ラーナが、少しだけ目を上げる。
「……レオもでしょ」
即返し。
レオが、少しだけ詰まる。
「……それはそう」
認める。
一瞬。
静かになる。
そのまま。
レオが、少しだけ顔を近づける。
ラーナの呼吸が、少しだけ乱れる。
少しだけ、服を掴む。
(……無理)
レオが、目を閉じる。
「……ほんと無理」
そのまま。
距離は、戻らなかった。




