第58話「見せたくない顔」
午前。
病棟は、いつもより少し慌ただしかった。
ラーナは指示を確認しながら、ナースステーションに戻る。
そのとき。
「レオさん、さっきの件なんですけど——」
聞こえてきた声に、足が止まる。
視線を向ける。
——レオ。
白衣姿。
カルテを持って、看護師と話している。
いつもより低い声。
落ち着いた話し方。
無駄がない。
(……また)
この前と同じ感覚。
でも、今日は——
その周り。
若い看護師が、少しだけ頬を赤くしている。
視線。
距離。
空気。
(……)
なんとなく、わかる。
(……そういう感じ)
レオは、気づいてない。
普通に、話してるだけ。
でも。
(……そりゃそう)
あの感じ。
見せられたら。
(……無理でしょ)
小さく息を吐く。
そのまま、視線を外す。
⸻
午後。
廊下で、ばったり会う。
「ラーナ」
名前を呼ばれる。
振り向く。
近い。
(……無理)
「今日どんな感じ?」
いつもの声。
でも。
さっきの光景が、重なる。
視線、合わせられない。
「……普通」
短く返す。
「そっか」
一拍。
「……なんかあった?」
(……鋭い)
「……別に」
「ほんとに?」
「ほんと」
それ以上、続けない。
ラーナはそのまま歩き出す。
(……何やってんの)
自分でわかってる。
そっけない。
でも。
(……無理)
さっきのが、頭から離れない。
⸻
夜。
帰宅。
レオの方が先にいた。
「おかえり」
「ただいま」
そのまま、少し距離を取る。
「……ラーナ」
「なに」
「なんかあった?」
ストレート。
「なんもない」
即答。
「嘘」
「嘘じゃない」
「明らかに変だったって」
詰める。
逃げ場、ない。
「……」
一拍。
ラーナが、少しだけ視線を落とす。
「……レオ、モテてる」
ぽつり。
「は?」
即反応。
「仕事モードのとき」
一拍。
「看護師の女の子たち、見惚れてた」
レオが止まる。
数秒。
それから。
小さく、笑う。
「……嫉妬?」
「……そうじゃなくて」
すぐ否定。
でも。
弱い。
「じゃあなに」
一歩、近づく。
逃がさない距離。
(……言えない)
ラーナの思考が止まる。
頭の中。
さっきのレオ。
白衣。
声。
表情。
(……かっこいい)
でも。
(……無理)
言えない。
「……別に」
逃げる。
「別にじゃないでしょ」
即、詰める。
「気にしてるから言ってんじゃん」
沈黙。
数秒。
「……レオが」
小さく。
「……なんか違った」
レオが、少しだけ目を細める。
「どう違うの」
優しくない。
でも強くもない。
逃がさない聞き方。
「……」
ラーナが、言葉を探す。
でも。
まとまらない。
「……仕事してるときの顔」
一拍。
「……嫌いじゃない」
遠回し。
でも。
ほぼ答え。
レオが、完全に理解する。
(……あー)
口元が、少しだけ緩む。
「……それで避けてたの?」
「避けてない」
「避けてた」
「避けてない」
同じやり取り。
でも。
空気は、少し違う。
レオが、一歩詰める。
距離、近い。
「……かわいいんだけど」
(……無理)
ラーナが、完全に視線を逸らす。
「……やめて」
「何を」
「そういうの」
「だってそうでしょ」
一拍。
「仕事中の俺見て意識してんの」
ド直球。
ラーナが固まる。
「……違う」
「違くない」
もう逃げ場ない。
レオが、少しだけ顔を近づける。
「……じゃあさ」
「今の俺は?」
低く。
ラーナの呼吸が、少し乱れる。
「……同じ」
嘘。
でも。
もう隠しきれてない。
レオが、小さく笑う。
「……それは嘘」
そのまま。
手を伸ばす。
頬に触れる。
「……顔、全然違うし」
(……終わった)
ラーナが、何も言えなくなる。
レオが、少しだけ優しくなる。
「……その顔」
一拍。
「外で見せないでほしいんだけど」
独占欲。
少しだけ滲む。
ラーナが、少しだけ目を上げる。
「……レオも」
「なに」
「……見せてた」
即返し。
レオが、少しだけ詰まる。
「……あれは仕事だから」
でも。
どっちも、わかってる。
そのまま。
距離は、もう戻らなかった。




