第51話「遠回りの理由」
内見の帰り。
結局、決めきれなかった。
「……もう一件見てもいいかも」
「いいよ」
そんな軽いやり取りで終わったはずなのに。
ラーナの中に、何かが残っていた。
⸻
家。
いつも通り。
当たり前みたいに上がる。
でも。
少しだけ、空気が違う。
「……疲れた」
「座れば」
短いやり取り。
ソファに並ぶ。
距離は、いつも通り近い。
でも。
ラーナは、少しだけレオを見る。
(……さっき)
内見のとき。
ふとした会話。
⸻
「レオって、実家だよね」
「まあ」
「大丈夫なの」
「なんとかなるっしょ」
⸻
軽く流された。
でも。
今、“その話”してたのに。
「……レオ」
「なに」
「さっきの」
一拍。
「実家の話」
レオの動きが、少しだけ止まる。
「……ああ」
「なんか、曖昧だった」
逃げない。
そのまま言う。
「……そう?」
「うん」
一瞬、沈黙。
⸻
レオが、少しだけ息を吐く。
(……まあ、そうなるよな)
視線を外す。
「……別に、大した話じゃない」
「そうは見えなかった」
即答。
レオが、少しだけ笑う。
「……鋭いな」
「普通」
ラーナは視線を逸らさない。
「……言わないの」
静かに聞く。
責めてるわけじゃない。
でも。
逃がさない。
レオが、少しだけ黙る。
(……ここで濁すの、さすがにないか)
同棲。
その先。
さっき、自分で言った。
「……一回、逃げてるから」
ぽつりと落ちる。
ラーナの目が、少しだけ動く。
「……何から」
「医者」
短い。
でも、はっきり。
「……行けたけど、行かなかった」
続ける。
淡々と。
「なんとなく、嫌で」
「決められてる感じが」
一瞬、言葉を探す。
「……父親が医者だからさ」
ラーナは何も言わない。
ただ、聞く。
「で、普通の大学行って」
「卒業して」
「……そのあと、何もなくて」
一瞬だけ、間。
「フリーター」
軽く言う。
でも。
少しだけ、目が落ちる。
(……意外)
ラーナは、少しだけ思う。
もっと、一直線だと思ってた。
「……戻ったのは?」
静かに聞く。
「親父に呼ばれてさ」
「……病院」
一拍。
「特に理由も言われなくて」
「行っただけ」
視線が、少し遠くなる。
「で、普通に待たされて」
「……見てた」
「別に、何もなかった」
「ただ、診察してるだけ」
「いつも通りって感じで」
一瞬。
言葉を探す。
「……でも」
小さく。
「なんか、引っかかって」
「そのあとも、普通にバイトしてたけど」
「……なんかずっと残ってて」
ラーナを見る。
「気づいたら」
「戻ってた」
それだけ。
本当に、それだけ。
ラーナは、少しだけ黙る。
(……それで)
(戻るんだ)
「……すごい」
ぽつりと出る。
「どこが」
「それで戻れるの」
まっすぐ。
レオが、少しだけ笑う。
「……戻らないと、たぶんずっと引きずると思ったから」
一瞬、静かになる。
ラーナが、ゆっくり視線を落とす。
「……私と逆」
小さく。
「……え?」
レオが少しだけ反応する。
「私は、一回諦めてる」
静かに言う。
「医者」
レオの思考が、一瞬止まる。
「……家、お金なかったから」
「一回看護師やって」
「……戻ってきた」
さらっと言う。
でも。
重さは、ある。
沈黙。
(……そういうことか)
レオが、ゆっくり理解する。
ラーナの“焦り”の理由。
妙に現場に慣れてた理由。
「……じゃあさ」
レオが、少しだけ声を落とす。
「お互い、遠回りしてんじゃん」
ラーナが、少しだけ目を上げる。
「……うん」
「じゃあ別にいいだろ」
一拍。
「今ちゃんと進んでるなら」
ラーナが、少しだけ止まる。
それから。
「……当たり前」
いつもの調子で返す。
でも。
ほんの少しだけ、柔らかい。
レオが、ふっと笑う。
そのまま。
自然に、距離を詰める。
肩に触れるくらい。
⸻
「てかさ」
「そしたらラーナと俺ってそんな歳変わらないよね」
「……そうだね」
少し、間。
「……なんとなく安心した」
「なんで」
「ストレートに医学部入った人だと思ってたから」
「……その若さでその優秀さやばいだろって思ってた」
レオが正直にこぼす。
「……なにそれ」
「いや、普通に思うだろ」
「仕事できるし」
「現場慣れてるし」
「……あれでストレートだったら、ちょっと無理」
「無理ってなに」
「勝てる気しない」
さらっと言う。
ラーナは一瞬だけ言葉に詰まる。
(……なにそれ)
でも。
少しだけ、悪くない。
「……別に勝たなくていいでしょ」
「俺は勝ちたい」
即答。
ラーナが少しだけ目を逸らす。
「……変なの」
小さく呟く。
少しの沈黙。
でも、さっきまでより軽い。
レオが、ふと思い出したように言う。
「……看護師のラーナとか、ちょっと見てみたかったな」
一瞬。
ラーナが固まる。
「……なんで」
少しだけ低い声。
「いや、普通に」
「今でもできてるけどさ」
「たぶん、もっと余裕あったんだろうなって」
一拍。
それから、少しだけ口角を上げる。
「それに」
「……絶対可愛いじゃん」
「は?」
ラーナが即座に顔を上げる。
「なんでそうなるの」
「いや、なるだろ」
「ちゃんとしてて、テキパキしてて」
一瞬だけ間を置いて。
「……で、普通に可愛いし」
「……意味わかんない」
視線を逸らす。
でも、少しだけ赤い。
レオはそれ見て、ちょっと笑う。
「見たかったなー」
「うるさい」
ラーナが小さく返す。
でも。
そのまま、少しだけレオに寄る。
無言。
レオは何も言わず、その距離を受け入れる。
(……今でいいか)
軽く思う。
遠回りした分だけ。
ちゃんと隣にいる。
それで、十分だった。




